「文々。異聞録」 第11話





 へんてこな夢を見た。

  あんな夢を見るなんて、異常事態の連続で頭がどうにかしてしまったのだろうか。
  ……普段夢を見るようなことが滅多にないので貴重な体験とも言えるけど。

 夢を見るということは、つまり眠りがそれだけ浅いってわけだ。

  そう考えると、なんだか眠気が抜けていない気がしたので、二度寝をすることにした。
  二度寝なんてことは滅多にしないが、色々とあって疲れていたのだと自分に言い訳をする。

  ……冬だというのに寝汗でべったりだ。悪夢の類じゃないのかアレ。



 ……………。



  二度寝から目を覚ますと太陽は真上に差し掛かり、時刻は11時を過ぎようとしていた。
  それでも倦怠感は完全には抜けきれていない。
  この調子では平日だと確実に寝過ごしていたな。今日が日曜日で本当によかった。

 しかし結局あの夢は何だったんだろうか。
  細部は忘れかけているが、ただの夢と言い切るのには何か違う気がした。

  夢は文の主観によるものだった。
  まるで彼女の視点を借りているかのような、酷くリアリティのある不思議な夢。
 感じていることも、まるで自分のことのように伝わってきた。
  そして、もう一人、奇妙なネグリジェを着こなした少女が出てきていた。
  文にこのことを確認してみたかったが、私生活を覗き見てしまったようで気軽に尋ねるのも憚れた。


 居間に行くと、文が畳に新聞を広げて読みふけっていた。
  顔だけ俺に向けて、いつもの笑みを浮かべてみせる。

 「おはようございます。士郎さん」

  「……ああ、もう昼近いけどな。おはよう、文。はよく眠れたか?」

 「はい。とても」

  そんななんてことのない挨拶を終えると、彼女は再び新聞に目を走らせた。

  新聞は彼女の書いているものではなく、どうやら家で取っている朝刊のようだった。
 それも今日の新聞だけではない。かなり前のものも積まれている。
 確か古紙回収の際に出そうと思って、土蔵の奥にしまい込んでいたものだ。
  よくそんなものを見つけてきたものだと感心をせざる得ない。

  そんな昔の新聞までなんでと思ったが、同業者として他社の新聞は気になるのだろうか。

 「この世界の新聞は文の目からみるとどうなんだ?」

 そんなちょとした疑問を文に投げてみる。

  「そうですね。毎日これだけ情報量を送り出していることには驚かされます」

 新聞から目を離さずにいるも、淡々とした回答だった。

 「ただ、私の書いている『文々。新聞』は『事実だけを客観的に』を
  モットーにしていますから、主観に傾倒した記事は好みから外れますね。
  一見すると、客観的に書かれているようですが、記者の恣意的な解釈と主張が見え隠れしています。
  記者というのは常日頃から第三者であり、傍観者です。
  新聞はあくまでも情報であって、自己の主張を投影するものではありません。
  万人の読者に対しての影響というものを考えて書くべきです――」

 「……ふぅん、いろいろと考えているんだな」

 やはり新聞記者だけあって、彼女の回答は思慮深いものなのだろう。
 俺はこれまで新聞をそんな多面的に読んだことはないので、いまいちぴんと来なかったが。

  おそらく文は、今の言葉を自分自分にも日頃から言い聞かせて日々新聞作りをしているのだろう。
  新聞は自己の主張を投影するものではない、か。色々と含みのある言葉だな。

