「文々。異聞録」 第1話






  ――人にて人ならず 鳥にて鳥ならず
  ――犬にて犬ならず 足手は人
  ――かしらは犬 左右に羽根はえ 飛び歩くもの























 土蔵の滞留し澱んだ空気が、一瞬で突き抜ける突風へと変質した。

 「こんにちは、召喚主さん。
   ……あら? 今はこんばんはですかね。まぁどっちでもいいや。
  ええと、私は射命丸文といいます。以後お見知りおきを」

 そう明朗な言葉を紡いだ眼前の少女は、仰臥する俺に対して、ぺこりと頭を下げて会釈をする。
 左手の甲に焼き鏝を押し付けられたような痛覚が走った。
  そんな思いも寄らない痛みに顔をしかめたくなったが、今はその余裕すらもない。

 かといって、俺にできることは誰もが吹き出すような間の抜けた顔で少女を見上げているだけ。

  目の前には、一人の少女――。
  それ以外には呼べない程度の女の子が、前屈になって俺の顔を覗き込んでいる。

 魔術鍛錬の場として日頃から慣れしたんだ土蔵に、見知らぬ少女。
 より正確に状況を伝えるのであれば、何の前触れもなくいきなり現れたと言うべきだろうか。

 そんなことは、決してあり得ていい話ではない。
  だが今日はそんな、現実ではあり得ないことばかりが続いているのだ。


 ――ああ、今夜は本当に奇妙なことが続く。




 ――――――――――




 全ての発端は学園の下校時刻。
  友人である慎二に弓道場の掃除を快諾したことだっただろうか。

 事情があって今は辞めてしまったが、元部員ということあって愛着のある道場だ。
  そう思って、俺は入念に部室の掃除を始めた。
  その甲斐あってか、誰もが納得のできる程度には終わらせられたと思う。

  既に道場の外は薄明すらも消え失せていて、冬木の町は深い闇のなかへと沈んでいた。
 そして、さっさと帰宅しようと昇降口に向かった時だった。

  ……あれはおそらく見てはいけない類のものだった。

  学園の校庭だった。
  そんな有り触れた場所で。
  数分前の日常から切り離されてしまったように。

  神話から飛び出したような戦いを繰り広げる二人の存在がいた。

 一人は剣、一人は槍を携えた男。

  身に纏う服飾すらも、とても現代のものとは思えない。
 奇妙な風体だと断じてしまいたいが、不思議とその身形にはなんら不自然さを感じなかった。

  その光景からずるりと音を立て、衛宮士郎の日常は大き崩れだした。

 彼らは人間の肉眼では捉えられない速度で己の凶器を重ねあわせ、火花が散らせた。
  そんな光景に全身の肌が粟立つ。
  逃げ出すことも身を隠すことも胸中から忘却して、剣戟の極地に魅入ってしまう。

  思えばそれがいけなかったのだろう。
 ふとした拍子に物音を立ててしまい、槍を持つ青い外套の男に気づかれてしまった。

  男はジロリと、こちらの方角を見やる。

  足を地面に擦り合わせた程度の小さな音だというのに。
  そんな極限とも言える戦いの最中でも、周囲には気を配らせていたのだ。

  目は合わせられない。合わせてはいけない。
  目を合わした瞬間に、俺の足は恐怖によって固まってしまう。
 俺という目撃者に気付いて、戦いを中断された。
 熱波とも呼べる戦闘の空気は消え失せて、一瞬にして夜の静謐な空気へと様変わる。

  その直後、槍の男の持つ圧倒的な殺意が俺の方へと向けられた。
 戦いを中断した目的は。
  それは俺という目撃者を消すためだと、否が応でも察してしまった。

  こうなれば恥も外聞もなかった。

  脇目も振らずに全速力で逃げる。ただ無心で走った。
  しかし姿は見えなくても背中に感じる男な存在感からは逃げられなかった。


 そしてあっという間に追い詰められた俺は校舎のなかで男に襲われる。
 些細な抵抗もむなしく、男の持つ2メートルはあろうかという、真紅の長槍。

  ――その槍に容易く胸を貫かれてしまう。
  そう、あの時俺は間違いなく殺されたはずだ。……だけども意識を取り戻した。

 槍で開けられたはずの胸の孔がない。口中には鉄の味が広がり、制服は己の血で染まっている。
  それらがあの悪夢が現実のものであると教えてくれた。
 茫洋とした意識のなか、血に汚れた廊下をモップで拭き取ると、何もかもが曖昧なまま家路につく。

