「文々。異聞録」 第8話





 このバーサーカーという化け物をあと九回殺さなければならない。
 ヘラクレスの持つ宝具である『十二の試練』だという。そんなのはあまりにも無茶苦茶だ。

 「あはは。驚いてくれてるようでなによりだわ」

 驚嘆を隠せないでいる俺たちにイリヤスフィールは満足そうに微笑んでみせた。

 「でも、飽きちゃったから終わりにするね。バーサーカー! その二人を潰しちゃいなさい!」

 イリヤスフィールの呼びかけに呼応して、バーサーカーが吼える。
 耳を劈く怒号がびりびりと下腹部から全身に響いて足が竦んでしまう。

 バーサーカーがセイバーへ容赦無く斧剣を振るう。

 セイバーの剣技は胸部へのダメージにより、明らかに精彩さを欠いていた。
 出血は止まりそうもない。大きな動きを見せる度に夥しく血を流す。

  それが足下に血溜まりを作ることになり、装具と触れる度に水の跳ねる音を鳴らしていた。

 バーサーカーは幾つかの命を奪われたとは思えない勇猛果敢な猛攻を繰り出している。
 遠坂とセイバーが死にも至った損傷はまったくと言ってよいほど残っていないのだ。

 遠坂もセイバーに宝石で支援ができないでいた。
 セイバーの受けたダメージが大きすぎて、戦闘から退避させることもままならない。

 イリヤスフィールも遠坂の支援を許さないだろう。
  先程の同じ轍を踏まないよう、遠坂に対する警戒が見て取れる。
 セイバーのマスターたる遠坂は苦渋の表情で、英雄たちの闘いを静観するしかできない。

 ――英雄であるサーヴァントに対して、ただの人間でしかない俺たちはどうしようもなく無力だ。

 「はぁッ!!」

 セイバーも捨て身の覚悟で一太刀を入れようとするが、その剣はバーサーカーに届かない。
 バーサーカーの持つ一枚岩から削りだしたような斧剣によって弾かれてしまう。

 それどころか、セイバーはその凶器によって幾度となくダメージを重ねていた。
  一流の概念武装であろうセイバーの甲冑を容易に砕き、しなやかな肉を裂く。
 ただ、先の不意を疲れた一撃を超す損傷を受けていないのは流石といえるよう。

  それでもセイバーの状態は端から見ても満身創痍としかいえない有様だった。
 これでは決して遠くない未来に致命的な一撃をバーサーカーから受けてしまう。

  そんな予感めいた絶望感が辺りを包み込んでいた。


 ――――――――――


 ――今すぐあの場に駆け出したい。

  無策、無謀なのは勿論理解している。
  冷静な思考の中にあっても、その衝動を抑えきれずにいる。

 仮にセイバーの元へ駆け出しても、バーサーカーに抵抗する暇もなく殺されるだけだ。
 だが、それでもこの場で何もしないで傍観みしているよりかはましじゃないか。

 次に一撃を受けたら、俺は頭が真っ白になって後先考えずに走り出してしまうだろう。

  金属のぶつかり合う音に混じり、忙しくシャッターを切る音がした。
  ……そうだ。今は文がいるじゃないか。

 (あの二人ほどの実力はないとしても、彼女ならどうにかできる――?)

 そんなどうしようもない思考が、脳裏に浮かんだ。

  この少女に俺のできないことを押しつけようとする厚顔無恥に情けなくなる。
  だが、実際セイバーを救うにはそれだけしか方法がないのも紛れもない事実。
  だとしても、文自身にセイバーを助ける動機がない以上、そんなのは何の正当性にもならない。

  でも俺にはセイバーを救うために少女に頼るしかなかった。

 「……文、何とかならないか?」

  文は写真を撮り終えたのか続いて手帳を開いた。

 「ふむふむ。バーサーカーはギリシャの大英雄ヘラクレスでしたか。
  クー・フーリンといい本当に著名な英雄が現界していますね。これは凄い」

 俺の言葉は聞こえていない様子で、少し興奮気味に筆を走らせる。

 「――文!」

 「ふぇ? ……あ、士郎さん、どうかしましたか?」

 俺の呼びかけに気付いた少女は手帳を畳んで体を向ける。

 「どうにかできないのか?」

 「へ? どうにか、といいますと?」

 そんなどうとでも取れる言い方で理解してほしい、とは虫の良い話だろう。
 文に頼むという後ろめたさが、言葉を曖昧に濁らせているのだ。
 足りない言葉で俺の真意を理解してもらおうなんて都合が良すぎる。

