「文々。異聞録」 第13話





 ――視界に映る校庭。

  どこのクラスかはわからないが、この寒空の下でサッカーに興じてた。
  いや、興じていたというのは語弊があった。サッカーでもあっても授業であって、遊びではない。

 ――胡乱とした頭でそんなことを考える。

 四時間目。穂群原学園2年C組の俺のクラスも数学の授業の真っ只中だ。

  横目に空いた座席を見る。今朝慎二は学園に来なかった。
  担任である藤ねえも何も知らない様子だったし、どうやら無断で休んだようだ。

 美綴の話では昨日も部活を休んだらしいので、流石に心配になってくる。
  慎二は授業の途中から抜け出すようなことは多々あるが、朝からいないなんて滅多にない。
  後で桜に訊くなりをして、探しに出た方に行った方がいいかもしれない。
  少し大げさかもしれないが、何からの事件に巻き込まれた可能性もある。

  ただでさえ、今は冬木市では聖杯戦争が勃発しているのだ。万が一では済まされないかもしれない。
  ……まぁ慎二のことだからひょっこり顔を出してもおかしくはないが。

 そういえば、昨日と今朝は桜と藤ねえもウチに来なかったな。
  ……ひょっとしたら、今は部活が忙しい時期なのだろうか。
  桜は今年の一年で期待の新人だし、藤ねえに至っては弓道部顧問だ。
  それだと美綴が慎二がサボったことを気にしていた事も合点がいく。


 ――今朝。

  朝食を取り、文に学園へ行ってくると告げていつも通りの時間に登校した。
  聖杯戦争中ということもあり、学園に行くのを止められるのかと思ったが、
  そんな素振りは一切なく文は玄関先まで見送ってくれた。
  ……その時にちょっと含みのある笑みを浮かべたのは気になったが。

 やはり校門を潜ると昨日と同様に甘ったるい感じがした。
  それは学園に張られているという結界によるものだ。心なしか昨日よりも酷くなっている。
  徐々に結界の完成へと近づいていると考えていいだろう。

  ほかの生徒は気にもしないでいたのを見ると、俺のなけなしの魔術と反応したようだ。
  この事態を誰かに伝えようとかと思うも、そんなことをすれば頭が変な奴だと思われるのがオチだ。

 その後は何もなく、いつも通りの授業が行われている。
  しかしこの平穏も間もなく崩されるかもしれない。それだけは何があっても阻止しなければ――。
 昨日、文はこの結界について調べてくれると言ってくれた。今はそれに希望を託すしかない。

  文に頼りっきりで何も出来ない、そんな自分に歯噛みする。
 ……何か俺にも出来ることはないのだろうか。俺に出来ることは魔術は強化だけ。それも成功率の低い。
  例え成功したとしても、バーサーカーといったサーヴァントに通用するとは思えない。

  だが、何もしないうちから諦めてどうする。俺にもできることが絶対にあるはずなんだ。


 ――――――――――


 「衛宮殿、下級生が呼んでいるでござるよ」

 ……没頭していた意識を表に出す。

  目の前にに後藤君がいた。
  なにやら妙な時代掛かった胡散臭いしゃべり口調だ。昨日見た時代劇か何かに影響されたのだろう。

 授業は俺があれこれと考えている間に終わったようだった。

 「む、すまん。それでなんだって?」

  「廊下で下級生が衛宮殿を呼んでいるでごわす。
   ……しかし下級生の女子とは衛宮殿も隅に置けないでござるな」

 ごわす?

  ……その下級生の女子というのは桜のことだろう。他に繋がりのある下級生なんていないしな。
  しかし何の用だろうか。でも、桜が俺のクラスまで来るのは珍しいことだった。
  もしかすると、今行方不明中の慎二のことかもしれない。

 「ああ、ありがとう。後藤君」

  「何、礼には及ばぬでござるよ」

 席を立つと急ぎ足で廊下に出る。しして周囲を見渡すが、桜の姿はどこにも見あたらなかった。
  桜は結構目立つ出で立ちなんだけどな。だとしたら桜じゃないのか?

