「文々。異聞録」 第20話



 結界が解かれ、嵐が過ぎ去ったように静まりかえる。
 宝具を使用したライダーは慎二を連れて、学園から消えた。
  この状態でライダーを追うのは無理だろう。

 「文、傷は大丈夫なのか?」

 間近で見ると少女の体の傷がかなり酷い物であることに気づく。
  特に右足からは未だ出血が止まらずにいた。

  ここまで手傷を負った少女に俺はまた助けられた。
  掲げた理想に反した自分の弱さに情けなくなる。

 「――はい。
   さっきも言いましたが、このぐらいは問題ありませんよ。
   ただ足の傷に関しては完治に少し時間がかかるかもしれません」

 文は黒い翼を大きく羽ばたかせて、無事であることをアピールする。
  彼女の目も心なしか普段より優しいものだった。
  俺を安心させようとしているのかもしれない。 
 それでも傷の手当てぐらいはしてやりたかった。

 だけど、今は他に優先させることがある――。

  俺は文に頭を下げて、一階の廊下の窓を乗り越えて校舎に入る。
  今は昇降口まで迂回をする時間も惜しかった。
 校舎の中、未だ苦しそうにする生徒を見て足を止めたくなるが、
  彼らに心の中で謝罪をして廊下を駆け抜ける。

  目的地は二階廊下。
 ライダーが宝具を展開したのだ。ただでは済まない。
  宝具が残した爪痕は校舎の外から見ても深刻だった。
  端から端まで破壊つくしており、廊下の終着点である壁も貫かれていた。

 心臓が鼓動を速まる。
  全力疾走しているからではない。不安に胸が早鐘を打つからだ。


 そして、二階へと到着した。
  窓ガラスは全て砕けており、窓枠すらも原形を留めてなかった。
  リノリウムの床はライダーの宝具が駆け抜けた方向に抉れており、煙を上げている。

  それよりも今は廊下にいた生徒たちだ。

  学生らしい喧噪のある昼休みだったはずだ。
  そこにはかなりの人がいたのだろう。

 だが、廊下の破壊された痕のみが残されているだけでそこに誰もいない。
  
 それでも頭がガンガンと警鐘を鳴らしていた。
  ……廊下にこれ以上は踏み込むな、足下を見るな、目を背けろと。


 ――鼻腔にタンパク質の焦げた嫌な刺激臭が刺した。

 途端、10年前の光景がフラッシュバックする――。
 生きようと燃えさかる住宅街を闇雲に歩いたあの時、
  確かこんな臭いを嗅いだことがあった。そう、これは確か人の焼。

  何かに躓きそうになる。

  無機物とは明らかに違う弾力。明らかにコンクリート片ではない。
 意志と無関係に足下を見てしまう。生まれて初めて人の本能である反射を恨んだ。


  ――それは黒く焼けこげた人の胴体だった。
 四肢は千切れており、性別も判断もできない頭と体がそこにあった。

  目を凝らし、周囲を見渡すとほかにも同じような焦げた肉片が四散していた。
 とてもじゃないが、数え切れない。自分が躓いた胴体は原形を留めた方だ。

 この有様じゃここに何人いたのかもわからないじゃないか。
  どんな難解なジグソーパズルでもここまで悪質じゃないだろう。

 あ、あああ……。

 「――うわあああああ!!!」

 何が正義の味方だ!
  自分の通う学園の生徒すら守れなくて何が正義の味方だ!

  あの時、慎二にとどめを刺していたらこんな事にはならなかった!
  自分はこの人たちを救えた!だが、甘さで誰も救えなかった!
  ならば彼らを殺したのは俺だ!紛れもなく俺だ!

 ……急に目の前が暗くなった。
 この惨状を拒絶しようと、意識が閉じかけた。

  ふざけるなよ……衛宮士郎。
  都合良く逃げる気なのか!目の前にある現実を直視しろ!
 これが己の甘さが招いた結果だと衛宮士郎を構成する細胞一つ一つに言い聞かせろ!