 「……セイバーを助けてくれ」

 直接的な言葉を端的に文へ伝えた。
 その言葉を聞いても彼女は表情をぴくりとも変えずに口を開く。

 「彼女たちとはいずれは敵対する立場です。仮にこの場で倒されても何の問題ないと思いますが」

 「だけど……」

 「仮に遠坂さんたちが倒されて、私たちが次にバーサーカーに狙われたとしても、
   あの程度の足ならば軽く逃げ切る自信はありますけど」

 「それに彼女たちも死ぬのも覚悟の上で闘っているのではないでしょうか。
  私たちのように偶発的に聖杯戦争へ参加のとはわけが違います。覚悟も在り方も違うでしょう」

 「だけど……」

 「士郎さんは聖杯戦争に無関係である人間を巻き込みたくない、そう言っていましたね。
  ですが、遠坂さん達は聖杯戦争の参加者です。
  早期に聖杯戦争を終わらせるためには、早期の脱落者が必須でしょう。
  もしかしたら、早く終わることで助けられる人間も増えるかも知れませんよ?」

 文は次々と言葉を並べるが、いちいちもっともだった。

 聖杯戦争のルールの上ではライバルが一人減ることは俺たちに取ってプラスになる。
  巨体に見合わぬ俊敏さを見せるバーサーカーからも文は逃げ切ることも可能。
  遠坂は俺たちなんかに助けられるのを望んではいない。
 それに聖杯戦争が早く終われば、巻き込まれる人も少なくなるかもしれない。

 だけど俺は……。

 「誰にも死んでほしくないんだ!!」

 これは俺の我が儘だ。そんな筋違いで利己的な感情を文にぶつけている。

  文はそれ以上は何も言わずに今も果敢に剣を振るうセイバーへ視線を移動させた。

 セイバーは全身至るところに裂傷を負っている。それでもその目の力は微かにも失っていない。
 それは決して折れることのない彼女の騎士としての誇りなのだ。

 そのセイバーを見遣る文の横顔からは何の感情も読み取れない。

 「……ええ、マスターである士郎さんのお願いです。何とかしてみましょう。
  私も本気で聖杯戦争に参加しているわけじゃありませんしね」

 そう言うと、彼女はどこか余裕を感じさせる微笑を口許に浮かべた。

 「これ、持っててください」

 カメラを俺にそっと手渡した。
  彼女が大事に扱っているであろう商売道具だ。万が一にも落としてしまわぬよう両手で受け取る。

 カメラを手放した少女の右手には、いつの間にか葉団扇が握られていた。
 八手の葉で作られたその扇は天狗の象徴ともいえるものだったはず。

 そして、葉団扇を大きく振りかぶると、勢いよくバーサーカーに向かって扇いだ。
  ――扇より弓状の刃が発生し、そのままバーサーカーへと襲いかかる。

 その風の刃は闇を切り裂いて、バーサーカーの頭部へ随分と呆気なくぶち当たった――。
 それも当然だ。今は誰もが俺たちのことを警戒していなかった。

 風の刃があの巨体をよろめかせる。

 トラックと衝突しても、微動だにしなさそうな化け物だ。
  あの刃には相当な魔力が秘められていることが容易に想像できる。

 だが、その文の刃を不意打ちで喰らったが、バーサーカーは傷一つ負っていなかった。

 「……ふむ、やはり効きませんか。予想はしていましたが、ちょっとショックですね」

 そんな文の声が届いた。
  だが、姿がどこにも見あたらない。 ついさっきまで俺の隣にいたというのに。

  声の出所を追ってみると、文はイリヤスフィールの真後ろに立っていた。
  少女の細い両肩へポンと手を置く。

 「えっ!?」

 イリヤスフィールがあり得ないはずのない後からの声に振り向こうとする。
  ――だが、少女の首に掛かった文の細い指が優しくそれを阻む。

 「イリヤスフィールさん、貴方は前だけを見ていてください」

 ……少女は身を強ばらせる。その矮躯は恐怖と緊張によって硬直した。

 『聖杯戦争において、マスターはサーヴァント以上に狙われるものだ』
 ――ふと、教会で聞いた言峰綺礼の言葉が脳裏をよぎった。

 (まさか!! 文はイリヤスフィールを殺すつもりじゃ!?)

