「文々。異聞録」 第7話
地面に降り立った直後、文にお嬢様だっこから解放してもらう。 先のセイバーと同様に抜け出したくなったが、それは余計にみっともない事態を生みそうだ。 暫く空中にいた所為か、地面を踏むと僅かなに違和感を覚える。 文はそんな俺を見てニコニコしていた。ああ、最早何も言うまいと思った。 セイバーとバーサーカーは膠着した状態で互いに睨み合う。 サーヴァントの傍らにいる遠坂は常にセイバーのバックアップを取れる態勢で待機。 そんな中、イリヤスフィールだけは彼女たちを一顧だにもしないで、面白そうに俺たちのことを眺めていた。 「文、助かった。ありがとう」 お嬢様だっこを衆目に晒されたことで顔が熱くなっているも、文に心からの礼をする。 それに彼女は俺だけではなく、セイバーも救ってくれた恩人でもある。礼節は尊ぶべきだ。 「いえいえ、あれぐらいはお安いご用です」 へりくだっているわけでもなく、本当に何でもないように言ってのける。 「ですが、立場上は敵である凛さんたちを助けようとしたのには驚きましたけどね。 思わず私もセイバーを助けなければいけない気がしてしまいましたよ」 「……遠坂たちには死んでほしくない」 それは遠坂たちに関わらず、誰だろうとあんなふざけた死に方をしていいわけはなかった。 「まぁ目の前で知り合いに死なれるのは気分の良いものでないのは判りますが。 それでもですね、あんな状況で飛び込むなんて士郎さんも死んでしまうところでしたよ?」 「…………」 自己の保身。それは人間に限らず、生命にとって当然の本能だ。 自分の命よりも優先できるものなんて決して多くない。 しかしそんなことを考えるよりも先に体が反射的に動いてた。 俺に取って自分の命なんかよりも、目の前の誰かを救えない方が許せない。 「んー。まぁいいでしょう。……こうして士郎さんは助かったんですし、変な邪推は無粋でした。 でも次はないようにお願いしますね」 文は猜疑的な様子を潜め、無邪気に笑いかける。 だけど、結局俺は何もできなかった。文が助けてくれなかったらセイバー共々殺されていただろう。 自分の無力さがつくづく嫌になる。切嗣から託された理想は果てしなく遠い。 ……沈みそうになる思考を断ち、文に気になっていた疑問を投げ掛ける。 「ところで、文は今までどこにいたんだ?」 この二人のサーヴァントの戦闘にいち早く気づいたのは誰でもない文だ。 まさか俺の後から来たというわけでもないだろう。 「私ですか? 私はあそこの家の屋根に隠れてサーヴァントの戦いを撮影していました。 ちょっと距離が離れてましたが、なかなか良い写真が撮れて満足です」 指を差す方向には赤い屋根をした二階建ての住宅があった。ゆうに50メートルは離れている。 ……そこからバーサーカーが俺とセイバーに斧剣を振り上げた瞬間に飛び立ったというのだろうか。 それなのにこうも涼しい顔をしている。 バーサーカーとセイバーは出鱈目だと思ったが、彼女もまたそれに類する存在なのだろう。 黙り込む俺を怪しく思ったのか、文は「どうかしましたか?」と言って首をかしげた。 こういった仕草を見ると、本当に年頃の少女にしかみえなかった。 「おもしろーい! ……それがお兄ちゃんのサーヴァント? 空を飛べるなんてちょっとだけ凄いね」 好奇心と感嘆に満ちた声が上がる。 さっきからずっとこちらの様子を窺っていたイリヤスフィールだ。 どうやら彼女は文に並々ならぬ興味を持ったらしい。 俺としてもそれでさっきのアレ(お嬢様だっこ)を忘れてもらえると非常に助かるのだが。 少女はその好奇の目を隠さずに、文の背中に生えている黒い翼を見ていた。 その漆黒の艶めく翼を触りたくて、うずうずしているようも見えてくる。 文はそれに対して少し照れくさそうにしているのが意外だった。 飄々とした態度を崩さない彼女だが、あの年頃の子供に感情を向けらえるのは馴れていないのだろうか。 しかし、イリヤスフィールの無邪気な表情が徐々に険しいものへ変貌する。 「……え? あれ? 貴方の本当にサーヴァントなの? 完全に受肉しているようだし、そもそも英霊とは思えない」 イリヤスフィールが突如として不信感を募らせた。 