 ………………。

 膝を折り、酷い嘔吐感に襲われる。
  胃の中身はとっくに空っぽになったと思ったのに胃液を吐き出した。
 吐き出すものがなくなっても続く激しい吐き気。
  喉の奥が切れて、口内に鉄の味が広がった。それでも嘔吐は止まらない。

 ふと気づいた。

  ――ああ、これじゃあ10年前の繰り返しじゃないか。

 声にならない言葉を吐き出す。


 気づくと隣に文がいた。いつからそこにいたんだろうか。
  ただ無感情にこの光景を見つめていた。その顔にいつも浮かべる笑みはない。

  ライダーと直接対峙したのは彼女だった。
  だが、このことは決して糾弾できない。
  文は生徒を巻き込まないように精一杯やってくれた。
 ……俺なんかは防ぐ手だてすらあったというのに。

  俺たちはこの凄惨な光景を目に焼き付けるように眺め続ける。


 ――――――――――


 「――なんてこと」

 暫くして遠坂とセイバーが俺たちの後ろから姿を表した。
  セイバーは武装しており、不可視の剣を抜いている。
  遠坂は今日は休んでいると彼女のクラスメイトが言っていたのを思い出した。

 「どういことなの?!衛宮君!!
   まさか慎二がこれだけのことをやったの!?」

 遠坂が珍しく狼狽えている。
  自分の通う学園での死者に年相応の少女の顔を隠しきれずにいる。
  もしかしたら、遠坂の知り合いもここにいるかもしれないのだ。

  ……そんな少女の一面を見せる遠坂に反して俺はどんな顔をしているのだろう。
 何故か俺の心は鉄になったように酷く落ち着いてた。

 「はい、そうですよ。
   彼と彼のサーヴァントがやりました。
  ここの屋上で貴方を襲ったサーヴァントです。
  どうやらライダーのサーヴァントだったみたいですね」

 俺の代わりに文が遠坂に答えた。
 それを聞いた遠坂が苛立ちを隠せずに親指の爪を噛む。

 「それにしても凛さん。
  貴方は今までどこにいってたんですか?」

 穿った見方をすれば文が遠坂がここに居合わせなかったことを
  非難しているように聞こえるが、彼女に限ってそれはない。
  ただ純粋な疑問として訊いているようだった。

  だが、遠坂は苦々しい顔をした。

 「ちょっと人に呼ばれてただけ。
   今日学園を休んだのもそのせい。あんたには関係ないわ」

 文は一瞬の思考の後にニコリと笑みを作る。

 「――ああ、なるほど。
   わかりました。ありがとうございます」

 「ふん、何を勝手に納得してるんだか」

 これまで何も言わずに黙していたセイバーが、業を煮やし己のマスターに進言をした。

 「凛、こんな事態を繰り返す前に一刻も早くライダーを討つべきです」

 「ええ、わかっている。
  衛宮君、ここの後始末は教会がやってくれるわ。
  人が死んだから綺礼も骨がおれるでしょうけど、事実の露見はしないはず」

 遠坂はセイバーを従えて踵を返す。
 事を冷徹に告げようとしたが、彼女の声が微かに震えていた。
 魔術師として徹そうとしていたが、遠坂凛は十代の少女であることには代わりない。
  日常の象徴である学園でこんな事が起きたのだ。普通でいられるはずがない。

 それでも、遠坂凛という少女は冬木のセカンドオーナーとして
  慎二とライダーを倒すのに何の躊躇いを持たないだろう。

 ――だけど遠坂、これだけは絶対に譲れないんだ。

 「いや、慎二とライダーは俺がやる。
   この惨状は俺の甘さが招いた結果なんだ。だから、俺が」

 文が俺の手を握った。柔らかく温かい手。
  その握られた手の意味を察し、俺は言葉を変える。

 「――俺たちがけじめをつける」

  遠坂が足を止めて俺たちに振り返る。

 「……何を勝手なことを言ってるの?衛宮君。
  また忘れているようだけど、貴方たちと私は敵同士なの。
  何ならこの場で決着付けてもいいわよ」

 既に魔術師の仮面を被った遠坂がいた。

 そう、彼女は確かに何度も言ってた。
  たった一つの聖杯を賭けて魔術師たちは殺し合うのだと。
 ならば俺たちは遠坂の言うとおり、戦うのが普通のなのだろう。
  特に文はライダーにやられて傷ついており、遠坂に取っては絶好の好機だ。
  ……言い訳がましいが、そんな理由とは別に俺は遠坂たちとは争いたくない。