 「バーサーカー!!」

 イリヤスフィールが悲痛な声で叫ぶ。それはまさに子が親に助けを求める声だった。

 バーサーカーは動けない。
 彼は理性を失った狂戦士だが、自分が動けばどうなるか理解しているのだ。
 バーサーカーはマスターを守れなかったことへの怒り、
 そして、マスターを脅かす文に対する怒りでこれまでにない凄まじい咆吼を上げる。

 『■■■■■■ッッッ!!!』

 ――それはもはや爆発であった。
 セイバーですら、バーサーカーに咆吼に気圧されて剣を止めてしまう。
 それでも文は並の人間ならショック死をしかねない殺意を直接受けながら平然としていた。

 「イリヤスフィールさん、私は瞬きをする暇すら与えずに貴方の首をへし折れます。
  貴方が魔術を行使する前に、バーサーカーが私を斧剣で潰す前に、です」

 文はイリヤスフィールの返事を待たずに話を続ける。

 「それにこれほどの大英雄――。
  マスターである貴方が死んでしまえば、数分も現界できないのではないでしょうか」

 「……それだけあれば充分だわ。私を殺した瞬間にバーサーカーが殺すわよ」

 イリヤスフィールはすぐ後ろにある死に対して、気丈な声で答えた。

 「いえ、貴方を殺した後でもバーサーカーから逃げられる自信が私にはありますよ」

 誇張を感じさせない文の矜持。

 そして、それは事実なのだろう。
  文は牽制攻撃の直後、僅かな隙を突いてバーサーカーの脇を通り過ぎ、
  イリヤスフィールの後ろへと回り込んだのだ。
  不意を突けば、サーヴァントすら捉えられないほどのスピード。

 それがどういうことなのか、イリヤスフィールは理解する。
  少女の白磁のような顔は更に血の気が引いて、蒼白となった。

 「ええ、イリヤスフィールさん。──貴方の負けです」

 冷酷に告げた文がイリヤスフィールの首に指を食い込ませようとする。

  ふと、イリヤスフィールが俺を見た──。
 すべてを諦めたような、年頃の少女に似つかわしくない儚げな表情。

  雪を連想してしまう儚さだった。

 「文!! 止めろ!!」

 自分でも理不尽なことを言っているのはわかる。
 セイバーを救うのには、バーサーカーか、そのマスターであるイリヤスフィールを殺すしかない。
  ならばバーサーカーを狙うよりもマスターである少女を狙った方が勝機は確実に高いのだ。

  文にセイバーを助けてほしいと言ったのは俺だ。だとしても! 俺は、俺は……!

 その制止に文は俺だけにわかるように小さくウインクをしてみせる。

 そして、文は少女の首に軽く掛かけていた手を肩に再び置く。

 「負けですけど、ここは引いてもらえませんか?」

 「……え? どういうこと?」

 取り巻く雰囲気が変わったことを察したのか、イリヤスフィールは首だけ振り向いた。
 文の身長が高いので、文に送る視線は自ずと上目遣いの形になる。文は少女に険のない朗笑を浮かべた。

 「言葉通りです。私のマスターである衛宮士郎さんが、そうしてほしいと言っています。
  どうやら貴方に死なれてほしくないみたいなんですよね」

 それは俺の矛盾に満ちた意向を汲んでくれた言葉だった。
  その言葉にイリヤスフィールは何故か驚きを隠せないように目を丸くする。

 「エミヤ、シロウ。
  ……ふぅん。エミヤシロウがそう言うなら仕方がないか。
  ──いいわ。今夜は帰るわよ、バーサーカー」

 彼女はバーサーカーを至上としている。
 退いて欲しいという言葉に応じてくれるとは思えなかったが、それは杞憂に終わった。

 ──そんな少女が俺の名前を拙い発音で、だけど嬉しそうにの紡いでいたのは気のせいだったろうか。








 後書き

 これにてバーサーカー戦は終了。
  原作通り、イリヤは森へ帰って行きました。良くやった。

 今回は初めて射命丸さんが攻撃しました。
 大本のプロットだとかなり長い期間、傍観者に徹させるつもりでしたが、
  流石にそれだとクロスにした意味がないので初日から戦闘(脅迫?)。

 扇から発生した風の刃ですが、これは緋想天のデモで使った射撃を参考にしました。

  にしても、緋想天が出ると格闘向きのスペルがわかるんだよなぁ。
  発売前にいろいろとやってしまうと、後で取り返しの付かないことになりそうだ。

 あと、あの一本足でのバトルはどう表現したらいいんだろうか(笑
  
 2007.6.21

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