リベンジ オブ 花魁淵(おいらんぶち)


-花魁淵-

戦国時代、花魁淵からほど近くにある鶏冠山は武田家の隠し金山があった。
その後、武田家の滅亡で金山は閉鎖となり、金山の鉱夫のために働いていた遊女を機密保持のため、宴と称して遊女たち55人を花魁淵に集め皆殺しにされた。

その殺害方法は凄惨で、宴と偽り遊女たちを集め、沢の上に宴の舞台を作り、 舞台の上で遊女たちが舞を踊っている最中に、舞台を吊っていたツルを切断し、舞台ごと遊女たちを沢の淵に落とした。 遊女たちが落ちた沢は下流の方まで血で赤く染まったという。

―――その由来から、この場所を花魁(遊女)淵と呼ぶようになった。




前回8月20日に行ったときは崖崩れにより通行止めだったので、花魁淵にはたどり着けませんでした。 9月の上旬に崖崩れの規制が解除されたので、9月10日、2回の挑戦です。

花魁淵までの行き方は、山梨県塩山市を走る国道411号線を東京都の奥多摩方面に登り、 外灯も一本もないような曲がりくねった峠道を10数kmほど車で走らせると、道の脇に花魁淵はあります。 一ノ瀬と丹波山村の境目辺りですね。道沿いに慰霊塔があるので注意して運転すれば車からでもすぐ見つかると思います。

今回は前回とは違い、それなりに下調べをしたため、何事もなく到着しました。
道路のすぐ下に渓流の流れる音が耳に届きます。この渓流に遊女たちが落とされたのでしょう。多分。

慰霊碑

これが、花魁淵に建てられている慰霊塔。
花魁淵に行ったことがあるサイトではよくこの写真が掲載されています。この慰霊塔を見て兼ねてからの悲願であった花魁淵に辿り着いたんだなぁと感慨。

慰霊塔に付着している赤いものは、どこぞのアホがいたずらにスプレーで塗りたくったものだと思います。誰だか知らないけどそんなことをする奴は死ねばいいのにね!

たいむいずまねー

慰霊塔の根本の写真。
供養のためか、小銭が大量に置かれていました。私は一円も置きませんでした。

かんばん

花魁淵の伝説が書かれている看板。右側がごっつ錆びています。
ほかのサイトの写真では錆びている様子は全くなかったので、ここ数年で急激に錆びたのかな。 ちなみにこの看板を写真に撮ると、帰りに事故に遭うといういわくがあります。特に遭いませんでした。

沢?

慰霊塔の脇に渓流を見るための道があったので、降りてみました。 写真に映っている白いものは沢に落ちないためのフェンス。……遊女たちが落とされたという渓流は暗くて何も見えませんでした。渓流の流れる音はよく聞こえるんですけどね。


▼雑感

私はここ数日の睡眠不足がたたっていたため、怖いというより眠かったです。 それに山道といっても国道沿いにあるので、あまり怖いという感じではなかったですね。 つい最近まで長期に渡っての崖崩れ工事があったので花魁淵のすぐ先に工事中のランプがピカピカ光っていました。雰囲気台無し。かなりぐたぐた感が漂っていました。

前回は花魁淵にすら辿り着いてもいないのに、一ノ瀬周辺の脇道だけでビビっていたのは何故なんでしょうか。


▼追記

上記までのレポートは9月11日に書かれたものですが、今日12日に追記します。

花魁淵で撮った写真は上のものだけではなく、そのほかにも幾つか撮ったんですが、 その写真を眺めていたら一枚だけ何かおかしなものが写っていました。低解像度だとわかりにくいので、未加工の高解像度版をリンクさせておきます。

写真はこのレポートの一枚目にある慰霊碑の左側から撮ったものです。

ガクブル

右上に青白い人の顔のようなものが写っているように見えます。

ちょっといかにも過ぎる心霊写真(?)なので嘘くさいですが、写真には何の細工もしていません。
この場所の状況説明をすると、時間は20時前後、天気は晴れ。写真の左側に当たる場所は木が鬱蒼と生い茂っており、 右側は国道に面していて何もない空間でした。道路があるだけで木などは一本も生えておらず、それらを見間違えということはないでしょう。その下の明かりは崖崩れ工事のランプですね。

そもそも外灯も一本もないような場所です。
私のぼろい携帯デジカメでは車のライトを当てても数m先しか撮れないぐらい暗いので、狙った被写体以外はそう簡単に撮れるはずはないと思います。

私は無宗教で無神論者で幽霊なんて全く信じていないんですが(なら心霊スポット巡りなんてするな)、 そんな私でも何だかイヤーンな感じです。この写真を見つけた時は一瞬キモが冷えました。

……何事もなく終わったと思ったのにまさか最後にこんな落とし穴があるとは思いませんでした。 点が3つあれば顔に見えるという輪郭誘導現象であればいいなぁ。……物理的に写るものは何もないけどね!


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