「文々。異聞録」 第3話





 「――お帰り、衛宮くん。その様子だと大丈夫そうね」

 公園から家に帰ると穂群原学園のアイドルである遠坂凛が居間でお茶を啜っていた

  なんでさ。

 遠坂は普段見慣れた制服姿ではなく、赤を基調としたセーターと黒のスカートという私服だ。
 ロータイプの食卓には、茶箪笥の奥に隠してあったはずの一番高級な茶筒が置かれており、
  その茶葉で入れたであろうお茶を我が物顔で美味しそうに飲んでいる。
 ……藤ねえでも見つけられなかった茶葉なのによく探し当てたなぁと混乱した思考で感心していた。

 クー・フーリンに襲撃された時に割れた窓ガラスが全て元の状態に戻っており、
  周囲を注意深く見渡すも、あの時の惨状の形跡はどこにも見あたらない。

 いつもの俺の家だった。尤もここに遠坂がいることを除けば、だが。

 ……実は窓ガラスは元から割れてはおらず、あの出来事はすべて夢ではないだろうか。
  そして今の状況も現在進行中で夢の中なのに違いない。
 密かに憧れている遠坂が、俺の家の居間で茶を楽しんでいるなんて不条理が過ぎる。

 (おーい、衛宮士郎。いい加減目を覚ましたらどうだ?)

 「どうしたの? 鳩が豆鉄砲喰らったような顔して。……ま、あんたの家だから別にどうでもいいけど」

 どうでもよさそうに嘯くと湯飲みを食卓に置く、一息つく。

 「……そうね。
   いろいろと言いたいことはあるけど、まさか衛宮くんが魔術師だったとはね。
  土蔵にサーヴァント召喚の形跡があって驚いたわ。
  あんたがランサーに襲われていると思って急いで来てみたら誰もいなくて、
  それから3時間も待たされるとは思ってなかったわよ」

 遠坂がまだ変なことを言っている。
 だけど、その言い方だとまるで遠坂が魔術師みたいじゃないか。

 思い返せば、家に明かりが付いていたし、玄関に見覚えのない靴が一足あった。
 その程度の事も気づけないほど、頭が回らなかった自分に内省する。

 ……しかし、学園での遠坂とは違ってかなり砕けた口調だ。
 こっちが本性だとすると俺の知っている遠坂は猫を被っていた事になる。

 「で、衛宮くんのサーヴァントはどこなの? 敵対する魔術師を前にずいぶんと余裕ね」

 遠坂の言うことはやはり理解できない。どうも何か俺が知っているのを前提で話しているように思える。

  だが、この場でもっとも余裕のある人物は人の家で秘蔵の玉露を
  飲みながらくつろいでいる遠坂であるのは間違いない。……怖そうだから、突っ込まないが。

 ――そんなとぼけたことを考えていると、後ろから軽快な足音が聞こえてきた。

 「いやいや、もしやと思いましたが、やはり土蔵にありましたね。
  私としたことが仕事道具を忘れてしまうなんて、職業意識が足りないのでしょうか」

 『忘れ物を思い出しましたので、先に行ってください』

  玄関先でそう言い残した文が照れくさそうに俺の背後から現れた。
  肩にはその忘れ物と思われる子供ぐらいなら入りそうな大きな鞄を軽々と掲げている。

 下駄のような靴を脱いだ為か、あまり背の高くない俺よりも頭一つ分は小さい。
  桜と同じか、それよりも小さいぐらいじゃないだろうか。
 ここまで小柄な体で俺を持ち上げていたという事実に改めてちょっとショックを覚える。

 「あ、士郎さんのご家族の方ですね。初めまして、私、射命丸文と言います」

 その形の良い口から出てきたのは大いなる勘違いが含まれた挨拶だった。

 「……いや、遠坂は家族じゃなくて、俺の通っている学園の同級生だ」

 遠坂に悪いし、ここは訂正するべきだろう。それよりも重大な問題が幾つかある気もするが。

 「あれそうなんですか? それはそれは失礼しました」

 突然現れた少女に遠坂は目を鋭く細める。まるで真贋を見定めるような目付きだ。
  文はそれを何の事やらわからないと言った様子でのほほんと受け流していた。

 「もしかして、その娘が衛宮君のサーヴァントなの?」

 余裕の姿勢を崩さないが、遠坂は警戒を露わにする。
  尤も文はまだ場の空気が読めていないらしく、首をかしげているのだが。

「でも見た感じ幽体じゃなさそうだし、そもそも真名を隠さないサーヴァントなんて……」

  誰に言うまでもなく遠坂は独りごちた。
 俺たちは遠坂の言っていることの要領を得ないため、会話が全然噛み合っていない。
 それに遠坂の口から『サーヴァント』という単語を何度も聞くが、一体なんのことだろう。

