「文々。異聞録」 第14話





 ――沈黙を破るのは第三者だ。物語ではそう相場が決まっている。
  しかし、その第三者が必ずしも事態を好転させるとは限らない。

 だが、今はそれでもよかった。

  文に俺の腹づもりは悟られてしまった。
 衛宮士郎という存在は己の正義に反するものを背中からでも刺せるのだということを。

 屋上にふたり。沈黙と静寂が支配する。

 文は形の良い目を細めて俺を見定めている。見透かしている。
  俺のことを文がどう思っているかはわからない。

  しかし、これだけはわかった。
  これは仲間に向ける視線ではない。かといって敵意を向けているわけでもない。

 とてもつまらないものを見る、そんな目。

  耐えられない。とてもじゃないが耐えられそうもない。
  圧力は何もない。だが、その瞳には温かさもなければ冷たさもない。
  ただ乾いている。微かな侮蔑だけを残し、乾き切っている
 あの人懐っこい文がこんな視線を向けてくるなんて耐えられない。

 口の中が乾く。唾すら飲み込めないほどどうしようもなく乾ききっている。
 この空間を壊してくれるのなら、なんだっていい。

  ……このとき初めてだったと思う。俺は射命丸文という妖怪をほんの少しだが理解した。


 …………。


 錆びた扉の音が甲高く鳴り、静寂に亀裂を入れた。
  そこにこの凍てついた空間を氷解する第三者。遠坂凛が姿を見せた。

 「……驚いた。騒ぎを聞いてまさかと思ったけど、本当に学園にサーヴァントを連れてくるなんて」

 遠坂が目を丸くして、俺を一顧だにせずに文を見る。
  やはり遠坂も文の着る穂群原学園の制服が気になるようだ。

 「こんな手を使ってサーヴァントを自分の側に置くなんてね。こんな普通の魔術師には想像の外よ」

 「ふふ。名案でしょう」

 文は見せびらかすようにスカートを両手でつまんで持ち上げる。
  放つ文はこれまでが嘘だったようにいつも通りの笑みを浮かべていた。

  そのことに安堵と同時に戦慄を覚えた。彼女は表裏一体であの顔を隠していたことになる。

 「はぁ……、結界の基点はどうやらここのようね。で、あんた達がこの結界の犯人?」

 「違う! 俺たちはこんなことは絶対にしない!」

 急に大声を出されて、遠坂はさして驚きもしないで溜息を漏らす。

 「……わかっているわよ。
  あんた達がこの結界を仕掛けるのには矛盾が多すぎるし、
  衛宮君の人となりを見てもそんなことするはずもないしね。
  さっきからずっと変な顔をしていたから、からかってみただけ。ごめん、謝るわ」

 ……変な顔? 咄嗟に顔を手で触って見るも、それで自分の表情がわかるはずもない。
  だが、顔の筋肉が緊張で強ばっていた。原因はただの一つだ。

  ――射命丸文。俺は彼女に初めて恐れを抱いた。
  ――いや、それは本当に初めてだったのだろうか。

  そう彼女を召喚した時。彼女がランサーと相対した時だ。
  俺は彼女に対してどう思った? いや違う。どう感じた?

 人としての本能が警鐘を鳴らさなかったか?
  それは至極単純で明快な自然の理――、弱肉強食。
 俺は彼女に比喩でも何でもなく弱肉強食の言葉通りに『――われる』と思わなかったか?

 俺はおそるおそる文の様子を窺うも、やはり何も変化した様子はなかった。

 怪訝な表情で彼女を見る俺を不審に思ったのか、『どうかしましたか?』と視線がそう訊いてくる。
  本当に俺の緊張の原因をわかっていないようにさえ思えてきた。

 だとするとさっきの彼女が見せたあれはなんだったのか。
  嘘だったかのように今の彼女はあまりにも平然としていて、肩の力も抜けてしまう。

  ……だったら、あれは気の所為と思いたい。
  俺の疑心暗鬼から来る思い込みで、彼女の口から何か直接聞いたわけでもない。

  そうだと考えると、出会ってからまだ数日しか経ってないのに、あまりにも失礼な想像になる。
  それを直接伝えるわけにもいかないので、こころで彼女に対して内省をした。

