「文々。異聞録」 第18話





 昨晩とは打って変わって、今朝は文と二人で朝食を取る。

 献立は大根とにんじんの味噌汁、なめたけとしらすの和え物、
  主菜は秋刀魚は包丁を入れて塩をまぶし焼いたもの。至ってオーソドックスなメニューだ。

  嘘の交際宣言のお陰なのか、今朝は藤ねえと桜が家に来なかった。
  桜はともかく、藤ねえがその程度で自粛するとはとても思えなかったが。

  だが、今は聖杯戦争の渦中。
  この家に近づくことは二人に危険が及ぶ可能性もある。
  なので、それを考慮すれば功を奏したと言えるかもしれない。
 文もそれを見越した上で、あんなことをいったのだろうか。……違うと思う。

  しかし、聖杯戦争が終わった後、二人になんと説明したらいいんだろう。
  『実は嘘でした』なんて言う勇気はない。藤ねえは本気になってたしな。
  『別れました』……聖杯戦争は長くても二週間ぐらいで終わるらしい。
  交際期間が最長で二週間……どんだけの甲斐性なしなんだ、俺は。

  ……今はそんなことに頭を使うよりも聖杯戦争を無事に生き残ることを考えよう。

 嘘の片棒を担ぐ文は朝刊を片手に、秋刀魚に箸を伸ばしていた。
 幻想郷という異国以上に異国情緒に溢れる土地から来たというが、少女は現代社会によく馴染んでいる。
  新聞に目を走らせながら朝食を取る姿は、家主である俺よりも家に溶け込んでいた。

  文は他のサーヴァントと違って、聖杯からその土地の文化や常識を与えられていないらしい。
  だとすると、彼女の適応能力の高さを窺わせるものだ。
  それに暇さえあれば新聞や本を読んでいるので、好奇心旺盛でもあるのだろう。

 「そう言えば、昨日の夜あれから桜、何か言ってたか?」

 桜を家に送っていったのは文だった。
  桜から切り出したことを考えるに何かしらの用事が文にあったと考えるべきか。
  文と桜に接点なんてないし、おそらくは昨日の交際宣言のことなんだろうな。
 ……それを何で桜が気にするのかは皆目検討がつかないが。

 「もぐもぐ。桜さんですか?」

 少女は新聞からは目を離したが、箸と口は止まらない。朝から気持ちいいぐらいの食欲だ。

  「昨日のこと、何か突っ込まれたりしなかったのか?」

 「いえ、特にはないです。取り留めのないことを何点か少しお話ししただけですね。
   ……やはり桜さんの家だけあって彼女と同じにおいがしました。もぐもぐ」

 ……ん? 家でお茶でも呼ばれたのだろうか?

 しかし、随分と何でもなく言う。その様子だとどうやらボロを出すことはなかったみたいだ。
  でも食べながら話すのはあまり行儀は良いとはいえないぞ。突っ込まないけど。

 …………

 「そろそろ学園に行こうと思うけど、文はどうする?」

 昨日と同じく制服姿で忍び込まれるのはたまらないので、事前に聞いておこう。
  だが彼女がいないとサーヴァントに襲撃に遭った際の対処が取れない。

 「そうですねー。では今日は上から士郎さんを見守っています」

  そう言って彼女は天井を指差す。……上? なんのことだ?
 よっぽど俺が間抜けな顔をしてたのか、クスクスと笑ってみせると補足した。

 「つまり、上空からです」
  「へ?」


 ――――――――――


 通学路の道中にある長い坂を一人下る。
  二月の透き通った空気が心地よい。空を仰ぎ見ると雲一つ無い快晴があった。

  そしてその空には小さな人型が姿が確認できた。
  ……うん。多分、あれが文だろう。

  視力を魔力で水増ししてこの有様だ。生身の人間には肉眼で観ることは到底不可能だろう。
  一体、少女は上空何メートルにいるんだろうか。非常に寒そうだ。

 (マフラーの一つでも渡しておくべきだったな……)

  しかし、あそこまでの距離なら一本歯の靴、頭襟という天狗姿でも問題ない。
  まぁ空に女の子が浮かんでいる時点でどう言い訳のしようもないんだけど。

 学園の制服を着ないのは『戦闘でボロボロになりそうですからね』とのこと。
 それに加えて、天狗としての矜持とモチベーションの問題でもあるらしい。

 穂群原学園の正門を潜る。
  例の学園に張られた結界が解かれてないかと淡い期待もあったが、それは明らかな楽観であった。

  「ぐ……ッ」

  この淀んだ空気……昨日よりもかなり酷くなっていた。刻一刻と完成に近づいているのだ。
  だとすると昨日襲撃したサーヴァントか、そのマスターを倒さない限りこの結界は止まらない。