そう言えば、遠坂や言峰も文に対して同様の反応を示した。 それを考えると相当特殊なサーヴァントなのだ。相見える聖杯戦争の関係者は口を揃え疑問を投げる。 「ええ、私は死んだことはありませんよ。イリヤスフィールさん。 確か『英霊の座』……、でしたっけね。そこから喚び出されてもいません。 私がサーヴァントとして聖杯戦争に召喚されたのは裏技を使ったからです」 言峰綺礼により、聖杯戦争のシステムを把握しつつある文はある程度の回答を持っている。 ……イリヤスフィールもまさかサーヴァントから返答がくるとは思ってなかっただろう。 「嘘……。サーヴァントシステムに介入するなんてそんなの人間業じゃないわ」 「ええ、仰るとおり人間の仕業ではありません。 人の子には到達できない神秘を可能とする生まれついての魔女のおかげです。 尤も私にも具体的な方法はわかりませんし、例え知っても誰にも真似はできないでしょうね」 文は人間ではなく、天狗という妖怪だと包み隠さず公言していた。 証左として人外である証明に彼女の背中には異形の翼が生えている。 その彼女の知り合いの仕業ならば、本当に人間業ではないと考えてもいいだろう。 ……どうやら彼女は独力で聖杯戦争に参加したのではなく、別の誰かの力を借りたらしい。 そんなレベルの魔術はにわかに信じがたいが、彼女が現にここにいる時点で本当なのだろう。 イリヤスフィールは納得がいかずに悩ますが、その思考は第三者によって遮られる。 「イリヤスフィール、いい加減にしなさい。貴方がこないならこっちから行くわよ?」 バーサーカーとの埒が明かない膠着に業を煮やして、苛立ちを隠せずにいる。 「へぇ……。まだ私のバーサーカーに勝てるつもりでいたんだ」 思考を中断させたためか、イリヤスフィールは不機嫌そうに遠坂へ視線を向けた。 バーサーカーの絶対を信じる余裕の表情は決して揺らがない。 「でもいいわ。はじめに相手をしていたのは貴方たちだもの。 ……バーサーカー! そいつらをやりなさい!」 マスターからの指示を待ちかまえていたバーサーカーが三度の咆吼を上げた。 そしてセイバーとバーサーカーの剣戟が始まる。 バーサーカーは斧剣にる怒濤の連撃をセイバーに繰り出す。 セイバーも先のダメージは感じさせない妙技を魅せて躱してみせる。 再び幾度か剣を重ねるも、これではさっきまでの焼き直しだ。 狂化されたバーサーカーの攻撃をセイバーは完全には受けきれない。 今はまだ拮抗した闘いも、バーサーカーの並外れた剣圧によって押されてしうだろう。 しかし、遠坂は秘策があるようでその目に何の憂はなく、自信に満ちている。 イリヤスフィールも遠坂の様子に気づいたようだったが、腰に手を置いて態度を崩さそうとしない。 「……もう出し惜しみはしないわ。といっても、さっきもケチったわけじゃないけどね」 遠坂はポケットから三つの新しい宝石を取り出した。 それはこれまでの宝石とは何もかもが違う。 あの宝石も相当な魔力を秘めていたが、これは桁違いの神秘が秘められている。 おそらくこれこそが魔術師である遠坂凛の秘策であり、奥の手なのだろう。 バーサーカーをも貫く高純度の魔力を内包した神秘そのもの。 「セイバー! 退いて!」 遠坂の声に咄嗟に反応し、セイバーがステップをして巨人との距離を取る。 『Neun,Acht,Sieben――』 遠坂の口から紡がれる魔術詠唱。 『――ErschieSsung.』 「……私の取っておきよ!喰らいなさい!」 遠坂の手から離れた宝石は強烈な光を帯び、巨人へと放たれた。 初弾はバーサーカーの斧剣に弾かれてしまうも、残りの二つは頭部に吸い込まれるように命中した。 着弾の瞬間、凄まじい炸裂音が響く――。 頭部を爆煙に包まれたバーサーカーが炸裂音を上書きするくぐもった呻き声を上げる。 流石のバーサーカーもこの宝石にはダメージを確実に受けている。 煙がはれると、あの宝石をまともに受けたというのにバーサーカーの頭部は原型を留めていた。 容貌は醜く焼けただれており、口と眼窩の窪みが何とか確認できるも他の部位は消失している。 バーサーカーは沈黙したように動きを止めた。 セイバーにとってこれは絶好のチャンスであろう。 