 「士郎さん」

 突如後ろから声を掛けられた。透き通るような意志の強い声。
  聞き覚えのある声だが、これは桜の物ではないぞ。というか、この声はつい今朝方も聞いた声だ。

 後ろを振り向くのが非常に怖い。
  というか、後顧せずにこのまま前方に向かって全力疾走をしてしまいたい気分だ。
 万が一別人である可能性も捨てきれない。むしろその可能性であってほしい。

 微かな願いを掛けてぎりぎりと振り向くと、――そこに見知らぬ女子生徒がいた。
  よかったよかった、知らない生徒だ。だったら、この生徒は誰だろうか?

 いや、知らないのは着ているものだけであって、その顔は俺のよく知るところじゃないか。
  どうやら突然のことに脳の回転が著しく鈍くなっているようだ。

 「来ちゃいました」

 少女は意地の悪い満面の笑みを浮かべていた。
  射命丸文がいた。何故か穂群原の制服を着た烏天狗の少女がそこにいた。

  ……こんな時、人はどんな反応をすればいいんだろうか。

  人は過去の行動と照らし合わせて、最善の行動を取るという。
  家にいるはずの文がどういうわけかウチの制服を着こなして俺の眼前にいる。
  20年足らずの人生に過去にそれと似たような前例は当然ながらない。まさしく不測の事態といえた。

  脳はこの事態に機能停止寸前で、残る思考回路も上手く働いてくれない。
  頭が破裂しそうなか、その残った思考回路も少女のはにかむ笑顔が眩しいなと考えていた。もう駄目だ。 

 「どうですか?似合いますか?」

  「あ、ああ」

 確かに似合っている。

  私立穂群原学園の女子制服――。
  赤いリボンタイで飾られたブラウス、薄茶色のベスト、黒のスカート。
  彼女が普段着ているゴシックだがどこか清楚なデザインの服と似通っており、違和感はない。
  文は小柄なので少しだけ袖が余っていたが、それもまた少女の可愛さを引き立てている。

 「ふふ。ありがとうございます」

 文は嬉しそうにくるりとターンをする。
  スカートが空気の力でふわっと浮かんだが中身は見えなかった。何を期待している、当然だ。

 「申し訳ありませんが、一枚撮ってくださいますか?」

 肩にかけていたカメラを俺……ではなく、廊下を歩いていた男子生徒に渡す。

 「え?」

 何のことやらという顔をするが、渡された古めかしいカメラを丁重に受け取った。

  「私と士郎さんとのツーショットでお願いします」

  『えええ!』

 突然の事に驚く男子生徒。俺も同時に声を上げてしまった。見事にハモった。

 茫然と立ちつくす俺の隣に立つ少女。
  文に簡単な手ほどきを受けて言われたままにシャッターを押す男子生徒。
 文は笑っていたが、俺はさぞ固まった笑顔していただろう。
 少女は満足そうに男子生徒からカメラを受け取ると、「ありがとうございます」と会釈をした。

  その一連のイベントに何事かとこちらを覗う同級生の群。

 「衛宮の奴、また下級生を誑し込んでいるぜ」
  「何だと! 間桐の妹だけじゃないのか!」
  「普段はおとなしいけどやることはやっているんだな」
  「『士郎さん』ですって」
  「でもあんな可愛い子、うちにいたか?」
  「衛宮はやっぱりペド野郎だと思っていたよ」

 なにやらひそひそとこちらを窺う好奇心に満ちた視線の群像が心に痛烈なダメージを与える。
  徐々に人も集まりだしてきた。しかも変な噂を立てられている。ちょっと泣きそうだ。

 ……これは本当に拙いことになりかねない。現状で十分拙い事態だが、それは泣き寝入るしかない。

 何が問題かと言うと、限られてはいるが文を知る人物に知られてしまうことだ。
  特に遠坂や美綴に見られてはいけない。遠坂はさして問題はないかもしれないが、美綴は大有だ。
  昨日の時点でうちの生徒ではないことが知っている。見られたら言い訳のしようがない。

