「文々。異聞録」 第17話





 ――私は緊張していた。

  少しだけ前を歩く自分よりも少しだけ小柄な少女。
 彼女の目は自信に満ちており、口許にはその表れのような薄い笑みを浮かべている。

 私なんかには到底できない表情だった。

 だけど、私はこの顔をよく知っている。
 今では他人のように疎遠になってしまったが、かつて姉だった人と同じ顔――。
  確かな実力に支えられた決して折れることのない自信。
  顔の造形が似ているわけではないが、彼女のその自信に満ちた表情は姉さんを彷彿とさせる。

  その顔を見ていると、間桐桜という自分が酷く惨めに思えてしまう。
 そう考えることは悪い癖だとは思うが、自虐的な思考は一度始まると止まらない。

 「――どうかしましたか?」

 どくん、と心臓が跳ね上がった。

 気付くと、色素の薄い赤く染まった瞳が私を覗き込んでいた。
  態度を窺うかのようにじろじろと他人の顔を見ていたら、誰でもが不審がるだろう。
  しかし、この人はなんて真っ直ぐに人の目を見て話すのだろうか。
 私のような人間はこうも正面から見られてしまうと、反射的に身じろいでしまう。

 「……あ、いえ、なんでもないです」

  「はぁ、そうですか」

 それだけ言うと、彼女はどうでもよさげに再び歩き出す。
 会話をする絶好の切欠だったのに『なんでもないです』はないんじゃないのかと後悔した。

  先輩の家を出てから初めて話ができそうな機会だったのに……。

  今、自分の胸中を占めているぐるぐると渦巻くような感情。
  彼女が先輩と付き合ってると告げた時から、その動揺をどうしても自制できないでいる。

  ……いっそのこと『あなたは先輩のサーヴァントですか?』と訊いてしまいたかった。
  だけど、それを言ってしまえば、私が聖杯戦争に関係しているのを暴露しているのと同じだ。

  令呪は兄さんに移譲してあるので、私がサーヴァントのマスターであることはわからないはず。
  そうであっても、聖杯戦争の関係者と知れた時点で殺されてもおかしくはない。

 ……本当に彼女は先輩のサーヴァントであるのだろうか。
  少女の顔の造形は女性の私が見てもゾッとするほど整っているが、それでも日本人のもの。
  服装も若干奇抜ではあっても、特別不自然なものではない。当然サーヴァントも着替えることは可能だけど。

  それよりもサーヴァントというのは霊体である。
  だけど、彼女は私の目からはどう見ても肉体を持っているとしか思えない。
  サーヴァントは過去に亡くなった存在であり、それ故にサーヴァント召喚とは降霊儀式とも呼ばれている。
  ならば、肉体を持つ彼女の存在は明らかに矛盾している。
 尤もサーヴァント同士なら気配でわかるかもしれないが、未熟な魔術師でしかない私には無理だ。

  そもそもが彼女を先輩のサーヴァントと考えるのが早計なのかもしれない。
  先輩と同盟を組んだ他のマスターという線も十分にありえる。

 ただ、これらの事を抜きにしても、彼女が聖杯戦争に関与しているのは間違いない。
 何故なら彼女の口からライダーとしか思えない風体を言い当てたのだ。これは偶然では考えられない。

  ……だったら自分の素性をばらすことなく、相手の素性を知るにはどう切り出すのが最善なんだろうか。

  例えば『本当に先輩と付き合っているんですか?』――。

  それが最も知りたいことであったが、……それを私に訊く勇気は、ない。
 それに訊いたところで『付き合ってますよ』と、肯定されるに決まっている。
  虚言であるかどうかを見破ろうにもこの人が嘘をつく程度で動揺するとはまったく思えない。

 だけど、彼女が聖杯戦争に関与している以上、嘘である可能性のが高いのだ。
 それでも、彼女の話が100パーセントの嘘である保証はどこにもない。

 私は知りたいのは彼女が聖杯戦争の関係者であり、先輩とは交際してないという事実だけ。
  それだけは、ただそれだけはどうしても絶対の確信が持ちたかった。

  もし本当に付き合っているのだとしたら、私の心はどうにかなってしまうのだから。


 ――――――――――


 あれこれと考えているうちに、間桐邸まであと少しのところまで来てしまった。
  決して帰りたい家ではない。
  だが、私が『間桐桜』である以上は、私はあそこに帰らなくてはならない。

 彼女とは結局あれから一度も話すことはなかった。
  衛宮家での彼女を見るに話し好きだと思えたが、どういうわけか終始無言でいた。
  ……私の内向的な性格を察して気を遣ってくれたのだろうか?
  だとしても、見ず知らずの相手に送って欲しいと頼まれれば疑問には思うだろう。
  それすらも彼女から訊かれていない。
 私から話し掛けるにしても、何かしらのボロを出しそうで上手く言葉が紡げなかった。

