「文々。異聞録」 第10話





 「……外の世界に行きたい?」

 パチュリー・ノーレッジはつまらなさそうに言った。
  彼女は分厚い魔法書から目を離さず、射命丸文を一顧だにしない。

 「――はい。是非お願いできないでしょうか」

  紅い悪魔と恐れられるレミリア・スカーレットの住む紅魔館。
  その悪魔の館の地下の一角に悠然と構えた巨大な図書館があった。
  幻想郷随一の蔵書を誇り、魔術書を始めとしてありとあらゆる稀少本が揃う。
  この図書館全体に広がる古書の饐えた匂いは乱読家には堪らないものであろう。

  その図書館の主である少女はパチュリー・ノーレッジといった。
  起きている時は本を読むか紅茶を飲むぐらいで、外出もままならない日陰の少女。
  本人曰く『日に浴びると本と髪が傷むから――』らしい。その為、肌は病的なまでに真っ白い。
 いつもネグリジェのような服を着ているのは、寝間着と普段着が兼用じゃないのかと文は邪推する。

 それらの理由から『動かない大図書館』と揶揄か畏敬か判断の付かない二つ名がついているが、
 故にパチュリーの知識は幻想郷でも五本の指に入るのは間違いないだろう。
  それに七曜を操る稀代の魔女。魔法に関する造詣の深さは幻想郷随一だと文は踏んでいた。

 「そんなことは博麗の巫女か、スキマ妖怪にでも頼めばいいじゃない」

 やはりつまらなさそうに少女は言う。

 「霊夢さんにそんなことを頼んでも聞いてくれるはずがありませんし、
   八雲紫に至っては住所不定で式ともどもどこにいるのかもわかりません」

 「霊夢はともかくとして、あの大妖怪は今は冬眠中でしょうけどね。
   それにしても幻想郷の全てを知るという天狗のネットワークも随分とお粗末なのね」

 その小馬鹿にした物言いに少しカチンと来たが、ここは我慢だ。
  薄暗い部屋で本を読むことしか出来ない紫モヤシに言われても心には届かないと自制する。

 「それにしても何でまた外の世界なんて行きたいの?
   貴方たち天狗はてっきり幻想郷の中だけで完結したものだと思ったわ」

 少し関心を持ったのか、パチュリーが微かに声の色を微かに変えて訊いてきた。
  ……相変わらず本から目は離さないではいたが。

 「最近の幻想郷はめっきり安定してまして、新聞のネタ不足が深刻です。
   そこで『文々。新聞』の特集として、外の世界をネタに扱おうかと考えた訳です。
  ……そして、あわよくば次の新聞大会で優勝を狙おうかなー、なんて」

 最後の一言は余計だったかもしれないと、彼女は言ってから後悔した。
  この魔女は地位や名誉などには一切興味がない。あるのは病的なまでの知識欲だけ。
  本を読む――ただ、それだけがこの少女の手段であって目的なのだ。

  そんな自分の声望を魔女に言ってしまったことに、顔が熱くなるのを感じる。

 「貴方の新聞はユニークで嫌いじゃないわよ。
   ま、氷精が大ガマに飲み込まれるという記事が一面で三号続いた時に呆れたけど」

 「うっ、それだけネタ不足が深刻なんですよ……」

 この本の虫に自分の書いた新聞がユニークと言われると文もそう悪い気はしない。
  ……でも、新聞にユニークってほめ言葉なのだろうか。

 「別に貴方なら博麗大結界を無理矢理こじ開けることも可能じゃない?」

 「いえいえ、いくら何でもそれは無理だと思います。
   仮にそんなことができたとしても、霊夢さんに半殺しにされますよ」

 「まぁそうでしょうね」

 『なら言うな』と思わずつっこみそうになったが、やはり堪える。
  この紫モヤシの機嫌を損ねたら手伝ってくれないどころか、いつまでも根に持っていそうだ。

 ……嫌な沈黙が図書館に流れる。
  パチュリーは相変わらず本から目を離す様子もなく、文のことなどまるで意に介していない。
  文も文で他人に頼みごとをするなんて柄にもないことなので、このなんとも言えない間が辛かった。

  もう帰ろうかな、と諦めかけた時、日陰の少女が初めて自分から文に顔を向けた。

 「――いいわ。手伝ってあげる」

 パチュリーはパタンと本を閉じた。

  「ほ、本当ですか?!!」

 「大きな声を出さないで。聴覚に障るわ」

 嬉しさと驚きの反面、このネグリジェは本当に頭に来るなと文は思った。

 「ですが、急にどうしてです?」

 「……貴方の言うとおり、最近は私も興味を引くこともなくて結構暇なのよ。
   それにたまには大規模な魔法の実験をするのも悪くない、そう思っただけよ」

 ――今の幻想郷は平和そのものだ。
  幻想郷の不文律であるはずの人間が妖怪に喰われるという話もあまり聞かなくなった。
  そんなことをすれば、最近になって富に力を付けた博麗の巫女に退治されてしまう。