  義務感に似た焦燥感に襲われるも、ただ闇雲に探し回っても見つかるはずがない。
 それでも悠長に授業を受ける余裕もないのは確かだ。何か対策を練らないと……。


 「よお、衛宮。そんなところでぼけっと突っ立っていると後ろから蹴られるぞ」

 校門で立ちつくしていると、後ろから聞き覚えのある声が掛けられる。

 「……慎二か。最近学園をサボっていたみたいだけどどうしたんだ?」

 数日ぶりに見る慎二だった。機嫌の良さが表情にも出ている。

 「僕が休んで何しようと衛宮に関係あるのかい?」

 態度は相変わらずだが、少しも気にした様子を見せない。
  こんな慎二を見たのはもしかしたら中学の時以来じゃないだろうか。

 「弓道部も休んでいるらしいじゃないか」

 「衛宮はもう部外者だろ。そんなことを僕に言う権利はないと思うけどね。
  ……ふん。衛宮となんかとこんなところで話していても仕方がないし、僕はもういくよ。
  衛宮が遅刻しようが知ったことじゃないけど、ホームルームに遅れて僕に迷惑掛けるなよ」

 それだけ言い残すと慎二は校舎へと歩き出した。
  俺もいつまでもここにいるわけにもいかないので、背中を追うように後に続く。

  そう言えば、このまま校舎に入ってしまえば文と暫く会う(?)ことができない。
  昇降口の手前で空を見上げると文が大きく手を振っていた。……多分だけど。
  俺も彼女に倣って手を振る。そんな俺を周囲にいた生徒が気の毒そうな顔で見ていた。

  遠坂が学園に来ているのか確認したが、クラスメートが言うに今日は休みを取っているらしい。

 それもそうだ。
  普通ならば自分の命を賭けた闘いにこれまで通りの生活を送る方がおかしい。
  だが、あの遠坂凛ならば何があろうと自分のライフスタイルを変えない気がした。
  考え過ぎかも知れないが、そこに僅かながら引っ掛かりを覚えてしまう。

 …………

 そして午前中の授業を終えて昼休み。俺は今朝した約束通りに屋上へと向かう。
  屋上の錆び付いたドアを開けると。その閑散としたスペースには昨日と同様に誰もいない。
  快晴といえどもこの季節だと流石に誰も立ち入らないだろう。文の姿を除いて、だ。

 フェンスに寄りかかっていた文の姿を確認すると駆け寄ってきた。

 「じゃあ昼食にしようか」

 朝食を作る際に作った弁当の二つのうちの一つを文に手渡す。
 今朝のおかずも何品か入っているが、大体は新しく作ったものだ。
  同じものを出すのは失礼というのもあるし、偏った品目は体にあまり良いものではない。

  「わー。ありがとうございますー」

 破顔と言わんばかりの表情で俺から受け取ってくれた。

  「授業中、退屈じゃなかったか?」

  視界にちらつく結界の基点が気になるが、
  文と二人きりになれそうな場所なんて学園のなかでは屋上ぐらいしかない。

 「いえ、手帳に今回のことを纏めていたので、そうでもないですよ」

  和綴じの赤い手帳を取り出す。これは文花帖といって彼女のネタを書き留めたものらしい。
  『見たら殺しますよー』と気持ちいいぐらいの笑顔で言われたので、ちょっとしたトラウマだ。

 「でも、それって空の上でか?」
 「ええ、空の上からですが。それがどうかしました?」

 天狗である彼女に取っては地上にいるのも空中にいるのも同じなん…………ッ!

  ――体中に悪寒が走った。

 「なんだ、これ……」

  学園内で常に感じていた甘い感覚がこれまでと比較にならないほど濃密になった。
 視界が血のように赤く染まり、体の力が抜けて動けなくなる。
  その気持ち悪さに胸を押さえるも、胃液と一緒に昼食を吐き出してしまう。

  胃液の酸味を口内に感じながら、もしやと思い結界の基点を見遣ると、
 そこにはこれまでは魔力を通わせないと見えなかった七画の呪刻が煌々と輝いていた。

 まさか……! もう発動したのか……! 文の目測だとまだ完成までにはまだ時間があったはず!

 「これは、そうね。溶解、と表現するのが的確でしょうか」

  隣にいる少女が独りごちるように呟く。

  そんなみっともない姿を晒す俺と違って、文は平然としていた。
  未だ嘔吐する俺を気遣うように背中をさすってくれてさえいる。

  そして、異質な空気を取り込むように鼻をすんすんと鳴らす。

  「……溶解だって?」

  「恐らくではあるんですが、この結界の性質はですね。
   結界内の人間の肉体と魂を溶かして取り込んでしまうものかと思われます」

 ……人間を溶かして取り込む?
  今は昼休みだ。全校の生徒や教職員が昼食を取っている。
  その和やかである一時にそんな恐ろしいものを発動したというのか。

 このままだと藤ねえや桜、クラスのみんなが死んでしまう。
  ふざけるな! そんなこと許せてたまるか!