  今も尚、射命丸さんはただ機嫌良さそうに私の隣を歩くだけ。
 もしこのまま目的地で別れてしまったら、間抜けもいいところだろう。

 少しだけ歩くペースを緩めてみる。
  射命丸さんを横目で見ると不思議そうな顔をしていたが、何も言わずに私と歩調を合わせてくれた。
  私を気遣ってくれると考えていいだろう。だったら、優しさに甘えてようじゃないか。

  そう、タイミングは今しかない。

  ……何でもいい。
  ……何でもいいから彼女の口から訊くのだ。
  ……勇気を出せ! 間桐桜!

  私はピタリと歩くのを止めた。
  彼女も急停止をして、再び不思議そうに私の顔を見る。

 そして、私は彼女に質問した。

 「射命丸さん、あなたは一体何者なんですか?」

 その漠然とした内容に彼女は僅かに懐疑的な表情を作るが、それも一瞬だけ。
  何か合点がいったような素振りを見せると、微かに目を細め、自信の溢れた表情に戻る。

 ……逆に私は今どんな顔をしているのだろうか。

  言葉は思った以上にすんなりと出たが、顔は緊張で強ばっていたと思う。
  もっと気の利いた訊き方もあっただろうに。これじゃどう考えても変な子だ。
  だからといって、もうこれ以上は何も喋れそうもない。

 だが、彼女は何も言わずに振り返ると、また歩き始めてしまった。
  暫し茫然とするものの、慌てて彼女の後を追いかける。
  自然と彼女の数歩後ろを着いていく形になるも、射命丸さんは構わず歩き続ける。

 ……結局、何も答えて貰えなかった。

  これも考えられた結果なので驚きはしなかった。
  それでも、なけなしの勇気を出した分、気落ちしたのは否定できない。
  意気消沈した私は自分の足下を見ながら、とぼとぼと彼女の後ろをついていく。

  でもこの沈黙による回答は何かを隠していると言っているようなものだろう。
  そのことに少しだけ安心する。


 ……前を歩く射命丸さんが、十字路に差し掛かっていた。
  その道は右に行かないと目的地には着かない。
  本来ならば道を知っている私が先頭に立つ必要があるのだが、今は声を掛ける気にもならなかった。

 だが、彼女は十字路を迷うことなく右の路地へと入っていった。
  
  ……なんで?
  
  そして、その後も迷うことなく歩き続け、
  初めから目的地を知っているかのように間桐の家の前で歩みを止めて見せた。

 「はい、着きましたよ」

 ただ事実を伝えるだけの事務的な口調で彼女はそう言う。

  「……どうしてこの家だとわかったんですか?」

 当然の疑問を彼女にぶつける。……何故この館が私の家だとわかったんだろうか。
  魔術師の家に表札なんてものはないし、先輩に訊くような暇もなかったと思う。
  そもそも魔術師の家は意識的に辿り着くことができないようにできているのだ。

 私の質問に彼女は艶然な微笑みを浮かべた。
  それは初めて見せる表情。
  同性で年下の少女に対しておかしな感想だろうが、酷く艶やかで見る者を魅了させる笑みだった。

  だけど、それは同時に人間を惑わすような――。

 「――するんですよね。同じ臭いが」

  「え?」

 「あなたと同じ醜悪な蟲の臭いがこの館からプンプンします」

 その臭いを辿れば簡単に桜さんの家に着きますよ、と彼女は言った。

 「何を……」
   ――言っているですか?

  言葉を全て言い切れず、口の中で散り散りになってしまう。
  視界が狭まり、目の前が急激に暗くなった。膝がガクガクと震えだし、止まりそうもない。

  え? この子はなんて言ったの?

 その疑問に答えるように彼女が流れるように言葉を尚も紡ぐ。

 「私は人間よりもずっと鼻が効きます。特に魔の臭いには敏感でして。
   桜さんの胎内に巣食う蟲には会ったときから気づいていましたよ。酷い臭いでしたし」

  彼女は目をいやらしく細めた。
  赤い瞳に浮かぶ瞳孔が細く縮まり、楕円形を形作る。

 今、理解した。
  その目は侮蔑の現れであり、口に浮かべた笑みは嘲笑。明らかに私、いや私たちを見下している。
  ――ああ、この人は人間なんかじゃない。

 「士郎さんが貴方は聖杯戦争とは一切関係がないと言っていました。
  ですが、そんな魔を漂わせてそれはあり得ないでしょうよ。
   ……それでですね、私の知るサーヴァントの特徴を挙げて鎌を掛けたんですが、
  こうも簡単に引っかかってくれるとは思いませんでしたね」

