「文々。異聞録」 第15話





  午後の授業にはあまり身が入らなかった。
  そのまま下校時間を迎えたが、昼の襲撃が嘘だったように平穏無事に過ぎた。

  結局、文には下校までの時間を校内に居てれてた。
  流石に同じ教室というのは無理だとしても、他サーヴァントに対する警戒にはなるだろう。
  あんなことのあった直後に家に帰らすのは、幾ら何でも無防備と言える。

 そうして。

  下校は文と並んで帰途に着くことになった。
  道中、見知った生徒が信じられないものを見る目でこちらを窺っていたのは何だろうか。

 ……文の容貌にこれと言って不自然な点はない。

  顔立ちは若干幼いが、この学園の生徒といっても十分に通用すると思う。
  マンモスといえるほどは大規模ではないが、それなりに大きさのある学園だ。
  例え相手が教師だとしても顔を知らない生徒が紛れ込んでいるとは思わないはずなんだが。

 「衛宮もついに……」
  「あの朴念仁の衛宮君がねぇ……」

 ヒソヒソと知った顔が聞き取れない程度のボリュームで会話をしている。
  なんとなく俺の名前が上がっているのはわかったが、内容までは聞き取れない。一体なんだろう?


 「じゃあ文は授業中、図書館で本を読んでいたのか」

 周囲への警戒は必要だが、常に神経を張り巡らせているわけにもいかず、文と取り留めもない雑談をする。

  「図書館は知識の泉ですからね。記者たるもの知識や情報は常に敏感でなければなりません。
   それに幻想郷にはない蔵書ばかりで関心が寄せられますし」

 「勉強熱心なんだな。……まさかとは思うけど、図書館の本を持ち出してはないだろうな?」

 今着ている制服もそうだが、彼女は意外と手癖が悪い。
  半ば冗談で言ったが、少し心配になる。家のものなら構わないが、学園のものは生徒の共有財産だ。
  借りるにしてもちゃんとした手続きを取ってもらいたい。

 「……さ、さすがの私もそんなことはしませんよ」

 真っ直ぐに目を見て話す彼女があからさまに視線を逸らしている。
  言わずもがな気まずいことがあるのだろう。
  後で彼女の手から提げている学園指定の皮鞄の中を覗いてみよう。
  というか、鞄までも持ちだしたのか。手癖の悪いと言うべきか、用意周到と言うべきなのか。

 ……あ、そうだ。今日は買い出しをしなければいけない。
 今夜の夕食は藤ねえも桜もウチに来るだろうし、今の冷蔵庫の中では少々心許ない。
  そうと決まれば帰りがけに商店街へと寄っていこう。

 「文、ちょっと帰りに昨日行った商店街に寄っていいか?
   もちろん一人先に帰ってもいいけど、一緒に来てくれると嬉しい」

 「あ、はい。付き合います」

 先程と違って真っ直ぐな視線を見せて肯いてくれた。やはり怪しい。

 …………。

  冬木のマウント深山商店街はいつもと変わらない賑やかさがあった。
  今更ながら酷いネーミングセンスだが、子供の頃から利用しているだけあって今はもう違和感もない。
  特に今は夕方時ということもあって、その喧噪はピークだろう。

  だが、この有り触れた日常も壊されるかもしれない危機に直面している。
  10年前のあの時、こんな日常が一瞬で炎に包まれた。
 あんな事は二度と再現されてはいけない。許してはいけない。鞄を握る手が堅くなる。

 いつもの巡回ルートで店を巡り終える頃には、大きなビニール袋を4つ提げることになった。
 文も持つのを手伝うと言ってくれたが、やんわりと断る。
  女の子を前にして格好つけるわけではないが、これは昔から男のやるべき仕事だろう。

 文と夕日を背負いながらとぼとぼと家までの道を歩く。
  まだ夕方の4時を過ぎたばかりだというのに今にも陽が沈もうとしてした。

  ――そして黄昏時が終わると、宵に紛れた英雄たちの狂宴が始まるのだ。


 ――――――――――


  玄関に置かれた文の長下駄のような靴にぎょっとする。何度見ても凄い靴だ。

  人並み外れた身体能力がなければ、簡単に転んでしまいそうだ。
  伊達や酔狂ではなく、本当にこの靴は履いて生活ができるものなのだろうか。
  ……待てよ、天狗である彼女のことだ。
  もしかすると、逆にこの靴じゃないと駄目な理由でもあるかもしれない。