 いや、違う。
  ここではその考えも違う……そんな『戦う』といった思考は切り替えろ。
  今は俺たちが争っている場合ではないのだ。

  学園には今すぐにでも病院に行かないと助からない生徒がいる。
 廊下はこの有様だが教室の被害はそう酷くない。
  助けられる人がいる。それが今俺たちがすべき正常な思考。

  こんなにも苦しむ人たちがいるなか、俺は何もせずに立ちつくしていた。
  自分では冷静になれていたと思っていたが、その実はそうではなかった。

 「――遠坂、そんなことは後だ。今は救急車を呼ぼう」

 遠坂はその一言に肩の力を抜く。
  遠坂も俺の考えを一瞬で悟ったのだろう。

 「……それも、そうね」

  この惨劇はまだ終わっていないのだ。


 ――――――――――


 ライダーに負わされた文の傷の手当が終わる。
 と言うが、足の傷以外は包帯の必要がないほど塞がっていた。  
 治癒力が人間とは桁違いだ。
 俺がそれに驚いていると文は『それでも痛いものは痛いんですけどね』と苦笑いをしていた。

 既に夜の帳が落ちていた。今夜は藤ねえも桜も来ないだろう。
  居間の食卓を挟んで文と向き合う。
 文はボロボロになった服ではなく、持ち込んだと思われる同じような服を着ている。

  遠坂たちとはあれから一言も話すこともなく学園の外で別れた。
 あの時、俺たちはできる限りの事をしたと思う。
 もしあの場で遠坂との戦闘が起きたら、助からない人命があったかもしれないのだ。

 藤ねえや、俺のクラスメイトに大きな症状はなかったらしい。
  それと幸いなことに桜は今日学園に来てなかったみたいだ。
 だが、ライダーの宝具で百人単位の生徒が病院に担ぎ込まれて入院をしている。
 もしかしたら、もう二度と目を覚まさない人もいるかもしれない。

 そして、ライダーが脱出を謀るためだけに使った宝具に巻き込まれた彼ら――。
  彼らは学園での日常を過ごしていただけなのに殺された。
  聖杯戦争とは何も関係もない人たちだった。
  なのにあんなにも理不尽に巻き込まれて殺されてしまった。それが許せない。


 ――これから俺たちがやること。
  そんなのは決まってる。慎二とライダーを一刻も早く倒す。

 だが、ライダーは強力だ。
  まともにやり合って勝てる保証はない。
  特に最後に使った宝具は群を抜いており、真正面からぶつかるのは得策じゃないだろう。

  ライダーのマスターである慎二はプライドが高い。
  あれほど殴った俺を慎二が許すはずもなく、その矛先は間違いなく俺に向かうはずだ。
……それを何かに利用できないだろうか。 それとライダーの作戦を立てる前に文の実力を詳しく知っておきたい。  「文、お前の能力を聞きたい。教えてくれるか?」  その言葉に文は深く頭を悩ませている。  それもそのはず、己の手の内を晒すということは同時に弱点をも晒すのと同義。 魔術師として未熟な俺が意図せずに文の能力を漏らすようなことになってしまったら、 戦局は一気に悪い方向へと傾くだろう。  だが、今はライダーを討つために可能な限りの事を知っておきたかった。  文はいわゆる英霊ではない。 なので『人間の幻想を骨子にして作り上げられた武装』という、 そんな奇跡の形である『宝具』と呼べるものは持っていないだろう。 それでも、それに該当するような『奥の手』はある、そんな奇妙な確信があった。  「はい、わかりました」  文は決心したようにきっぱりと言った。  そして、文はどこからか取り出したのか、何枚かのカードを食卓に並べる。 カードには見たこともない図柄が描かれていたが、特別な魔力は感じられない。  「これは私たちの世界で『スペルカード』と呼ばれるものです――」

 後書き

 思いの外、シリアス。
  クロスで想定外の人死にはちと拙いかも。
  原作じゃここで誰も死んでいませんしね。顔がドロドロに溶けた人がいたけど。

  この辺りはセイバーと文との差だと思ってくれれば幸い。
  実力差とかではなくて、在り方の差みたいな。

 余談ですが、20話にして初めてプロットを脳内だけではなくて
  文章にして書き起こしたんですが、たったの13行でした。なんてこった。

 2008.2.2

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