 …………。

 ――しかし帰宅した直後、あの悪夢が再来する。
  俺を殺した男が再び姿を現したのだ。殺した俺をもう一度、殺すために。

 男の辣腕から振るわれる槍を、出来損ないの強化の魔術で辛うじて凌ぐ。
 その出来損ないの強化の魔術が、俺の持ちうる唯一のカード。

  だけどそのたった一枚きりのカードですら、本当に辛うじて命を長らえさせることしかできない。
  絶望的で圧倒的な実力差に、戦いは児戯にすらなっていなかった。
 見え透いた手加減を、俺は男にされていた。さも可笑しそうに笑みを浮かべる。

  そんな明らかな手加減を受けても尚、ここまで耐えられたのは奇跡的としか言いようがない。
 魔術で強化しているが、丸めたポスターなんかではそれこそどうしようもならなかった。

 かわりに武器になるものはないかと、必死で土蔵に転がり込んだその時だった。
  外気から遮断されたはずの土蔵が、目を開けていられないほどの眩い光に包まれた。












 ――――――――――


















 そして俺の目の前には、射命丸文と名乗る少女がいた。
 年の頃は俺と同年代……、いや、二つか三つぐらいは幼く見える。

 肩まで伸びた烏黒のショートカット、好奇心に満ちた忙しなく動く赤い瞳。
  顔立ちはまだ幼いと言えたが、息を呑むほどに端麗で理知的だった。

  清潔感溢れる袖の長い、白のブラウス。
  襟には黒いリボン、腰元は細いベルトで飾られている。
  リボンと同色のミニスカートは、縁をフリルであしらい、高級感を演出している。
 なんてことはない。そこまでは一般的な服装と言えよう。

 ただ異様だったのは、頭に頭襟と呼ばれている多角形の帽子を付けていること。
 そしてとてもバランスが取れそうもない長い一本歯が生えた赤い靴を履いていることだ。

 その奇妙な出立ちをした少女は、興味深げに薄暗い土蔵の周囲を見渡す。
  俺と目が合うと、口許に愛想の良い笑みを作った。

 「ふむ、ここは室内ですね。えっと、あなたの家ですか?」

 「……あ、いや。そうだけど」

 少女の声には何の緊張も感じさせない。
 ただ俺は少女の存在に呆気に取られてしまい、随分と間の抜けた返事をしてしまう。

  彼女の言うとおり、ここが俺の家の一部であることには間違いないだろう。
  だけど、ここはガラクタだらけの土蔵だ。
  この少女に誤解を招くような返答をしてしまったかもしれない。

 「いろいろと見慣れないものがあります。
  外の人間はこんな暗く、ゴチャゴチャしたところ住むんでしょうか。
  ……いやいや、とても興味深いですね!」

 俺に言い聞かせるように言葉を呟く。
  これまでの空気が一転して、少女の影響により酷く弛緩した気がした。

 しかし、背後からは槍の男が放つ野獣めいた重圧を変わらずに感じている。
 少女もそれを感じ取ったのか、俺の肩越しから土蔵の外を覗いた。

 「ん? 外にもどなたかいますかね」

 その異様な一本歯の靴で、少女は自然に歩き出した。
 まるで自らの足の一部であるかのように履きこなしている。

 ……いや、ちょっと待て。
  一体、彼女はどこに行こうとしているんだ?

 この少女は、俺が外にいる男に襲われたなんてことは知りはしないだろう。
 目撃者としての俺を始末しようとしているのならば、俺だけではなく彼女も危険に晒される。
  だったらこんなことせずに、彼女を今すぐに止めなければならない!

  しかしこの状況をどう説明していいのか、頭のなかで言葉がうまく纏まらない。
  そうやって悠長にまごついているうちに、彼女は土蔵の外へと体を晒し出していた。

  ……くそ! こんな時だというのに俺は何をやってるんだ!