 「やっぱり、ローファーよりもこの靴の方が歩き心地がいいのか?」

 そう、天狗としての矜持だけではなく、何らかの機能があるのかもしれない。

 「そうですねー。
   ずっと履いているので特別な感想はありませんが、履き始めた頃は伊達や酔狂だった気がします」

 ……天狗って一体。

 今日のメインのおかずはカジキマグロの唐揚げと肉じゃがだ。
 赤身魚の唐揚げはタルタルソースも捨てがたいが、今日は和風テイストの醤油味にしよう。
 文も小さい体で人並み以上に食べることが分かったので、普段よりもプラス2人前は必要になりそうだ。
  俺も人のことは言えないが、この家は虎を筆頭に大飯喰らいが多いので作りがいがある。
  それに桜もああ見えて結構食べる方なのを特筆しておこう。

 文は昨日と同様に手伝ってくれると言ったが、客に何度も働かせるのは悪いだろう。
  そう伝えると渋々だが了承してくれたので、居間でテレビを見ている。

  穂群原の制服を脱いで普段の白を基調とした服に着替えて、食い入るように報道番組を見ていた。
  ……同じジャーナリストとしてのシンパシーなのだろうか、とにかく凄い集中力だ。
 頭襟も頭には乗せておらず、端から見るとただのテレビ好きの女の子でしかない。
  ……そのことは逆に変に意識させるが、今はそんな邪な考えは止めて料理に専念しよう。

 そして、付け合わせのレタスと海苔のサラダを完成させた頃だった。
  がらがらと、玄関を開ける独特の聞こえてきた。

 「士郎のお家でご飯食べるのもなんだか随分久しぶりー! お姉ちゃん、お腹すいちゃったよぅ」

 「先輩、お邪魔します」

 一人はいつも通り賑やかに、一人はいつも通り謙虚に入ってくる。
  藤ねえと桜の二人。衛宮家の家族同然と言える二人だ。
  いつもは桜が先に来ることが多いが、今日は珍しく藤ねえと一緒のようだった。
  しかし、桜も家族なんだから『お邪魔します』なんて他人行儀な事は言わなくてもいいのになと思う。

  だからといって藤ねえほど傍若無人にはなって貰いたくはないけど。
  そんなあり得ない想像をしていると、とんでもないことを忘れていることに気がついた。

 …………あ、藤ねえと桜に文の紹介をしていないじゃないか! 

  今更気付いたが、もう遅い。二人に今のこの状況をどう説明していいのか皆目検討がつかない。
  二人の知らない見た目、十代半ばぐらいの女の子がテレビを見ている。
  しかも言い方が悪いかもしれないが、現状で同棲に近いことまでしているのだ。

  当然だが、過去にそんなことは一度もなかった。あるはずもない。
  元々嘘は得意な方ではないが、これはどんな嘘の達人でも言い訳は不可能な状況だ。
  まさか聖杯戦争を一から説明するわけにもいかないし、誰の目から見ても穿った見方をされる。

  ついさっきまで邪なことを考えていた所為か、余計な焦りが胸中を襲う。
  一体どうしたらいいんだ。これは極めて拙いのではないだろうか。命の危険性さえも感じてしまう。

  そして、俺のそんな焦る気持ちを一切合切無視して、
  廊下の床がドタドタと威勢の良い足音が居間に近づいているのを伝えている。拙い。本当に拙い。
  家に中学生ぐらいの女の子がいたら、桜はともかく虎が咆吼を上げる。それはもう確実に。
 頭が真っ白になり、考えがうまく纏まらない。

  料理をする手を止め、座ってテレビを見ている文の手を掴んだ。

 「はぇ? 士郎さん、どうかされましたか?」

  そうは言われても、何も考えていない。将棋で言う指運という奴だ。事の行方は運次第。

 意識をテレビに持っていかれていたのか、何も分かっていない様子だった。
  だが、今は悠長に事情を説明するような時間もない。
  文に有無を言わさず立ち上がってもらって、彼女の手を引く。
  俺の無言の迫力に気圧されたのか、文句一つ言わずに付き合ってくれた。