 「――壊れにくそうな実験台もやる気のようだし」

 悪びれる様子もなく『実験台』と言いやがりました。


 ――――――――――


 「まずはさっきの案ね。
  どうにかして博麗大結界に穴を開ける。……まぁこれは考えるまでもなく却下。
  ……結界が綻んでいるところを狙えば私と貴方の弾幕でなんとかできるかもしれないけど、
   霊夢にボコられるのは目に見えているし、ほかにも問題があるわ」

 「といいますと?」

 「スキマ妖怪のような境界を操れる例外はともかく、
  貴方のような千年単位の強大な妖怪が、幻想を失った世界に出たらどうなるかわらないのよ」

 『どうなるかわからない』。酷く引っ掛かる言い方だ。

 「……どうなるんですか?」

 「もしかしたら、七色の泡になって消えてしまうかも」

 「ええっ!?」

 「……もしかたら、よ。今のは冗談だけど、本当にどうなるかは私にも見当がつかない」

 生粋の魔女の冗談は最低だ。

 「外に出た瞬間に幻想と扱われて幻想郷に引き戻されるかもしれないわね。
   ……最悪妖怪としての力を失って脆弱な人間と変わらない存在に成り代わるかしら」

 「うーん、それは困ります」

 「もし何もなかったとしても、行ったきりで帰ってこれないというのも問題だわ。
   実験結果がわからないままというのは歯痒いわね」

 パチュリーは本当に文のことを実験台としか思っていないようだ。

 突然、パチュリーがVサインを作った。似合わなさ過ぎる。

 急に写真を撮ってもらいたくなったのだろうか。
  それにしてはあまりにも顔が笑っていない。なんなんだ一体。

  ……もしかしたら、引きこもりすぎて気でも違ってしまったのだろうか?

 「――プラン2、私の魔法で外の世界へ転移させる」

  どうやらそのサインは二つ目の案という意味のようだ。
  じゃあプラン1はあの無茶苦茶な強行突破だとでも言うのか。それはいくらなんでもお粗末過ぎだろう。

 しかし、ここでようやくまともな計画が出てきた。

  結界に穴を開けるだけなら、そもそもこんなところには来たりはしない。
 そう言った実用的な計画を求めて、こんな薄暗くほこり臭いところまで来たのだから。

  そう安堵しようとしたのも束の間、どうもこれも良い案ではない様子だった。

 「といいたいところだけど、これはあまり自信ないわ。
  ――博麗大結界はあまりにも強力よ。
   外界とは陸繋ぎなのに、大結界によって幻想郷という一つの世界を作っていると言ってもいい。
  それを飛び越えさせて、貴方を無事に転移させるなんて無茶もいいところだわ。
  ……まぁ一週間は寝込む覚悟で魔法を行使すれば、
   貴方の肉塊ぐらいは外に転移させることはできるかもしれないわね」

 それでは何の意味はない。

  空間転移して気づいたら、鳥の挽肉だったなんてシャレにもなっていない。
  それとも、これも魔女なりの冗談なんだろうか。

 「万が一に成功したとしても、プラン1と同様に貴方が外界に適応できずに七色の泡になるかもね」

 ふふふ、と珍しく魔女が声に出して笑った。
  天丼ネタを魔女が使すことよりも、内容が自分の嫌な未来を想像させるので文は笑うに笑えない。

 「はぁ、やっぱり無理ですか」

 こんな根暗に頼むのが間違いだったかと考えた矢先、パチュリーが三本目の指を立てた。

 「プラン3、外の住人に召喚してもらう」

 「え?」

 先の二つは文自身もパチュリーから聞く前に思いついていたことだったが、
  『外の住人に召喚してもらう』というのはこれまでにない観点からのアプローチだ。

 「……これが本命ね。言葉通り、貴方を外の世界の魔法使いに召喚してもらうわ。
  幻想のない世界だけど、それでもまだ魔法使いが絶滅したとは思えない」

 他力本願だった。

 「外界に押し出す力が足りないのなら、外からも引っ張ってもらえばいい。
  貴方を喚べるほどの高レベルな召喚儀式をサーチして、無理矢理にでもそこと繋げてあげるわ」

 「何だが凄そうですけど大丈夫なんですか?」

 「愚問ね」

 パチュリーはそう言い切った。

 七曜の魔女の言葉だ。
  人格面ではまるで信用におけないが、こと魔法に置いては信用してもいいかもしれない。

 「それにこの方法なら懸念していた問題も大丈夫よ。
   幻想郷の存在である貴方が外界に身を晒すことになっても召喚主が維持をしてくれるわ。
  相当な高負担になるでしょうけど、維持よりも召喚の方が難しいものだし、そこは問題ないわね」