 得体のしれないところはあるが文は良い奴だ。今はそう信じよう。


 ――――――――――


 遠坂は俺たちを無視して結界の基点を調べていた。
  時折『やば』とか『こんなのどうしようもできない』といったことを漏らしていた。
 やはりこの結界はちゃんとした魔術師である遠坂にも手に負えない代物のようだ。

 その間、文は俺が買ってきたテトラパックの牛乳を飲んでいた。
  飲み終えるとパックを握り潰し、結界をつぶさに調べる遠坂に話し掛ける。

 「……それで、凛さん。貴方は敵対している私たちの前に現れたどうするつもりですか?
   もしかして、サーヴァントも従えずに私に勝ち目があるとでも思ってます?」

 その内容は想像していたのとかけ離れた挑発的な口吻だった。
  今まで第三者であろうとした文には信じがたい言葉だ。明らかに遠坂を挑発している。

 「おい、文!」

 遠坂は俺たちを無視しているようで常にこちらを警戒していたのだろう。
  さして驚いた素振りを見せずに遠坂がこちらを向く。

 「へぇ、そっちがその気ならいいわよ。
   確かに今はセイバーを連れてきてないけど、サーヴァントは令呪で喚べるわ。
  そっちがその気なら、人払いの結界を張ってあげても良いわよ?」

 これまでの遠坂の性格を考えれば相手が誰であろうと売られた喧嘩は間違いなく買う。
  吹っ掛けられたら三羽烏金を超える利子を付けて返してくるだろう。

 遠坂は右手を掲げボタンを外すと制服の袖を捲る。その甲に淡い光りを放つ奇妙な紋様が浮き出ていた。
  俺の令呪とは形が違うが、あれが遠坂の令呪だろう。
  令呪は使うごとに一画ずつ失っていくというが、まだ欠けた様子もなかった。

 「迂闊ですね。令呪を敵である私に晒していいのですか?
   貴方がそこに魔力を込める前に私の風がその腕を切り刻みますよ?」

 文を良い奴と結論づけたのも束の間、随分と過激な内容を放語する。

 「ふん。やれるものならやってみなさい。貴方が私に危害を与えるより早く私はセイバーを呼ぶわ。
  そして、貴方は私に触れることもなく、セイバーが貴方の首を切り落とすでしょうね」

 売り言葉に買い言葉。ひょっとしなくてもこれはまずい状況ではないのだろうか。
  今まで聖杯戦争に消極的だった文がここに来て明らかにやる気を見せている。

 一触即発の張り詰めた空気。
  次に何らかの動きを見せれば、遠坂は間違いなくセイバーを召喚する。
  そうなったらもう止まらない。聖杯戦争のルールに則って命の奪い合いが始まる。

  ここは聖杯戦争の学園の屋上。
  しかも昼休みという活気のある時間帯に、サーヴァント同士が斬り合いを見せる。
 それは最も忌避したかった事態。壊されてはいけない日常。それを俺の見知り合いが壊そうとしている。

 しかし。そんな中でも文と視線を合わせた時と比べると幾分かましだった。


 「はぁ……。隠れてないでそろそろ姿を見せたらどうですか?」

 文のその嘆息混じりの一言を切欠として遠坂が令呪を発動させようと身構えた時。

 こちらに飛来してくる何かに気付いてしまった。
  鈍い光を浮かばせる金属らしきものが、――遠坂の後頭部を撃ち抜こうとしている。

  それに気づいたのは奇跡といえた。
  飛来する金属を日光が反射させなければ気付くことなく、遠坂が死ぬのをただ傍観するだけだった。

  しかし、今発覚してたところでどうなる。
  俺と遠坂の距離は5メートル以上もあり、何をしようが間に合わない。

 「遠坂!!」

 せめて遠坂に気づいてもらおうと、声を張り上げた瞬間。

  ――文が刹那の時を動いた。

 ……後で知ったことだが、彼女は人間の脳が信号を送るまでの僅かな時間で動けるらしい。

  仮に遠坂が『令呪に魔力を込めセイバーを呼ぶ』という指示を脳が電気信号として腕に送ったとしても、
  文はその信号が腕に到達するよりも速く行動を起こせてしまう。
  簡潔に言えば、5メートルぐらいの距離だったら文は遠坂が動きを見せる前に殺せてしまう。
  だとすると、先程までのやりとりはまるで無意味でしかない。
  射命丸文の前にサーヴァントを従えずに現れた時点で遠坂の敗北は絶対のものだった。