 「おい! 今すぐ戻ってくるんだ!」

 投げ掛けた言葉はもう彼女には届いていなかった。
  慌てて立ち上がると、踵を返して土蔵の外へ彼女を姿を追う。
 だがしかし、少女は既に青い外套の男と対峙していた。

 長槍を肩に担いだ男は、上から下へと少女の姿を舐めるように観察する。
 男は待ち焦がれていた相手との逢瀬が果たせたかのように酩酊して見えた。

 「ハ、そうこなくちゃならねぇ。
  目撃者のガキを殺すなんて気の進まねぇことから一転して、まさかサーヴァントと戦えるとはな。
  ククク、待った甲斐があったぜ。……で、おい。てめえのクラスは何だ?」

 男の奇妙な問いかけに、少女は訝しげな表情を返す。

 「サーヴァント? クラス? ……何のことでしょうか?
  それよりも私は、貴方がやる気満々なのが気になるところですが」

 少し考え込む仕草をとると、少女は男との間合いを無防備に詰め寄る。

 「私、射命丸文と言います。
  ブン屋なんてものをやっていまして『文々。新聞』という新聞を不定期発行しています。
  個人で弱小なんですけどね。……あ、これ名刺になります」

 そう言って彼女は胸のポケットから名刺を取り出して、目の前の男に差し出した。
 男はそれに一瞥を与えるだけで、受け取る様子はない。

  さっきまでの酩酊した表情を一転させ、担いだ槍を横一文字に切り、臨戦態勢を取る。
 獣のような滾った眼光は怒気を孕んでおり、プレッシャーを更に押し出す。

 「得物を出せ。構えろ」

 「あややや。お気に召しませんでしたか」

 少女は男の挑発的な態度に気にした様子を見せない。
  だが名刺を再び胸のポケットに仕舞うと軽々とした身のこなしで、男との間合いを取った。

 「何が何だかわかりませんが、まぁそうですね。弾幕ごっこなら望むところです――!!」

  少女が男の重圧に呼応した。その瞬間に理解する。
 この少女もまた男と同様にまともじゃない。
  直接対峙していない俺にも伝わる、肌を鋭い針で刺すような存在感。

 それに彼女の放つソレは男のものは本質的に違う。
  男の放つ重圧は、人の限界を限りなく超えたものだったが、まだ人間味のあるものだった。

  だけど、この少女は男のプレッシャーとは根幹から違っていた。
  人間味なんて呼べるような、生やさしいものじゃない。

  ……人間として本能というべきものなのか。
 こんな小柄な少女に対して『早く逃げろ。――われてしまうぞ』と警鐘すらも鳴らしている。
  青い外套の男以上の、得も言われぬ緊張を俺は覚えていた。

 先ほどまでは場違いと思えた少女だったが、彼女はあの男と別種であって同種の存在だった。
 ただの人間にしか過ぎない衛宮士郎こそが、この場で最も相応しくない存在だった。

 突然、強い風が吹いた。
  風が彼女の周囲を取り巻いて、力強い音を上げる。

 「心地いい空気だ。さっきまでとんだハズレだと思っていたが、とんでもねぇ。
  心の底から訂正するぜ。こうして相対するだけで外見からは想像できねぇ凄味が伝わってくる」

 男の眼が一層鋭くなり、槍を構え直す。

 「いえいえ、あなたほどの気迫を出せる人もそうはいませんよ。
  明確な殺気であるのにドロドロしたものがなく、透き通るような心地の良さです」

 「……戦ってのは国同士のいざこざから始まるものだ。
  だがな、国の駒に過ぎねぇ戦士はそんな確執とは無縁に闘いを楽しみたいもんでね」

 「すばらしい信念ですね。……やはりあなたのお名前をお聞きしてもいいですか?
  繰り返しになりますが、私は射命丸文と言います。
  私が尋ねているのは格式とか、しきたりとか、そんなややこしい作法からではありません。
  弾幕ごっこ――いえ、喧嘩とはそういうものでしょう?……貴方にはわかると思いますけど」