 だが、それよりも一番に氷解したい疑問を遠坂に投げかける。

 「遠坂はもしかして魔術師なのか?」

 そういうと遠坂は俺たちと同じか、それ以上に困惑して見せた。だけど俺は無視して話を続ける。

 「俺は、いや俺たちは自分の置かれている状況がわかっていないんだ。
  今冬木市に一体何が起きているんだ? もしかしなくても、遠坂は何か知っているのか?」

 なるべく真剣な表情を作って遠坂に詰め寄るように疑問をぶつけた。
  隣で何かを考えていた文が納得したようにポンと手を叩いた。頼むから空気を読んでほしい。

 「『召喚された者』という言葉を聞いたのはあの青タイツ男と合わせて二回目です。
  状況から察するに『召喚された者』とは『召喚された者』を指す言葉ではないでしょうか。
  だとしても『召喚された者』は直訳すると『奴隷』と言う意味です。随分な呼ばれ方ですね」

 『サーヴァント=召喚された者』……。そう当てはめると確かに今までの出来事が繋がってくる。

 ……今の遠坂の状態を表すのに絶句という表現が最も適切だろう。そこまで変な事を言ったのか俺たち。
  立て膝を付いて考え込むと、俺たちの腹の内を探るようなポーズを見せる。

 「……どうやら本当に嘘を言っている様子じゃなさそうね。
  この調子だとあなたたちもしかして『聖杯戦争』すらも知らないとか?」

 俺と文は顔を見合わすが、互いに苦笑いをするだけだった。なんだかちょっと照れくさい。
 その様子をみた遠坂は今までの緊張を若干解いて、呆れるように深いため息を吐く。

 「はぁ……。本当に知らないようね。
  『セイバー』は召喚されたサーヴァントには聖杯から知識が与えられると言ってたのに」

 湯飲みに残るお茶を飲み干すと、気を取り直すように居住まいを正した。

 「衛宮君の質問だけど、私は確かに魔術師よ。冬木の土地を管理するセカンドオーナーをやっているわ。
  あんたも魔術師なんだから、同じ土地に住む同業者は知っておきなさいよ。ズブの素人じゃあるまいし」

 強化の魔術しか使えない半人前なんだけどな、と言いかけるが、話の腰を折りそうなので黙っておく。
 文は肩の大きな荷物を畳に降ろし、遠坂の話を興味深げに手帳へと書き写しだした。

 「とにかく、今この冬木は聖杯戦争が勃発しているわ。
  魔術師とその魔術師によって呼び出されたサーヴァントによる聖杯を賭けた戦い。
  それが私たちの間で聖杯戦争と呼ばれているの。そして、賭けるチップは自分の命よ――」


 ――――冬木には聖杯という人々の願いを叶えられる願望機がある。
 聖杯は数十年に一度のペースで顕現し、
  その聖杯を得ようとする7人の魔術師によって聖杯戦争が起きるのだという。

 魔術師は聖杯の力を借り、7つのクラスに嵌められたサーヴァントと呼ばれる過去の英霊を召喚。
 令呪により己のサーヴァントを使役して、残りの一組になるまで殺し合いを続ける。

 そして、残った魔術師とサーヴァントが聖杯を手に入れ、願いを叶えられることができる――――

 ……遠坂の話を簡単にまとめるとこうだ。
  そのふざけた話の内容に頭が熱くなり、堅く握られていた拳に爪が食い込み、血がにじみ出した。

 ――ふざけてる。
 自分の願いをかなえるために、命を奪い合うだって!?
  俺たちはそんなくだらないものに巻き込まれたというのか。

 俺と文は今食卓を挟む形で彼女の話を聞いていた。
  隣に座る文は遠坂の話に特に驚いた風もなく、鷹揚とした様子で関心を示す。

 「ふむ、興味深い話でしたね。これまでの事が一本に繋がりました。
  いろいろと疑問解決で今夜はぐっすり眠れそうです」

 ふんふんと頷きながら、軽快なリズムで筆を走らせ手帳に話の内容を纏めていた。
 しかしここで文は何か気づいたのだろうか、ピタリと筆を止めた。
 
 「……しかしですね。今の話によると、私たちと凛さんは敵対した立場です。
  仮にこの場で私たちに襲われる可能性を視野に入れなかったんですか?」

 文の疑問はもっともだ。
 サーヴァント召喚の痕跡をみた遠坂は俺たちが、ここまで何も知らないとは思っていなかったらしい。
 ならば、遠坂凛に取ってみれば衛宮士郎は敵対するマスターと考えるのが妥当だ。