 その人間には認識できない刹那の世界での常識を外れたスピード。
 遠坂に接触する距離まで詰め寄り、そして小さな頭を砕こうと飛来する何かを掴み取った。

 文の手に握られたのは五寸釘よりも何回りか大きい釘だった。
  その釘は長い鎖でつながれており、急に勢いを殺されたことで細かく震えていた。
  先程の勢いなら人間の頭に命中すれば容易く貫かれてしまっただろう。

 「共倒れを狙ったみたいですが、そうはいきません」

 文は片手で鎖でつながれた釘を片手で手繰るも、鎖は固定されたようにぴくりとも動かない。

 釘に繋がれた鎖は屋上に設置されている給水塔の後ろから伸びていた。
  ――だとするとあの釘を担い手は、まだ鎖の先にいるという証拠。
 ならばそいつは遠坂を殺そうとした奴になる。

 寸前のところで殺され掛けた遠坂は文の前で尻餅をついて座り込んでいた。
  セイバーを喚ぶ気力が萎えてしまったのか、ただ文を見上げているだけだ。

 垂れ下がっていた鎖がギシリと鈍い音を鳴らす。
  どうやらその向こう側にいる奴が力を込めて引いたようだ。鎖を持つ文が数歩分引きずられてしまう。

 「……綱引きですか。我ら天狗との力比べなんて百年早い!」

 負けずと文も鎖へと引く力を込めた。
  だが、文の体型は普通の少女と変わらないのだ。鎖に掛けられている体重なんてたかがしれている。

  だったら純粋な腕力だけで鎖を引くしなかない。

 そういえば、自分の正体を『天狗』だと敵の前でばらしていたけどいいのか。
 己の正体がバレることがサーヴァントでの戦闘で最たるタブーだと聞いたと思ったが。

  ……しかし、この鎖にはどれだけの力が込められているのだろう。
  文の履くローファーが屋上のタイルを何枚も踏み砕いている。
 そんな膠着状態が続いたが、文の方が徐々だがずるずると給水塔へ引きずられる。

 「う、凄い怪力。流石にやるわね。ですが……」

 それでも顔には幾らかの余裕があった。
  それもそのはず、綱引きは片手でやるものではない。

 その俺の思考が伝わったように文は鎖を両手に持ち直して鎖を引いた。

 再び固定されて鎖が動かなくなり、また膠着状態が続くのかと思いきや、文が鎖を振り回した。
  そして給水塔の影に隠れていた綱引きをする相手が陽の元へ晒される。

 だが、文は尚も鎖を振り回し続けると、ハンマー投げのような状態で人影が弧を描く。
 文はその凄まじい遠心力を利用し、相手をコンクリートの地面に叩き付けようとしたが――。

 「――いい判断です」

 途端、じゃらりと鎖が垂れた。相手が鎖を手放したのだ。
  相手は空高く投げ出され屋上へと自由落下するも、豹のような身のこなしで地面へ着地する。


 現れたのは豊満な肉体を黒いボディスーツに包み、足下まで伸びた紫色の髪を持つ女だった。
  特に異様だったのは両目を包んだゴーグルのような眼帯。唯一見える口元には何の表情はない。

 「…………」 

 何の構えも見せずに直立したままこちらを見ている。
  目は眼帯で隠されているが、こちらを見ているのだけはどうしてかわかる。

  ……ただ者じゃない。何もその風体や身体能力から言っているのではない。

 空気を介して伝わる気配は人間とはまるで違うもの。
  この女も明らかに人間とは一線を画した存在。間違いなくサーヴァントだ。

  そして、そのサーヴァントは最後に鎖を持つ文を一瞥すると、躊躇なく屋上から飛び降りる。
  文も深追いはしないようで、その場から動かない。
 俺はフェンスに身を寄せてサーヴァントが飛び降りた地点を見下ろすも、そこには誰もいなかった。

