「文々。異聞録」 第5話




 教会の内部で礼拝堂には外から以上の禍々しい空気を滞留させていた。
 その空気は粘着質を持ち、呼吸をするのさえも躊躇わせられる。

 中央に豪奢な祭壇へと続く通路、
  その両側には何列もの長椅子が備え付けられており、如何にも教会という壮麗さがあった。
  だが、こういった教会に付きものであるパイプオルガンは見受けられない。

 そして、その礼拝堂の長椅子に金髪の男が悠然と座していた。
 極めて感覚的な話だが、男の周囲に寄せ付けていない凄味が背中が感じさせた。

 「すみません。この教会の方ですか?」

 文が物怖じせずに声を掛けると、男は初めから俺たちに気づいていたかのようにこちらを向く。
  癖のない下ろした金髪に、文のものよりも濃い赤い双眸。――風貌からいって外国人だろう。

  冬木は昔から外国から移住する者が多い土地なので、別段驚くことではない。
 そもそも教会に外国人がいることは、無神論者の多い日本人がいるより普通の事であろう。
 
 なので、不自然な点などはないはずだが、この金髪の男には何か別の違和感があった。
 だが、正体は感じ取ろうにも霞のように掴み取れない不気味さがある。

  ――それだけではない。
  この男には無闇に探ったり、測ってはいけない危うさがある。
 何人も寄せ付けない、そんな凄味が男から感じてしまう。

 「――いや、我(オレ)は違う。
  ここの神父に用があるのか。だったら呼んできてやろう」

 文の問いにもつまらなさそうに応えた。ゆっくりと椅子から立ち上がり教会の奥へと歩き出す。
  どうやらここの神父と知り合いのようだ。だとしたら、この男もまた聖杯戦争の関係者なのだろうか――?

 「ありがとうございます」

 文は男に向かって甲斐甲斐しく頭を下げるが、一度も振り返らずに礼拝堂から姿を消した。
 暫くして金髪の男が消えた先から、神父服を着た長身痩躯の男が現われた。

 この男を一目見て理解する――。
 こいつこそがこの場を支配する澱んだ空気の禍根。それを知りながら意識的に振りまいている。

 カツカツと俺たちに歩み寄る。そして、能面のような無表情な顔で俺たちを見下ろした。
 黒に黒を重ねたような汚濁の双眸。

 「――ようこそ、言峰教会へ。この教会の管理を任されている言峰綺礼という。
  君は聖杯戦争の7人目――、最後のマスターとそのサーヴァントで間違いないか?」

 教会に響く、重厚な低い声。まるでこの男の腹の中にいるようで気分が悪くなる。

 「ああ、間違いない」

 文は何も話さずに男を見上げていた。
 高下駄の靴を履いていない彼女では、この長身の男と話すのにどうしても見上げる形になる。
 
 「先ほど凛から連絡が入ってね。
 『一組のマスターとサーヴァントが来るから頼む』とな。
  彼女が私を頼る事など今まで一度もなかったが、どうしたものだと思ったよ。
  ……それで君の名前は何というのだね?」

 遠坂を下の名前で呼ぶところから見ると、彼女とはそれなりに深い間柄なのだろうか。
 だが、それでも無意識に警戒してしまう――、この言峰綺礼という男は危険なのだと。

 「衛宮、士郎」

 そう答えると言峰綺礼は僅かにだが口元を歪ませた。

 「――衛宮。そうか、衛宮士郎か。くくく、なるほど……」

 男は己の愉悦を隠そうともせずにくつくつと笑う。
 それは自嘲とも他者を嘲笑するのとも違う、溢れ出る歓喜を隠せぬ様子で嗤っていた。

 「何がおかしい……!」

 「――喜べ、衛宮士郎。
  聖杯戦争を勝ち残り聖杯を手に入れれば、お前の内に溜まった泥をすべてはき出すことも可能だ」

 『内に溜まった泥』だと? 何のことだ?
   だが、その言葉に俺はこの男に頭の中まで覗かれている錯覚さえも覚えてしまっている。

 「……何を言っている」

 俺のその言葉を待ち構えていたかのように言峰綺礼は己の嗜好をさらけ出す。

 「前に聖杯戦争が起きたのは10年前。
  その最後に起きた聖杯戦争の爪痕は君もよく知るところじゃないかね――」

 10年前だって――!!