 どこまでも他力本願だった。

 「じゃ、私は陣を描くから、貴方は一度帰って旅支度でもしなさい。そうね、三時間もあればできるわ」

 「はい、わかりました」


 文は使役しているカラスを連れて紅魔館を出た。
 かなり長い間、薄暗い場所にいた所為か、冬の太陽が肌に照りつけるように感じてしまう。
  門番が職務を忘れてシエスタに耽っていたが、そんなのはどうでもいい。何のネタにもならない。

  珍しく自分の鼓動が速まっているを文は感じた。
  どんなに速く飛ぼうが、この心臓は一定のペースを乱すことはない。
  だとしたら、彼女自身の感情が高ぶっている証拠だろう。

  千年は生きてきて、そんな久しぶりの感覚に少女は僅かにだが戸惑いを見せた。


 ――――――――――


  どんなことになるのかわからないので、使役しているカラスは妖怪の山で留守番をさせた。
  部下の犬走椛に預けようとも思ったが、そこまでしなくても大丈夫だろう。もともとたくましい奴なのだ。

 旅支度を終えた文が大荷物を抱えて図書館に戻ると、その一角に巨大な魔法陣を発見した。

  細部まで緻密にて難解な魔術式が刻まれているのがわかる。
 一体この陣にどれだけ莫大な情報が詰め込まれているのだろうか。
 魔法にはさして詳しくない文だったが、その凄味はぴりぴりと肌に伝わってくる。
  視覚から流れ込むあまりの情報量に目眩がしそうにもなるが、なぜか同時に引き込まれる魅力もある。

 「――あまり長く見ない方がいいわよ。
   ただの人間なら直視するだけで精神が侵されるような代物だから」

 いつも以上に疲れた顔をしたパチュリーが文の前に現れる。
  これだけの物をパチュリーは三時間で描き上げたのだ。気力体力ともに使うだろう。

 「じゃ、陣の中心に立って頂戴」

 文は言われたとおりに、魔法陣の中心へと立つ。
 すると床に刻まれた魔術式から赤く淡い光が放たれて、薄暗い図書館を照らした。
  文という対象に魔方陣が共鳴しているのだろう。

 パチュリーは神経を集中させるためか、目を深く閉じて呪文を詠唱する。
  魔法陣が文の腰まで浮かび上がり、より一層光を増していく。

 「見つけた。――ん。これで良いわ」

 暫くしてそんなことを呟く。どうやら、強力な召喚儀式と繋げられたようだ。
 そして、パチュリーがゆっくりと目蓋を開けた。
 その顔は、いつも通りの眠たそうで不機嫌な表情だった。成功したと思っていいだろう。

 「幻想郷に帰りたくなったら、召喚主に契約を切ってもらうこと。
   ――もし、面倒なようだったら殺してしまいなさい。
  そうすれば、召喚主という外界への楔を失い、貴方はこの魔法陣へと自動的に戻されるわ」

 帰る方法は意外と簡単のようだ。その気になればいつでも帰れるぐらいに。

 「ええ、そうします」
  
 魔法陣の光が文の体を包む。既に転送が始まっているのか、地に足をつけている感触がない。

 「……ああ、言い忘れてたけど、召喚される先は未来かもしれないし過去かもしれないわ。
   もしかしたら、幻想郷の外とは違うどこかの別の平行世界に繋がってしまうかもしれないわね」

 ……この魔女は最後にとんでもないことを言ってくれる。

  「紫モヤ……ッ!」

 溜め込んだ鬱憤を吐き出そうとするが、周囲は光に包まれて文の声は届きそうもなかった。


 ――世界がくるりと暗転する。


 ――――――――――


 跳ね起きる。

 空は白んでおり、カーテン越しに朝日が差していた。
  慌てて周囲を見渡すが、いつもと変わらない俺の部屋だった。

  ……なんか、とても嫌な夢を見た。







 後書き

  所謂幕間です。

  これまで士郎の視点だけで書いていたので、今まで以上に楽しく書けた気がします。

 文の胸中はかなり黒いと思うんだ。
 士郎の前では割と良い子にしてますが、実際は何を考えているのでしょうか。

  そして、パチュリーファンの方ごめんなさい。

 2007.7.2

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