 「私たちに力で勝てるのは鬼ぐらいなものです」

 文は勝ち得た巨大な釘付の鎖を興味なさげに手放す。
  コンクリートと釘が接触すると、ごとりと鈍い音を鳴らした。

 「……いつからあのサーヴァントの存在に気づいていたの?」

  遠坂がそう呟いた。殺され掛けたとは思えないような態度だった。

  彼女もまたあの長身の女をサーヴァントと判断したのだろう。
 なんのサーヴァントかわからないが、風体と武器から考えてアサシンだろうか。

 遠坂の疑問に文が間髪入れずに答える。

 「ずっとですよ、ずっと。私たちが昼食を食べている時から既にいました。
   あのサーヴァントは私達が屋上に来る前からここにいたようですね」

 ……全く気づかなかった。文も気づいた素振りを見せなかったが、それは演技だったのだろうか。

 「こちらをずっと観察していたので、
   何度も隙を見せたり誘いを掛けたりもしたんですが、なかなか動いてくれませんでしたね」

 「ふーん、それで貴方は私を挑発してあのサーヴァントを誘ってみたと。やってくれるじゃない」

 「あややや、気づいていましたか」

 申し訳ないです、とぺこりと頭を下げる。
  尤も文の口ぶりも表情もあまり申し訳ないとは思ってはいなさそうだ。
 遠坂はその態度に忌々しそうにするも、結果的に助けられた手前か言及することもないようだ。

 「……ふん。で、あのサーヴァントがこの結界を張ったの?」

  「そう考えるのが打倒でしょうね」

 「……はぁ。今日はそれがわかっただけでも収穫アリとするか。
   餌に使われたのは癪だけど、昨日の借りもあるし、今日のとこは見逃してあげわ」

 そう言って遠坂は踵を返して屋上を後にする。

 「遠坂。俺たちは本当に闘うしかないのか」

 ツーテールが揺れる背中にそんな願望じみた言葉を投げかける。
  彼女は振り返らなかったが、はっきりとした口調でこう告げた。

 「……衛宮君も本当にくどいわね。
   何度も言わせない欲しいんだけど、私とあなた達は敵同士よ。
  学園内とはいえ不用意にあなた達に近づいたのは迂闊だったわ。
  それじゃあね。――それと、もうすぐ昼休み終わるわよ」


 甲高い音と共に屋上の扉が閉められる。
  再び俺たち二人になるも、あの時とは違ってあの耐え難い空気にはならなかった。
 あの時の文もまた、あのサーヴァントを誘うためのものだったのだろうか。

 「もうすぐ昼休みも終わりだそうです」

 「ああ、そうみたいだな」

 時計は持ってないが、遠坂の言うとおりならもうすぐ予鈴が鳴るだろう。
  しかし昼休みに起きた出来事の数々に精神が高揚してとてもじゃないが授業を受ける気分ではない。

  それにサーヴァントは夜だけではなく昼夜関係なしに襲ってくるものだとわかった。
 初め文を学園で目にしたときは驚いたが、今はいてくれて正解だったと痛感する。
 もし俺一人が屋上にいたのならば、何も気づくこともなくあの釘で殺されていたのかもしれない。

 聖杯戦争の間、サーヴァントが側にいないということは自殺行為に等しい。
  遠坂はセイバーを連れてきていないと言ったが、直ぐに令呪で喚べると言っていた。
  それだけじゃ心許ないかもしれないが、遠坂も遠坂なりに何かしらの対策してあるだろう。

 既に聖杯戦争は始まっている。日常を護るためには日常は過ごせないのだとようやく理解した。







 後書き

 久しぶりの更新です。
  どんだけ久しぶりなんでしょうか。どんだけ〜。……死ねばいいのに。
  しかし前の更新は「どんだけ〜」というカマ用語が流行る前だったような。どんだけ〜。

 そろそろ射命丸のステータスでも書きたいと思いますが、
  あれを書いてしまうと今まで以上に厨臭くなってしまいそうで、
  心に秘めておいた方がいいような気がしてならない。

 んでは、次の更新も近いうちにできるよう頑張りたい。

 2007.11.4

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