  藤ねえたちと鉢合わせする前に俺の部屋まで足音を立てないように駆ける。
  部屋の襖をゆっくりと閉め、乱れた呼吸を整えた。さっきからバクバク心臓が鳴りっぱなしだ。

 …………。

 「……たまたま桜ちゃんと士郎の家の前でばったり会っちゃってー。
   ところで玄関にある面白い下駄みたいな靴はなにー?
  士郎の修練用の靴? もしかしてパーティーグッズかなー? 士郎の足に小さいけどー」

 声の様子からして、藤ねえは俺たちの居場所には気付いていないようだ。
  居間の襖を開ける音が俺の部屋まで届いた。本当に間一髪のタイミングで見つからずに済んだ。

 「……あれ? 士郎がいないや。どこにいっちゃったのかなー? むー、まだ家に帰ってないの?」

 「先生、先輩の靴はありましたので、家にはいると思います」

 藤ねえに続くように桜。
 それに居間の照明やテレビも点いているし、家に居ることは誤魔化しようもない。

 「んー。よく見れば夕食の下ごしらえもしてあるし、トイレかなー」

 溌剌とした声が部屋を越えて届いているが、今は無視を決め込む。
 今のまま対面しても墓穴を掘ることになりかねない。

 そして、突然俺の部屋に連れ込まれた文は不思議そうな顔をしていた。
  ……ああ、そうだ。まずは彼女にこの状況の事情を説明しなければならない。

 「文、今家に来た二人は一緒に住んでいる訳じゃないけど、俺の家族みたいなものだ。
  こうやってよく一緒に食事を食べることが多い」

 「はぁ」

 それがどうしたんだと言わんばかりの様子だ。

 「でも、あの二人に文の事を紹介するのをすっかり忘れていた。
   それ以前にどう紹介して良いのかも分からない。
   二人とも聖杯戦争どこかこっちの世界とは無関係でなんだ。本当のことは絶対に言えない」

 今の話で納得したのか、文の表情が少しずつ変わっていく。

 「あー、なるほど。合点がいきました。
   無言で布団の敷かれた明かりのない部屋に連れ込まれたので、まさかと驚かされましたが。
  ……なるほどなるほど、そういうことでしたか」

 布団が一組だけ敷かれた暗い部屋に十代半ばぐらいの少女。その少女の手を握る息の荒い男。
  …………今まで気付かなかったが、この状況は別の意味でヤバかった。

 「いやその!これはそんなんじゃなくて!」

 「ふふ、わかってます。ではお二人にどう説明したらいいの一緒に考えましょうか」

 そして、5分後――。
  藤ねえは今はまだ居間で寛いでいるようだが、まだ油断はできない。
  俺がいつまで経っても姿を現さないことを訝しんで、いつ家中を探しに来るかわからない。
  藤ねえのことだから、その気になればこの部屋どころか、風呂場もトイレも開ける。
  今のこの状況を見られたらおしまいだ。文が今した勘違いを間違いなく藤ねえもするだろう。

  人の話を三分の一ぐらいしか聞かない藤ねえだから、問答無用で吼えられる。ああ、もう泣きたい。

  一向に考えが纏まらない。
  それに時間が過ぎるにつれて、俺の焦りもどんどん重なっていく。本当にどうしよう……。
  いっそのこと、窓から外に逃げ出してやろうかと本末転倒な考えが脳裏を過ぎった矢先だった。

 「士郎さん、私に任せてください」

 いつも以上に余裕を含んだ表情で浮かべると、射命丸文が自信たっぷりに宣言した。

  「え?本当か?」

  「はい、ばっちりですね。……ではこのまま手を繋いで居間まで行きましょう」

  文を部屋に連れ込んだ時からずっと手を繋いでいることに言われて気付き、慌てて放した。
 すまんと謝る俺に対して文はニヤニヤと笑みを浮かべていた。……顔が火照るように熱い。

 「そ、それでどんな案なんだ」

 気恥ずかしさを紛らすために言葉を紡ぐ。
  若干どもってしまい、内心焦っていることがバレバレだった。ホントに泣きたい。

 「ふふ、士郎さんはただ私の紹介をしてくれればいいです。後は私に任せてください」

 「ああ、頼む」

 文の自信に満ちた表情を見るとこれ以上は何も聞けない。部屋を出て居間に向かった。
  今は手を繋いでいないが、今度はやましい気持ちで心臓がドキドキしっぱなしだ。

 藤ねえが付けっぱなしのだったテレビを見ていた。
  夕食前だというのに、せんべいを囓っているのはどうなんだろう。
  桜は台所で制服の上にマイエプロンを着け、夕食の続きをしているようだった。