 文の言うとおり、敵陣である俺の家で待機する理由はどこにもない。

 遠坂は一寸間を置き、こう答えた。

 「ええ、大丈夫よ。だって、私たちは元々その見込みでここにいるのだから――」

  遠坂が意地の悪い笑みを浮かべた。
  
  背面からガタンという物音。
  途端、家に貼られていた結界が警報を鳴らす。

 「士郎さん!」

 隣の少女が声を荒げた。
 その呼び声が耳に届いた瞬間、俺の首に何かが宛てがえられていた。
 ――それは不可視の刃だった。目には見えないが、氷のような冷たい感触が首筋に伝わる。

 今、俺のすぐ後ろに誰かが、いる。

 「動くな。お前の命は私が握っていると知るがいい」

 文や遠坂とは違う少女の気丈で張りのある声。しかしそれは気高さとともに殺意を孕んだ声だった。

 「そこのサーヴァントも同様だ。少しでも妙な動きを取ると貴様のマスターの首が飛ぶことになるぞ」

 背後から伝わるこの万人にも及ぶこの圧倒的な存在感。
 それを今まで隠蔽し、結界にも反応しないようどこかに身を潜めていたのだ。

 「――凛、このまま切り捨てますか?」

 カチャリ、と鍔の鳴る音。首筋から鋭い痛みが走る。
  少女の持つ不可視の刃の正体――、それはおそらく剣だろう。
 それにこの剣には覚えがあった。
 学園の校庭で槍のサーヴァントのランサーと対峙していた少女の振るっていた不可視の剣に違いない。
 だとすると俺の背後にいるのは、あの場所にいた少女だということになる。

  そして遠坂曰く剣の英霊であるセイバーは聖杯戦争における最良のサーヴァント――。

 「私は最良のサーヴァントであるセイバーを引き当てた。
  アサシンでもない限り、サーヴァント同士が接近すれば互い気配で分かるらしいけどね。
  あなたのサーヴァントは特殊なのかしら。こんな手段が簡単に執れるなんて」

 そう言って、遠坂は大きく息を吐き出す。
 その顔は今までの険しいものではなく、溜飲を下げたようにすっきりとしている。

 「セイバー、剣を納めて」

 「ですが、これは好機です。
  ……無礼を承知で進言します。この機会を見逃すのは愚策でしょう。
  当初の予定通り、このままサーヴァントともどもここで仕留めるべきです」

 「衛宮くん程度なら、いつでもやれるわ。
  たった今し方、聖杯戦争を知ったばかりのこいつらをここで殺るなんてフェアじゃないし、
  それに聖杯戦争に参加するかどうかも衛宮くんの口から聞いていない」

 「……わかりました」

 セイバーは渋々と俺の首に当てた剣を引く。
  そのまま遠坂のすぐ側へ移動をし、臨戦態勢を取る。
 少女は魔力で編まれた西洋風の甲冑を着込んでおり、俺が校庭で目撃した少女で間違いなかった。
 そして、その瞳は『妙なことはするな、いつでも貴様らを殺せるぞ』と語っている。

 「どう? これが聖杯戦争よ?
  格式の高い決闘じゃないんだから、こんな卑怯な手で殺されても何も文句は言えないわ。
  それに魔術師というのは外道だわ。これよりもっとえげつない手を使ってくるでしょうね。
  ……要するに降りるなら今のうちってことよ、衛宮くん。
  あなたは今すぐサーヴァントを手放して、聖杯戦争を棄権しなさい」

 遠坂はそう警告するも、その言葉は厳しさ以上に思いやりを孕んだものだった。
  先程まで頭がカッとなるまで上っていた血はセイバーの胆力によってすっかり萎えていた。

 ――だが、俺のなかでそれとは別の何かが沸き上がるのを感じる。

 それは先ほどのような感情任せの怒気ではない。
  正義の味方を目指すという、そんな機械的ともいえる使命感が俺の胸中で渦巻いていた。













 後書き

 セイバーは土足でした。

 2007.6.13

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