少女はバーサーカーに向かって跳躍すると、その鉄の首を横薙ぎの一撃により両断した。 ―――――――――― バーサーカーの首は皮一枚で辛うじて繋がっている状態だった。 切断面からはおびただしい量の鮮血が溢れ出している。 遠坂の宝石で倒したようにも見えたが、そこにだめ押しともいえるセイバーの横薙ぎの斬撃。 こうなればいくらバーサーカーとはいえども一溜まりもないだろう。 それはつまり、イリヤスフィールのサーヴァントは倒されたのだ。 セイバーの剣筋の鋭さか、それとも戦士としての矜持か、バーサーカーは地に伏せることなく立っていた。 だが、巨人が倒れずとも決して動くことはないだろう。この死闘を制したのは遠坂たちだ。 「――やった!」 遠坂が両手をグッと胸元で握り、歓喜の声を上げた。 セイバーもイリヤスフィールを敵として見なしていないのか構えていた剣を降ろす。 「イリヤスフィール、私たちの勝ちよ。 令呪を放棄するなら、見逃してあげる。でもそれを拒むなら容赦しないわ」 「遠坂!!」 『容赦はしない』というのはまさか遠坂はイリヤスフィールに危害を加えるつもりなのか。 己のサーヴァントが倒された今なら少女は限りなく無力だ。 イリヤスフィールが優れた魔術師だとしてもバーサーカーを倒したセイバーに勝てるわけがない。 「衛宮君は黙ってて。セイバーを助けてもらってなんだけど、これが聖杯戦争というものよ」 イリヤスフィールは遠坂の問いかけに答えない。 最強と信じていた己のサーヴァントのやられて放心しているのだろうか。 少女の表情は俯きと街灯の加減で判らない。 ――しかし、唯一覗かせる口だけは三日月を思わせる形を作っていた。 「勝ち誇っているところを悪いけど、私のバーサーカーはやられてないわ」 その瞬間。不動のはずのバーサーカーが斧剣でセイバーを薙ぐ。 セイバーは咄嗟に回避をするも、斧剣が甲冑だけではなく胸部をも貫く。 「ぐッあ――!」 そのまま振り抜かれた斧剣がセイバーの血を闇へと散らした。 「セイバー!!」 遠坂がセイバーに駆け寄ろうとするが、セイバーは右手を突き出し制止させる。 ……セイバーはバーサーカーの凶器を受けても倒れない。 人間ならば致命傷のダメージを受けるも、それを感じさせない動きで不可視の剣を正眼に構える。 セイバーの纏わせる覇気は衰えることもなく、尚も力強く滾っていた。 その迫力に遠坂は制止せざるを得なかった。 だが、異常なのはバーサーカーだ。 首は未だ千切れ落ちそうなのに、巨人はそれを無視して今までと同じように動いている。 激しい動きをしたことにより、その首はぶらりぶらりと振り子のように揺れてさえもいる。 まるで悪い夢のような光景だ。 バーサーカーの腕が揺れる頭を掴み取る。そして首と切断面を固定させた。 接着部から焼き付くような音と共に煙が立ち上り、数秒後には傷跡さえ残さずに元通りになってしまった。 「…………ッ!!」 遠坂が絶句する。俺も目の前の悪夢に奥歯が鳴り止まない。 俺の隣にいる少女は平然と悪夢を写真に納めていた。ファインダー越しの表情は確認できない。 「残念でしたー。バーサーカーはこれぐらいじゃやられないわ。 だって、私のバーサーカーは――ギリシャの英雄ヘラクレスだもの」 ふふん、とイリヤスフィールは得意げに鼻を鳴らす。 ヘラクレス――、言わずとしれたギリシャの大英雄だ。 ヘラクレスはアルゴスの王女、母であるアルクメネーにある呪いを受ける。 それは『気が狂ってしまい、自分の子を殺す』というあまりにも凄惨で残酷なものだった。 しかし、アルクメネーはそれだけでは飽きたらずヘラクレスに十二の試練』を与えた。 「知っての通り『十二の試練』を乗り越えたヘラクレスは一二回殺されないと死なないわ。 リンが一回、セイバーが二回分殺したら、……えっと、これであと九回ね」 少女が自分の玩具を自慢するように嘯く。その声が絶対となり、この夜を支配した――。
後書き バトルシーンは難しい。 説明を冗長にするとスピード感が損なわれるし、逆に短くなればイメージがしにくくなります。 兎に角、要精進ということで。次でバーサーカー戦は終わります。 2007.6.18