 少女がさも可笑しそうにクスクスと哂う。

  そんな彼女とは対照的に私の顔は恐怖で引きつり、膝の震えが全身に伝わりだしていた。
  今の私の顔色はこの暗がりでもわかるぐらい蒼白になっているだろう。

 「もしかして、あの人間のことが好きなんですか?
  士郎さんは悪意どころか好意にも鈍い人ですから、あなたの想いには全く気づいていないでしょうね」

 人間じゃない貴方がどうして知った風に核心を突く!
 そんなことは言われなくても、わかっている! 先輩とは一緒にいられるだけで私は満足なんだ!

 「そもそもそんな醜悪な蟲を胎に飼っておきながら、人から好かれると思っていても?
  通常の感性を持っているのであれば、それはあり得ないでしょう。
  ――桜さん、あなたは妖怪でも喰うのをはばかるような下手物です」

  他人の心を踏みしだく宣告が、耳鳴りのように鳴り響く。
  そして、少女は口の端を吊り上げ、愉悦を浮かべた。

 …………。

 私にとって先輩とは陽向の存在であり、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれた。
  だけど、同時に私のような汚れた存在にはあまりにも眩しすぎるのだ。
  時々そのことで堪えきれない感情が胸の内からこみ上げてくる。それがただ無性に悲しかった。

 震えた膝は今も尚、止まりそうもない。いろんな感情がせめぎ合い堪えられそうもない。
 頭がぐるぐるで思考が正常に働かない。心がばらばらに引き裂かれたしまったかのように苦しい。
  ……それでも不思議と涙だけは出なかった。

  ――だけど、私のなかに住む蟲が悲しそうにキィキィと鳴いていた。


 ――――――――――


 もうどれだけそうしていたのだろうか。

  あれからずっと私は間桐邸の前に立ちつくしている。家には一度も入っていない。
 温暖な冬木とはいえども今は二月であり、寒くないはずがない。

  だけど私は何も感じなかった。ただ、足だけは震えが止まらずにいた。
  その震えは肌寒さによるものではないのだろう。

  先輩に私のことがバレることが、なによりも恐ろしかった。
 先輩には言わないで、と懇願してもニヤニヤといらやしく笑みを浮かべるだけ。
  そして、私には一切の危害を加えることなく、先輩の家へと帰って行った。

  ……憎らしい。

  化け物の癖に先輩の家に帰れるなんて。
  私は人間だというのに帰る場所はこのおぞましい間桐の家だというのに。

  先輩に私のことがバレてしまうという恐ろしさと、彼女に対する憎しみで心が悲鳴を上げる。
  あんな化け物と姉さんを一瞬でも重ねてしまったことに無性に苛立つ。

  ――もう私のすべきことは決まっている。

 あの女を、――してしまえばいい。
 たったそれだけでこの恐怖と憎しみを同時に解消することができるのだ。
  そう考えると心が凍てつくように冷静になる。

  気付くと、ずっと続いていた足の震えは止まっていた。


 …………。


 日付も変わろうとした時分、ようやく待ち望んでいた人物が現れた。
 もう何日も無断で学園を休んでいたという話だが、何故か学園の制服を着ていた。

  「何だ桜、僕が帰ってくるのを門の前で待っていたのか?
   はははは! ようやく自分の立場というものがわかってきたようだな!」

 間桐慎二――、戸籍上、私の兄にあたる男だ。

  兄さんは今日も相変わらず、上機嫌のようだった。
  私の知る限りでは、サーヴァントを手に入れてから機嫌の悪かった日は一度もなかったと思う。

  そのサーヴァントであるライダーの姿は見えなかったが、視線だけは感じた。
  私を包み込むような優しい視線。……彼女になら何もかも話してしまっていいだろう。

 その為にはまず、この浮かれた男にお願いをしなければならない。
 私は兄さんに仮面に貼り付けたような笑みを向けて言う。

 「兄さん、お帰りなさい。
   実は兄さんに聖杯戦争について取って置きの情報があるんですが――」

























 後書き

 正直やり過ぎてしまった感が否めません。
  射命丸さんがこれでもかと言うぐらい悪い娘になっていますね。

  でも傲岸不遜なあの性格を考えると力のない人間には
  このぐらい見下した態度を取ると思うんだ。特に今は立場上敵対しているわけですし。
  聖杯戦争には興味のない彼女ですが、こーゆうところでノリノリ。

 桜が良い感じに黒くなっているのは仕様。くすくすと笑ってゴーゴー。

 2008.1.21


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