 それに二人とも何かと鼻が効くので、早急にこの場を離れた方が得策だろう。
  そう結論に達すると、俺は文の手を握って無言でずんずんと歩き出した。心持ち早歩きで。

 「お、手を握っているぞ!」
  「やっぱり衛宮と……」
  「逢い引き……」

 そんな声が聞こえたが、聞こえない。
 聞こえないはずなのにどうしてか、耳が痛い。心が痛い。


 ――――――――――


 今日ほど屋上に誰もいなくて良かったと思ったことはない。
  本来は立ち入り禁止なのだが、たまに生徒がいることもあるのだ。

  ……まぁこの寒い季節に屋上に来る奴もいないだろうけど。

 文は俺の手をふりほどくこともなく、黙って付いてきてくれた。
 開口一番に訊くことは決まっている。

 「……それでどうして文がここに?」

 「潜入調査です」

 あっけらかんと答えた。腰に手を置いて、えへんと胸を張る。
  あ、なんか目眩がしてきた。……でも詳しく聞いておく必要はありそうだ。

  「潜入調査?」

 「ええ、そうです。結界を調べるのに学園内では私の服は目立ちます。
   ――木を隠すには森の中。なのでここの生徒に成りすませば、目立たないという考えに至りました」

 昨夜、文が持っていた紙袋はここの制服が入っていたのか。そこだけ合点がいった。
 ……『目立たない為』と言う割には道すがらの生徒に写真を撮らせていたのは何の冗談だろうか。

  それに制服の出処が気になる。まさかとは思うが、盗んだんじゃないだろうな。

 「その制服はどうしたんだ?」

  「これですか? 借りただけです」

 「借りた?」

  「ええと。職員室……、ですか? そこに保管してあったものを」

  なるほど。おそらく彼女の着ている制服はサンプルだろう。
  主に学園の説明会などでマネキンが着ているものだ。
 だといっても、部外者にそれを貸してくれる教職員なんていないと思うけど。

 「借りるって……もしかして、無断で持ち出したのか?」

 文は途端にばつの悪そうな顔をする。

  「……ま、まぁそうともいいますかね。本人の認識は『借りた』というものですし、
  どこかの魔法使いみたいに『一生借りるだけだぜ』なんて馬鹿な事はいいません。
  必要がなくなったら、ちゃんとお返しします」

 貸し借りというのは両者の同意があって初めて成立するものじゃないのだろうか。

  でも、学園の生徒から盗む……、もとい借りたのなら問題だが、今は使われていない制服だ。
 それでも今すぐ返した方がいいだろうが、現状で学園の一大事になりかねないのだ。
  文が制服のあることで最善を尽くせるのなら、目を瞑ってもらおう。

 ……考えてみたら、昨日は日曜日だとしても職員室にも先生がいたはずだ。
 その状況でどうやってどこにあるかもわからない制服を手に入れたのだろうか。

 「なあ、文。職員室には誰もいなかったのか?」

 「……ああ、居ましたよ。
   でも私ならその場に何人いようが愚鈍な人間には気付くことなく行動できますがね」

 ……彼女の本音を聞いてしまった気がするのは気の所為だろうか。
  というよりも、何人いても見つからない自信があるのなら制服なんて必要なくないか。


 ――――――――――


 弁当は持っていたが、これから教室に戻るのはいろいろと憚れるので、
  学食まで走って二人分のパンと飲み物を買った来た。

  文にも当然昼食を用意しておいたが『食べちゃいました』とのご返答。そうですか。

 フェンスに寄りかかって、文と買ってきたばかりのパンで少し遅めのランチを取る。
 二人とも無言だったが、雰囲気は悪くはない。
  突き抜ける冬の冷たい風が食堂と屋上を往復して火照った体には心地よかった。