  ……そんな小難しいことを考えていると、腹が盛大に鳴った。
  そういえば、昨日は夕食を取れる状態ではなかったし、今朝も寝過ごしてしまっている。

  となると、文も朝食を取っていないことになる。家主としてあり得ない失態だ。
 過ぎてしまった時間は戻せない。せめてものお侘びとして、昼食は文のリクエストを訊こう。

 「昼食を作るけど何か食べたいものあるか?
   あと、食べられないものがあったら遠慮無く言ってくれ」

 「作っていただけるのなら何でも嬉しいんですが、鶏肉だけはちょっと」

 へえ、鶏肉が嫌なのだろうか。
  鶏皮のツブツブした感じが嫌いだという人もいるらしいし、そう珍しことではないけど。

 「文は鶏肉が嫌いなのか?」

  「いえ、決してそういうわけではないのですが……」

 どうしたんだろうか。文にしては珍しく歯切れが悪い。

 「同族を食べるわけにはいかないんで……」

 ……あまりにも切実だった。そう言えば『烏』天狗だったよな。


 ――――――――――


 昼食を作るため、エプロンを着けて台所に立つ。
  俺としては実に不本意だが、土蔵と同じぐらいにここは落ち着く場所だ。

 昨日は米を炊く準備をしていなかったので、圧力鍋で米を炊くことにした。
 これだと通常の何倍もの早さで米を炊くことができる。昼食だから三合も炊けば十分だろう。
  しかし、鶏類が駄目となると卵はもちろん鶏ガラといった調味料も使えないな。

  さて、何を作ろうか。
  俺からすれば鶏肉と卵が使えないのはさして問題じゃない。
  それよりも、幻想郷という土地の食文化が全く想像できないことの方が問題だ。
  文には何でもいいと言われているので、また訊くのはしつこいだろうし。
  だからといって、食べ慣れていないものを出して口に合わなかったらそれもそれで悪い。

  そもそも天狗の好物といえばなんだろう。
  同じ妖怪である河童ならキュウリ、垢嘗といえば垢だ。
  そんな観点から考えると、天狗は大層な酒豪であると聞く。

  ……駄目だ。昼間から酒を出す馬鹿がどこにいる。
  
  天狗といえば山伏の姿を想像する。だとすると精進料理か。
 でもそれだとあまりにも質素すぎて客を持て成すのには失礼な気がする。
  それに動物性タンパク質も重要な栄養素だ。
  寺暮らしの一成も食事に肉っ気が足りないとよく嘆いているしな。

  ……まあ、あまりごちゃごちゃと考えるのは無しだ。
  無難なところで鮭を焼くことにしよう。
  冬の鮭はよく油が乗っていて、どう調理しても美味しく作ることができる。
  ほうれん草のお浸しの作り置きが冷蔵庫に入っていたはず。
  あとはジャガイモとタマネギの味噌汁を作ればいいだろう。
  昼食にしてはかなり軽めだけど、これならそう間違いもないはずだ。

 「何か手伝いましょうか?」

  「うわぁ?!」 

 居間で新聞を読んでいたはずの文が、ひょっこりと台所に顔を出す。
 いきなり後ろから話しかけられたのでちょっと驚いた。

 「あ、いや、文は居間でお茶でも飲んでいてくれ」

  「いえいえ、手伝わせてください。何もしないで平気なほど、私は厚かましくはないです。
  幻想郷の住人は自分のことしか考えてない人間や妖怪ばかりですけど、私は彼女たちとは違いますから」

 幻想郷って一体。

 結局、文に押し切られて、手伝ってもらうことになった。

  ガスコンロの使い方はわからないようだったので、タマネギとジャガイモを切ってもらう。
  包丁を握る手つきは思っていた以上に馴れたもので、危なげなところは一切なかった。
  漫画でよくあるような『まな板ごと食材を切断』なんてことも当然ない。
  ……セイバーの顔が浮かんだのは何故だろう。

 「水道、借りますね」

 ガスコンロとは違って、慣れた手つきで蛇口を捻る。

 …………。

 『幻想郷に水道はあるのか』と危うく口に出そうになる。
  あまりにも失礼な想像だが、幻想郷はライフラインとは無縁な場所だと勝手に想像していた。

 「一部ですけど、幻想郷にも水道は通っていますよ」

 考えを見透かされたような答え。……俺ってそんなに顔に出やすいのだろうか。
  まぁ水道を捻っているのを呆けた顔で見ていた時点でバレバレだったな。

 しかし、幻想郷にも水道は普及しているのか。
  確かに人間はもとより、文のような妖怪も生きる上で水は必要なのだろう。
  幻想郷も俺が思った以上に普通の場所なのかもしれないな。