  そんないつも通りの衛宮家の光景に安堵を覚え、鼓動も少し落ち着いていく。

 「あ。士郎ー、ただいまー。どこにいってたのー?」

 藤ねえがテレビから目を離さずにいたのは幸いと言えばよいのか。まだ文の存在に気付いていない。

 「先輩、お邪魔してます。 ……え!?」

 台所から出てきた桜が絶句をする。
  桜のただ事じゃない様子に気づいた藤ねえがテレビからようやく目を離してこちらを向いた。

  俺の隣に立っていた天狗の少女と目が合った。
  藤ねえは何が何だかわからないといった様子で唖然としている。文は臆すこともなくニコリと笑った。

 「んお?」

 あ、咥えていたせんべいがポロリと落ちた。

 思っていたよりもリアクションが薄い。それとも単に理解するまで頭が回っていないののだろうか。
  まぁ何だって良い。情けないがここは文に任せよう。

 「二人とも紹介する。この子は射命丸文といって暫く家で面倒を見ることになった」

 「ご紹介に預かりました。射命丸文と申します。
  不束な点も幾十にもありますが、よろしくお願い致します」

 その場で深々と頭を垂れる。

 「あ、こちらこそよろしくお願い…………って、そんなの駄目ーー!!!」

 藤ねえも文につられて頭を下げそうになったが、寸でのところで虎が目覚めた。
  あまりにの大声に耳がきぃんと痛くなるが、文に言われたとおり、俺は黙っているしかない。

 「士郎ー! どうしちゃったの!! こんな女の子を連れ込んだりして!
  暫く面倒を見るって、どーゆうことー!?そんなのお姉ちゃん絶対許さないんだからーーッ!!
   ……それに士郎にそんなつき合いがあったなんてお姉ちゃんは信じられません」

 「先輩……」

 桜のどこか悲しそうな視線と、藤ねえの迫力に胃がズキズキと痛む。心臓も当然バクバクだ。

 「大体どこの子なのよー? 中学はどこ? こんな遅くに他人の家にいたら親御さんに叱られない?」

 多少だが落ち着きを取り戻した藤ねえがまるで本物の教師のように優しく文に接する。

 「士郎さんの保護者の方ですね。いつもお世話になっております。
  私の家族につきましては事前に許可を取っておりますので、ご心配には及びません」

 文はそういうと藤ねえの目の前へ流れるように端座をする。
 その幼い見た目とは裏腹に淀みなく強い意志を感じさせられる口調に思わず藤ねえが身動ぐ。

  そして、その後に続く文の言葉にこれまで以上の動揺をさせられることなった。

 「私、射命丸文はこの度、士郎さんと恋い慕う間柄となりまして、
   ――恋人としてのお付き合いさせてもらうことになりました。それをこの場で挨拶させていただきます」

 三つ指をついて頭を深々と下げる。

 あ、藤ねえが止まった。桜も止まっている。もちろん俺も止まっている。
  ……今この場で呼吸をしているのは文だけだろう。

 少女曰く、俺と文は恋慕の中で、しかも付き合っているらしい。
  今初めて知った衝撃の事実に俺も含め、三者三様が驚きを隠せずにいる。

 ………………………………え。なんでさ。


 そして、時は動き出す。

 「な、ななななななんですってーーッ!!」
  「……………ッ!!」

 虎が吼え、桜が絶句としか表現しようもない反応をする。
 俺は途轍もなく間抜けな顔をしていることだろう。文は頭を下げたままだ。

  ……ああ、彼女の言っていた案というのはこのことなのだ。

  顔が見えないほど頭を下げた少女がこの混沌をどう収拾させるのかは想像もつかない。
  だけど、その隠れた表情は笑いを堪えているに違いない。

  それだけは何となくだが、わかった。







 後書き

 あけましておめでとうございますー。
  あらやだもう今月ももう9日じゃありませんか、またまた2ヶ月ぶりの更新ですわん。
  この文章量で2ヶ月ペースの更新だと完結するまでに10年ぐらい掛かりそうだ。

 もっとハイペースに更新が出来るよう精進したいところです。

 2008.1.10


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