 「ですが、この結界は完全とはいませんね。
   これが本来の性能ならば魔力の耐性があろうと一瞬で昏倒してしまうでしょう。
  それでもただの人間にとっては大変危険なものですが」

 「くそ、早く止めないと……!」

  気怠い体に気合いを入れて立ち上がる。

  「…………。ええ、そうですね。
   マスターはわかりませんが、サーヴァントは同じ結界内にいるはず」

  「二手に分かれて行動しよう。その方が効率的だ」

  「はい、わかりました」

 文は結界の基点を写真に納めると、写真機から葉団扇に持ち替える。

  「……ふふ。異変解決にいち早く行動なんて、どこかの巫女みたい」

 誰に言うわけでもなく一人呟くと、少女は人外として証である黒い翼を大きく開いた。


 ――――――――――


 文と別れ、サーヴァントを探すために校舎内を屋上から順番に駆けた。
  廊下には何人もの生徒が倒れている。幸いまだ息はあったが、意識は失っていた。
  だが、それも時間の問題。俺たちがぐずぐずしていると結界の餌食になってしまう。

 三階の廊下を走っていると一つの人影を発見する。
  サーヴァントかと思い、身構えるもどうもそうではなさそうだった。アレは慎二か――!?

 「慎二? 大丈夫なのか!?」

 警戒を解いて、慎二の元に駆け寄る。

 「……ああ、衛宮じゃないか」

 慎二はこんな最中だというのに動揺した様子を見せない。
  手には奇妙な紋様の入った赤い本を持っている。

 「慎二! ここは危ない! 早く学園の外にでるんだ!」

 俺がそう告げるとさもどういうわけか慎二はさも心外そうだった。
 まともとは思えない酷薄な笑みを浮かべた。

 「ククッ、何か勘違いしているようだから言っておくけど、
   この結界――、鮮血神殿(ブラッドフォート)を発動したのは僕のサーヴァントだよ」

 「――なッ!?」

 「ふん。意外って顔だね。僕も衛宮と同じ聖杯戦争のマスターだということさ。
  光栄に思えよ。今日この鮮血神殿を発動したのは衛宮の為なんだから」

 俺の為だと……! 一体何のことだ?  しかし今はそんな場合じゃない。

 「慎二、お前がマスターだというなら今すぐに結界を止めるんだ!!」

 慎二がマスターというのは信じたくなかったが、
  魔術師ではない慎二が無事なところをみるとそうであるとしか思えなかった。

 「……何を勘違いしているんだい?
   どうして僕が衛宮の命令なんて聞かなきゃならないのさ!
  それに止めて欲しかったら土下座ぐらいするのが礼儀じゃないか」

 「ふざけるな! 結界を止めろ!」

 その一言に慎二は苛つきを露わにする。

 「ああもう!苛々するなぁ! 顔面蒼白で狼狽える衛宮が見たかったのに!
  なんで魔術師である僕にお前なんかが命令するんだよ!!」

 …………。

 「――もういいんだな。慎二、お前を力ずくで止める」

 「ハハハハ! そう来なくちゃな!
   僕と衛宮、どちらが優れた魔術師なのか力比べをしようじゃないか!
  ――今頃、お前のサーヴァントもライダーが殺しているだろうしな」

 慎二は一頻り笑った後、抱えていた本を俺に向けるように掲げた。


 ――――――――――


 士郎と慎二のいる三階の真下。
  二階の廊下ではライダーと文が二度目の邂逅を果たしていた。
  その廊下にも何人もの生徒が半生半死の状態で気を失っている。

 ライダーは四つん這いに屈むと、しなやかにたわみ、矢の如く文に向かって跳ね飛んだ。
  同時に鎖で繋がれた釘剣を文に向かって投擲――。
  文は飛来する高速の釘剣を難なく躱す。しかしこれは牽制。
  釘剣は鎖の両端にあり、ライダーは時間差でもう一本の釘剣を投げていた。

 その釘剣に文は回避行動を取らずに葉団扇を横薙ぎに扇ぐ。
  葉団扇によって発生した暴風により、釘剣は勢いを殺され力なく落ちた。
  回収した釘剣を振り下ろさんと疾駆していたライダーも吹き荒ぶ風に煽られて動きを止める。