 「魔法使いなんかが水道工事の請負をしていますね」

 魔法使いが水道工事だと……。
  そ、それはあんまり普通じゃなんじゃないかな。

 もしかしなくても、魔法で流水を転移したりしているのだろうか。
  転移の魔術と言えばこちらの世界ではとんでもない大魔術に相当するんだが。

  こうして並んで台所に立つと、昨夜の死闘を収めた立役者だとは思えない。
 包丁を器用に振るう姿は、どこにでもいる普通の少女のように錯覚してしまう。

  同じサーヴァントであるセイバーは常に抜き身の刃のような鋭さを感じさせた。
 ……敵対している俺たちの前というのもあるだろうが、その迫力はまさしく本物だった。
  文は必要のない時は翼も隠しているようだし、大体はのほほんとしている。
  実力を計られるのが好きではないのか、意識的にセーブしているのかも知れない。

  食卓を挟んで文と昼食を取る。
  文は箸で焼き鮭の骨を奇麗に取り除いて黙々と鮭とご飯を交互に食べていた。
  ……なんというか、見事な食べっぷりだ。

  「よくわからないけど、サーヴァントも飯は必要なのか?」

 「私に飯を食うなと。そんなご無体な」

 「いやいやいや、そうじゃなくて、食べる意味はあるのかってことだ」

 「ああ、そういうことですか。それはですね――」

 ……その時の話によると、文はほかのサーヴァントとは違って、霊体ではないのだという。
  自分の肉体を持っているため、本来は必須であるマスターからの魔力供給も必要ではないらしい。
  魔力保有量が微々たるものである俺としては実にありがたい話だ。

 そう考えると彼女にとって、俺は必要ないように思えるが、
  魔力の提供よりも契約によって結ばれている関係が重要であるそうだ。

  肉体を持つ彼女は腹も減るし眠くもなる。
 彼女の食事のペースを見ていると、三合炊いた米でも心配になってきた。
  ここまで食に執着するサーヴァントは文ぐらいのものだろう。
  ……なぜかまたセイバーの顔が浮ぶ。

 世間では三杯目はそっと出すという話をよく聞くが、文は四杯目も笑顔で出してきた。
  ……さっき『自分は厚かましくはない』と言っていたような気がする。
 そんな彼女の言う厚かましい住人だらけの幻想郷は想像するのも恐ろしい。

  もちろん、食事を楽しんでくれるのは料理人冥利に尽きる。
  決して手の込んだ料理ではないが、作った甲斐があった。
  こうやって遠慮せずに食べてくれるのは、迷惑とは思わないし、嬉しく思える。
  気を遣わないでくれる方が、彼女との距離が近く感じさせる。

 まだ知り合って一日も経っていないが、彼女とはうまくやっていけそうに思えた。

 それに昨日は文に散々迷惑を掛けたし、俺は結局何もできなかったのだ。
  その借りを食事でもなんでもいいから返したい。大仰かもしれないけど本当にそう思う。

 結局、彼女は五杯目で箸を置いた。今は満足そうな顔でお茶を啜っている。

 「……そういえば、士郎さんが起きる前に廊下の黒い物体が鳴いていましたよ」

  思い出したかの様に文が言う。黒い物体……ああ、電話のことだろう。

 「ちょっとビックリしましたが、あれは何かの道具ですか?」

 「ああ、あれは電話といって、遠くにいる相手とやりとりをする機械だ。
   俺に用件がある人が電話を掛けてきたんだと思う」

 「ほー、これが電話ですか。名前では知っていましたが、実物は初めて見ました。
   ……しかし、かなり長い間鳴っていましたが、放っておいて大丈夫でしたでしょうか?」