 「まさか!」

 「そうだ、未だ原因不明とされている10年前の災禍こそ、前回の聖杯戦争によるものだ」

 10年前、冬木で起きた未曾有の大火災。それこそ衛宮士郎にとって最大級の精神的外傷。
  あの地獄の光景は今も網膜に焼き付きついている。

 視界全てに広がる赤。
  赤く染まった空。
 業火に包まれて倒壊する家屋。
 呼吸をするだけで、肺が焼け焦げる空気。

 充満する死の匂い――。
 人の焼ける匂い――。

 ………………。

 「――士郎さん、大丈夫ですか?」

 その呼び声で意識を引き戻される。少女が心配そうな顔でこちらを見ていた。

 「……ああ、大丈夫だ」

 耳の奥では未だ燃えさかる業火の音と、生きたまま焼かれる人の悲鳴が今も聞こえていた。
 胃液が逆流するが、文に心配は掛けられない。額に浮かんだ汗をトレーナーの裾でぬぐう。

 「ククク。……大丈夫かね? 衛宮士郎」

 嗜虐的な笑みを浮かべていた言峰が、明け透けた言葉を吐き出した。
  クソ。こいつはどこまで俺の事をわかっているというんだ……?

  そして、次の標的と言わんばかりに、文へとその黒く濁った瞳を向ける。

 「……それはそうと、おもしろいサーヴァントを引き当てたものだ。
  今回で5度目を数える聖杯戦争において最大のイレギュラーを引いたと言っても過言ではなかろう」

 「はぁ」

 「此度の聖杯戦争で残ったクラスはアーチャーだが、
  彼女がそのクラスに該当するかどうか、聖杯戦争の監督者である私ですらわかりかねる」

 「そうなんですか」

 少女は心底どうでもいいような顔をしていた。
  言峰の態度が気に入らないのか、憮然とした様子で適当に受け流す。

  もしかしたらだが、この少女は聖杯戦争自体に大した興味がないのだろうか。

 ――アーチャー。
 弓使いのサーヴァントだと遠坂から聞いたのを思い出す。
 しかし文の風体を見る限りでは、とても弓を使うような感じとは思えない。
 それ以前に、俺は彼女が戦っているのをまだ見た事がない。

 文はどんな戦い方をするんだろう。
 その華奢な身体からはとても戦っている姿は想像できなかったが、
  最速と謳われるサーヴァントであるランサーから逃げ切ったのを考えると、
  ポテンシャルは相当なものに違いない。

 そんな文は今、教会内を無許可でパシャパシャと撮っていた。
 ……職業ブン屋が英霊と呼ばれるかつての豪傑と戦えるのか少し心配になった。


 ――――――――――


 その後、俺と文は聖杯戦争について監督者たる言峰綺礼から詳しく教えてもらうことになった。
  遠坂からも大まかに聖杯戦争のシステムを教えてもらったが、その補足と疑問も兼ねてのものだ。
 俺としては一刻も早くこの場から立ち去りたかったが、どうもそれを許さない雰囲気だった。

 文が手帳と見つつ的確な質問していたので、俺はただ二人の話を聞いているだけだ。
 その彼女の記者会見のような質疑応答の所為か、教会の淀んだ空気も多少和らいだ気がする。

 そして、文の質問も終わった。だとすればここにはもう用はない。

 「では、ここに聖杯戦争の開幕をここに宣言する――。
  衛宮士郎、思う存分戦うがよい。聖杯は願望機だ、どんな望みも叶えられる。
  そう、すべてをはじめからやり直すことも可能だ」

 言峰が何を言いたいか理解した。
 だけど、俺にそんなつもりは毛頭もない。アレを無かったことになんか決してできない。
  俺は言峰に背を向けて、教会の外へと向かう。

 「では、お世話になりました」

 文はそんな社交的な挨拶をし、俺に随伴する形で歩き出した。

 「聖杯戦争は始まった。いついかなる時も、気を配らせることだな――」

 教会の扉が閉じられるまで、男の嗜虐的な視線を背に覚えた。

 …………。

 教会で当てられた空気を全て入れ換えるように何度か深呼吸する。
 時計を見ると、日付も変わってからかなりの時間が過ぎていた。

  文と帰途に着くも行きと違い、その道中は二人とも黙っていた。
 肉体の疲労以上にあの男の精神的なプレッシャーによって、俺は疲労を隠せずにいる。
 文は特に疲れた様子もなく、手帳に目を走らせていた。
 聖杯戦争の特集を組むということで、新聞の構成を考えているらしい。

 『こういった血なまぐさい事件は私の好みではないんですけどね』
  ……そう言って苦笑を浮かべていた文に少しだけ救われた。

 彼女は教会で、最初から最後まで自分のペースを崩さずにいた。
 この聡い少女があの神父から発する歪みを感じ取れないほど愚鈍ではなかろう。
 全てを理解した上で何の感慨も抱かずいられる、それだけの存在なのかもしれない。