 文はいつの間にか、集まりだしたカラスにパンを千切って与えていた。
  彼らは俺たちに恐れた様子を見せることなく、それどころか異様なまでに礼儀正しい。
  餌を貰って頭を下げるカラスなんて初めて見た。奈良の鹿を思い出す。

 少女はカラスの頭を掻いてやると、カラスは気持ちよさそうに眼を細めている。
  暫くしてカァと一鳴きしてどこかに飛んでいった。

 「士郎さん」

 カラスが飛び去るのを見ながら、そう抑揚のない声でそう漏らす。
  その声にどこか真剣味を感じた俺は、慌てて口の中の根菜パンを牛乳で流し込む。

 「どうしたんだ?」

 「学園に張られた結界の基点はここです」

 そう言うと、屋上の床の一角を指差した。

 「呪刻はここ以外の場所でも幾つか確認しましたが、これがそれらの源流でしょう」

 目に魔力を通わす。そしてここに来て初めて気づいた。
  文の指差した先、そこには淡い紫色で描かれた七画の呪刻が刻まれていた。

 ――これはヤバい。
  俺なんかがとてもじゃないが手におえる物じゃない。
  ただ見ているだけで、甘い臭いが漂ってくる。まるで腐り落ちた果実の様な臭いだ。

  俺は何も気づかずにこんなものの側で飯を食べていたのか。
  その食べたばかりのパンを吐き出しそうになるが、寸でのところで抑える。

 「……文、これをどうにかできるか」

  「無理ですね。
   どんな呪術的な効果があるのかわかりませんが、ただ強力だというのは理解できます。
  人間に作れるような代物ではありません。サーヴァントによる仕業でしょう」

 「……じゃあ、これを無くすのにはどうすればいいんだ?」


 ――それだけはわかっていた。
  半人前の魔術使いである俺でもそれだけはわかっていた。

  それを文の口から言わせようとする俺はあまりにも卑怯だった。

 「……この結界を貼ったサーヴァントのマスターを探し当てて止めてもらう。
   それが可能ならば良いんですが、まぁそれは無理でしょうね。
  なのでサーヴァントか、そのマスターを殺すしかないでしょう」

 俺の心中を見透かしたような顔を見せ、酷くつまらなそうに明確な答えを告げた。

  吹き抜ける風音だけを残し、静寂が屋上を支配する。
  マスターはもとより、サーヴァントは人間ではない。
  だが、ヒトの形はしている。それを俺は殺せるのだろうか。
  それはつまり、文やセイバーのような存在を俺は殺すことができるのか、それと同じことだ。

 ……ああ、できるさ。その覚悟は正義の味方になると誓った日から出来ていた。
  衛宮切嗣に託された理想はそんなことでは決して揺るがない。

  だが、そんな決意を秘めた俺を文は無表情に見ていた。
  まるで俺に対する興味を失ったかのようなそんな顔だった。

 風の流れが途端に強くなった。聞こえるのは、ただの風音だけ。
  さっきまで心地よく思えた風が、冷たく肌を刺す。

 ――この静寂を破るもの。それは屋上の錆付いた扉が開かれる音だけ。







 後書き

 あれ?  本当はもっと話が進むはずだったのにあまり進んでません。
 今回の話にサブタイトルを付けるなら「文ちゃん、学園に潜入するの巻」です。

  今回の射命丸さんは何を考えいたのか。
  「制服が着たかった」「楽しそうじゃね」「士郎の驚く顔みたくね」。この三点のみ。
  結界の基点は士郎と別れた昨日の時点で全て見つけています。なので今日来た理由は殆どない。

  全然関係ありませんけど、ブリーチの死神さんたちは一護の学校にちゃんとした生徒として来ましたが、
  その設定はまったく生かさされずに彼らは尸魂界に帰りました。
  あれは久保センセー的にはなんだったんでしょうか。


 ……今、学園の結界を止める方法をふと思いつきました。
  サーヴァントの力を持ってして校舎のぶちこわせばいいじゃないのでしょうか。
  結界も消滅して学園も休校になります。わお、平和的解決。

 2007.8.15

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