 「文は別に気にしないでいいぞ。火急の用事だったらまた掛けてくると思うから」

 恐らく弓道部に出ている藤ねえが弁当を作って持ってきてくれとかそんなのだろう。
  姉に厳しい弟としては、無視して然るべきだ。

 『士郎ー、お腹減ったよぅー。お姉ちゃん、士郎の作った鶏の唐揚げが食べたいなー』

 そんなことを言っている藤ねえが脳裏をよぎる。よりにもよってなぜ鶏の唐揚げなんだ。



 ――――――――――



 午後は文と二人で街を探索することにした。
  冬木の町は魔術師同士の戦争の舞台となる場所。素人なりの考えだが、地形の把握は重要だと思う。

 文は俺のそんな気も知らずに、好奇心を隠せない様子で商店街を歩いていた。
  悪いとは思ったが昨日と同様、もうしわけないが文には天狗ルックをやめてもらった。

 彼女はふわふわと浮き足立って、いろんな店をカメラ片手に覗いている。
  商店街の到る所を写真に納めており、ステレオタイプな外国人の観光客みたいだ。
  だが、顔立ちは俺たちと同じ日本人顔なので、何でもない日常風景を撮る彼女は異様だったが。

 「お、士郎君! そちらの可愛いお嬢さんは士郎君の彼女かい?」

 贔屓にしている魚屋の店主からそんな声が掛かる。四十半ばを過ぎたいつも溌剌としたおじさんだ。

 「な! 違いますよ!」

 「まぁまぁそう隠さなくてもいいじゃない。桜ちゃんもいるのに隅に置けないね! この色男!」

  ああ、これは完全に勘違いしている。桜も学園の後輩であって別にそんな仲じゃない。
 日曜の昼下がりに年頃の男女が歩いていれば、そう思われても仕方がないかもしれない。
  ……言われるまで意識していなかったが。

 文は否定も肯定もせずに店主へと社交的に笑いかけた。そして当然のように写真を撮る。
 店主もサービス精神旺盛で、大きい魚を片手で掲げてポーズを取る。この二人ノリノリである。

 商店街を歩いていると馴染みの店から同じように冷やかさられた。
  ……顔見知りの多い場所を男女二人で歩くのはあまりにも危険だ。
  というより、文が何の否定もしないから、結局は勘違いされたままだし。

 埒が明かないので、江戸前屋で大判焼きを買い、逃げるように公園と移動する。
 そのままベンチに二人で腰を下ろした。偶然にも昨夜文と話し込んだ場所と同じだった。

  ……しまった。

  座ってから気づいたが、公園のベンチで若い男女が肩を並べて甘い物を食べる……。
 そんなの益々言い訳が立たない状況じゃないか。
  しかも冬とはいえ、公園にもちらほらと人もいるし。

  気づけば、立ち話をしていた奥様方や遊んでいた小学生までもが温かな目でこちらを見ている。
  『あらあら、若いっていいわねぇ』そんな声が今にも聞こえてきそうだ。

  かなり恥ずかしかったが、逃げ出すことできない。ここで羞恥に耐えきれずに逃げたら負けだ。何かに。
  同じ当事者でもある文は俺の懊悩に気づく様子もなく、渡された大判焼きを食べていた。

 「美味しいですね。外の世界の食文化は非常に進んでいるようで、羨ましい限りです」

 「……ああ、ここの甘味はオススメだ」

 何でもないフリをして、俺も文に倣って大判焼きにかぶりつく。
  確かに江戸前屋の大判焼きは人気があるのが頷ける上品な甘さがあった。
  種類は粒あんとこしあんの二種類のみだが、それだけに味へのこだわりがあるのだろう。

  ……冷静に考えれば、俺もまた変な風に意識を過ぎていたと思う。
  少女は、はむはむと美味しそうに大判焼きを食べていた。何とも思っていないだろう。

 「皆さんに恋人同士と間違えられてしまいましたね。……少し照れくさかったです」

 そう言って文は、頬を染めて見せた。

 「なっ!?」

  飲み込もうとした大判焼きを喉に詰まらせて、思いっ切り噎せ込んでしまう。
 無理矢理納得しようとした矢先に、俺の虚を突く言葉。
  どう考えても、わかって言っているとしか思えないタイミングだった。

  噎せ返して咳をする俺の背中を、文は『大丈夫ですか』とさすってくれた。
  見上げると悪戯混じりの笑みが、ありありと顔に浮かんでいた。


 ――ああ、彼女とは本当にうまくやっていけそうだ。







 後書き

 前回からかなり空いたのに話が全く進んでいません。
  まぁ閑話です。閑な話と書いて閑話です。

  いや、ホントもうすみません。死にます。


 2007.7.16

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