 ……冬木大橋を超えて深町の住宅街を歩いていると、文が急に立ち止まった。

 「どうしたんだ?」

 「……聞こえませんか?この音」

 文が神妙な面持ちで耳を澄ましている。
 俺も同じように聴覚に神経を周遊させるが、聞こえるのは夜の静寂だけだった。

 「……? 俺には何も聞こえないぞ。一体――」

 言い切る前に、文は背中に隠された翼を広げ、砂塵を撒き散らすと空へと舞い上がる。
 そして、俺の遙か上空で停止。
  ある方角を遠見をするように俯瞰すると、そちらに向かって駆け抜けた。

 「あ、おい!」

 文の速度と視界不良によって見失うが、俺の家の方向へと飛んでいったのだけはわかった。

 俺は疲労した体に鞭を打ち、彼女の後を追うように走る。……クソ! なんだっていうんだ!


 ……普段見慣れた道を走ること数分。
  静寂に混じり、金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。文の言っていたのはこの音なのだろうか。

 音の方向へと慎重に歩みを重ねると、住宅の建ち並ぶ狭い道路の向こうに見覚えのある背中を見つけた。
 この位置からだと顔は確認できないが、この特徴的なツーテイルと赤い服は遠坂で間違いない。

 そして、遠坂の目線の先に音の正体を発見した。
  彼女のサーヴァントであるセイバーが不可視の剣を振るっている。
  セイバーに相対するのは、一つの巨大な岩を削ったような黒い巨人――。
  ランサーとは違う、また別のサーヴァントなのだろう。

 その二人が剣戟を繰り広げている。

 巨人の持つ強大な斧剣による猛攻をセイバーは不可視の剣で受け流す。
  斧剣の刃渡りだけでさえも、優にセイバーの身長よりも大きい。
 そんな斧剣を持つ黒い巨人にセイバーは体格差をものともせずに拮抗した勝負をしている。

 ――凄い。サーヴァントは人間を軽く超越した存在であるのは聞かされていた。
 それをこんな近くで目の当たりにすると、言葉で聞いた以上の凄さがある。

 なんと表現したらよいのだろうか。
  こんなに近くで見ているのに、映画を見ているかのように現実味がまるでない。
 ただの人間ではどうしようもない相手だと改めて実感させられる。


 その巨人の後ろにはかつて見覚えのある少女がいた――。
 腰まで伸びる銀色の長髪に、色素の薄い新雪のような肌。小さな体を守る紫色のコートと筒状の防寒帽子。

 数日前、俺の家の前の道路で声を掛けてきた少女だった。
 『早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん』そう俺に漏らしたのを思い出す。

 ああ、そうか。少女にすれ違いざまに投げられた言葉を今更になって理解する。
  少女の言っていたのは、聖杯戦争の事だったのだろう。

 だとすると、あんな小さな女の子までこんなものに参加しているというのか。
  その歯噛みする思いだが、今の俺ではどうにもできない現実だ。

 では、あの巨人は少女のサーヴァントなのだろう。彼女を護るような立ち位置からして、間違いない。

  少女はサーヴァントを信頼しているのか、気丈な微笑を崩さない。
  己のサーヴァントの勝利を決して疑っていない、そんな顔だ。

 巨人は理性をどこかへと置き去りにしているかのように、力任せに斧剣を振るうだけだった。
 だが、あの化物には小手先の技術など不要なのだ。
  あの巨人の持つ膂力ならば、技術など不純物にしか過ぎない。
 小細工など一切ない、純粋なまでの破壊力とスピードによる攻撃だ。

 ――これ以上はここに居られない。

  今はまだ俺の存在には誰も気づいていないが、それも時間の問題だ。
 何よりも傍観者でしかない俺が場の空気に当てられてしまい足が動かなくなってしまいそうだ。

 誰にも気付かれないようにこの場から逃げないといけない。

 だが、 突如銀色の少女がサーヴァントの闘いから目を離した。
 何かを探すようにきょろきょろと視線を彷徨わせてみせる。

 少女がこちら見た。――目が合ってしまう。

 俺を見つけた彼女は赤い目を細めて、嬉しそうに微笑んでみせる。
  新しい玩具がようやく届いた、そんな少女らしい笑みだった。









 後書き

 言峰との会話を超絶省略。
  射命丸さんはセイバーと違って教会の外では待たないでしょう。

 2007.6.16

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