 男は少女と言葉を交わすと、何か考えるそぶりを見せた。
  そして迷いを感じた表情は一瞬で消え去り、真紅に染まる長槍の矛先を少女に向ける。

 「クラスはランサー。そして、貴様の倒す者の名はクー・フーリンだ! ――来やがれ、射命丸!」

 クー・フーリン。

  その名前はクランの猛犬と呼ばれたアイルランドの英雄の名前だ。
 あり得ない話だが、男がクーフーリン本人ならば、あの槍は魔槍ゲイボルグということになる。
 あの槍を構成する理念と神秘は間違いなく、海獣の骨で作られたゲイボルクそのものとしか思えない。

 だったら、あの男は本当に……。

  俺と同じく、少女も男の名前に驚きを隠せないようだった。

 「クーフーリンさんですか。……聞いたことのある名前です。
  外界とは隔絶された幻想郷にも届くほどのビックネームの方でしたか。ふむふむ」

 そう言って、少女は後ろを振り向いた。

 その先にいる俺と目が合う。
  夜陰に赤く怪しい光を灯す瞳に、体が反射的に反応してしまう。
  悪戯っ子のように細められた瞳には『いきますよ』と語っていた。

  少女の口許には、屈託のない微笑を浮かべている。
  そんな童女のようなあどけない笑みに胸が微かに高鳴る動揺を覚えた。






















 ――――――――――






























  ……瞬息ともいえる程度の動揺だったはずだ。
  気づいたときには、俺は深山町の夜景を俯瞰していた。
 二月の猛烈な寒気が露出した肌に突き刺さる。鼓膜に響くのは濁流のような風音。

  俺は今明らかに空を飛んでいる。
  一体ここは上空何メートルなんだろうか。
  少なくとも100メートル以上であるのは、間違いないだろう。

 今さっきまで俺は、土蔵の入り口の付近に立っていたはずだった。
  それが何故か瞬きにも満たないコマ落ち程度の一瞬で、その遙か上空にいる。

  これは夢ではないだろうか。
  そう思いたかったが、肌に感じる寒気は紛れもない現実であると冷酷に告げている。

 この疑問に答えてくれる者はいないかと首を傾けると、密着した距離に黒髪の少女がいた。
 ……どうやら俺は、射命丸文と名乗る少女に抱きかかえられているようだった。

 そして、彼女の背中にはこれまで存在しなかった黒染めの翼が生えていた。
  まるで烏のような漆黒の両翼が、冬木の宵闇に溶け出していた。

 「ではでは、召喚主さん。
   貴方はどういう理由かは知りませんが、あの人に襲われていたみたいですね。
  だったらここは私が一肌脱いで、なんとか撒いてみせましょう。
  ……おー、怒ってます、怒ってますよ。何をそんなにムキになっているのでしょうかね」

 少女は俺の家の辺りを見下ろして、ケラケラとさも可笑しそうに笑う。
  やはりそれは、童女のような笑みだった。
  だけど、悪戯に成功して浮かべるような悪質なものだったが。

 俺も視力を魔術で水増しして、目眩のする高さから庭を見てみた。

  そこには大地を削り取る勢いで地団駄を踏み、俺たちに指さして何かを叫ぶ男の姿があった。
 ……その激高した面持ちは、今にもその手に持った槍を投げかねない勢いだった。

 「では、これからよろしくお願いしますね、召喚主さん。
  あ、名刺いりますか? 記念すべきこの日の為に作ったんですけど……」

 僅かな逡巡。

 「あやや。両手塞がって名刺が出せません」

 さも残念そうに項垂れる。彼女の両腕は俺を抱えるために使えない。

  今、俺がどんな体勢で抱えられているか、それを説明したい。
  この体勢は世間一般でお嬢様だっこと呼ばれるものだったと確か記憶している。

 「……ちょっとだけ、手を離してもいいですか?」

 「なんでさ」



































 後書き

 Fateと東方のクロスオーバーSSです。
 我ながらどうかしているものを書いています。

 東方とFateのかみ合わせの悪さは重々承知ですが、何とかやっていこうと思います。
 ……東方キャラは射命丸以外は召喚されないです。出ても名前ぐらいかな。

 クロスにありがちなパワーバランス崩壊だけは気をつけたいと思います。

 2007.6.11

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