 「――やはり貴方がこの結界の術者でしたか。しかし、挨拶もなしとは随分ですね」

 文は余裕綽々の態度でライダーに話し掛ける。

  「……貴方が昨日、桜に対して言ったことは覚えていますか?」

 「桜さんのサーヴァントは貴方でしたね。ふふ。その陰湿な感じが確かにそっくりです」

 その物言いにライダーは確信する。間桐桜の心をズタズタにしたのはこのサーヴァントだと。

 「貴方は桜を傷つけた。――死んで償いなさい」

 ライダーは再び文との間合いを飛ぶように詰める。

 文は余裕に見せてはいるも、内心では迫り来るライダーに得意とする風の弾幕を使えずにいた。
  この場で派手な弾幕を使えば廊下で死にかけている人間を巻き込んでしまう。
  それは士郎の意向に強く背くことになるし、文にとっても可能な限り望むところではない。

  これでは弾幕は使えないのも同然。そしてもう一つ――。

 「気づいるようですが、貴方に取ってこの空間は不利に働く。
  このような狭い廊下で貴方の持ち味である俊敏な動きを取れますか?」

 昨日の屋上での戦闘でこの少女の利はスピードにあるとライダーは読んでいた。
 遠坂凛にめがけて飛来する釘剣を瞬く間に掴み取ったのだ。
  目の前の少女はランサー並かそれ以上のスピードがあると見込んだ方が良いいだろう。

  そのライダーの言葉通り、文のスピードはここだと100パーセント生かせずにいた。
  そして何よりもここでは飛ぶことができないのだ。
 致命的とまではいかないが、これで弾幕と機動力の両方を封印されたことになる。
  流石にその二つが制限された中、サーヴァントに勝つことは難しい。

 ライダーは両手に持った釘剣による刺突を連続に繰り出す。
  文は軽業師のように派手な身のこなしでその釘剣を次々と躱していった。
 急所を的確に狙い続ける二本の釘剣、それを弾幕で鍛えられた動体視力により見切る。

 だが、それも限界はある。
  英霊と呼ばれる存在の攻撃をガードもせずにそう長くは躱し続けることはできない。
  葉団扇で刺突を受けるのはあまりにも心許なかった。
  ヤツデで作られた扇では、いともたやすく貫かれる。

  かといって、攻めに転じる余裕もあまりない。
  このまま近接戦闘もできないことはないが、今はまだ早い。

 文は足場のリノリウムが砕けるほどの力を足に込める。
  目を凝らし、左右からくる二本の釘剣をその姿勢のまま紙一重で躱す。
  そして、躱すと同時にバネのように込められた脚力を解放する。
  その瞬発力で170センチを超すライダーの長身を跳び箱のように跳躍。
  勢いを利用し、少女の履く珍妙な靴でライダーの後頭部を勢いよく蹴り飛ばした。
  ライダーは5メートルほど吹き飛んだが、追撃を喰らわぬよう直ぐさま体勢を整える。

 「驚いた。異常なスピードもですが、どんな眼をしているですか」

 ライダーは肩に手を置いて首を回した。
  霊力を込められていないただの蹴りだ。ダメージは無いに等しいだろう。

 「お褒めにあずかり光栄です」

 微笑を浮かべて余裕を見せるが、当然そんな余裕は無い。
  だが、釘剣での攻撃ならばもう見切っており、いつでも反撃は可能だった。

  葉団扇に霊力を走らせ、風の刃を纏わせる。

  今度はこちらから攻めに転じようと一歩目を踏み込んだその時――。
 ライダーが凄惨な笑みを浮かべる。

 「――では、今度は私の眼を見せてあげましょう」

 ライダーが顔を覆う眼帯を手に取った。

  ――ゾクリ。
  そんな悪寒が背中に走る。外の世界に来て初めての感覚。
  
  ――文は経験的に悟った。
  彼女が今取ろうとしている眼帯は魔眼封じなのだと。
  ――そして、感覚的に悟る。
  それを封じる術はなく、故にこの場は逃げるしかないと。

 文は窓を突き破り、校舎の外へと出ようとする。

 「良い判断です――、ですがもう遅い」

   眼帯が外され、魔眼《キュベレイ》が解き放たれた。







 後書き

 今作は食事シーンが多いですね。Fate本編にもかなりありますけど。
  大酒飲みの射命丸がメインに出ているので、飲酒シーンもほしいところ。

 今回の肝となるのは射命丸の緒戦とも言える戦闘。
  18話にして初めての戦闘ってどういう事なんでしょうか。


 今日のNGシーン

「これは――溶解、と表現するのが的確でしょうか」

  隣にいる少女が呟く。

  苦しむ俺と違い文は平然としていた。
  俺を気遣うように背中をさすってくれる。

  そして、異質な空気を取り込むように鼻をすんと鳴らす。

 「酸っぱいにおいがします……」

 それは俺が吐いたゲロだろう。

 「う、もらいゲロしそうで……オロオロオロ」

 2008.1.27

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