「文々。異聞録」 第21話





 ――人気のない公園。

  冬木中央公園という名の新都の中心部ある面積の広い公園だ。

  ここは10年前までは新興住宅地だったが、前回の聖杯戦争によって焼け野原となった土地。
  『衛宮』士郎の原初といえる、決して忘れられない場所でもあった。
  空を見上げるとぶ厚い曇に覆われてた空があった。だが、この天気は俺たちにとって絶好と言える。

  学園は休みになった。あそこまでの大事件なのだ。当分の間は休校になるだろう。

 死人が出たというのにテレビでは全く報道されなかった。
  新聞の片隅にぽつんと記事が書かれていただけだ。
  それもただ『ガス漏れによる大規模爆発によるもの』となっていた。
  遠坂が言うとおり、教会が事実の隠蔽に手を回したからだろう。

  文は事実と食い違うその新聞を読んで
  『事実を捏造するなんてブン屋として恥ずかしくはないんですかね』
  と憤りを漏らしていたが、俺も今ならその気持ちがなんとなくわかる。

 人が死んだというのに遺族は真実すら知ることすらできない。
  ただ悲しみにうち拉がれ、なぜこんなことに、と涙する。
  それも嘘の情報によって、だ。
 本当は憎むべき相手もいるというのに、存在を知ることさえできない。
 そんなのは絶対に間違っている。
 神秘として秘匿される魔術にそこまでの価値があるとは到底思えなかった。


 ……ここに立ちつくしてかなりの時間が経過したと思う。
  陽が沈み公園を薄暗く染める。夜に隠れて聖杯戦争が活発化する。

  ――視線を感じた。

  この視線は魔術師でなくても生物としての本能で察せる。
  蜘蛛の巣に捕らわれたような感覚は間違いなくライダー――。
  警戒と敵意を混ぜた視線。
  そして、その敵意を微塵も隠そうとせず、挑発するように送ってくる。

  もちろんその敵意は俺ではなく、文に対して送られるものだろう。
 だが、文はここにはいないのだ――。

  視線に捕らわれて数分後、見計らったように慎二が姿を現した。

 「衛宮、昨日はよくもやってくれたな」

 慎二の声は鼻が潰れたため、酷くくぐもっている。
 顔は俺に殴られた打撲傷と俺に対する憎悪により、端正なころの面影はない。
  治療すらそこそこに俺を捜すために動き回っていたのだろう。

 だが、今はそんなことよりも慎二に言わなきゃならないことがある。
  俺は憎悪に染まる慎二の目を強く見つめた。

 「――昨日11人が死んだ」

 しかし、慎二は訳のわからないというそんな表情だった。

 「昨日、学園でお前たちにやられて死んだ生徒の数だ」

 藤ねえが昼を過ぎた辺りに電話で教えてくれた。
 死亡が確認された生徒もいるが、中には未だ行方不明という扱いの人もいる。
  それほどまで人としての原型が残されてなかったのだ。

 「…………何だ、そんなことか。僕は知らないね。
   どうせライダーの宝具で虫のように潰されて死んだんだろ! ははははは!!」
	
 ……人が死んだというのに!
  お前が殺したというのに何でそうやって笑っていられる!

 「てめえ! ふざけるなよ!!」

 尚も哄笑を続ける慎二に向かって俺は走りだした。

 「はははは! ……そう熱くなるなよ! 衛宮ぁ!!
   それに今日は僕も怒ってるんだ。これ以上調子乗るなよ!」

 だが、拳が命中することなく、俺と慎二の間に黒い影が躍り出た。
 そして、脇腹を強かに蹴り飛ばされる。骨が軋む音を立てた。

 「ぐが……!!」

 意識が飛びそうになるぐらい強烈な一撃だったが、これでも手加減されているだろう。
  英霊の攻撃をまともに食らって立っていられるはずがない。

 「いいぞ! ライダー! ひと思いに殺さず、じっくりといたぶってやれ!」

 「慎二、この男のサーヴァントは周辺にはいませんが、
  令呪は残っている――令呪を使って呼ばれる前に殺すべきです」

  ライダーは令呪で呼ばれることを警戒するが、慎二は気にせずに笑い続ける。

 「くく、別にいいだろ。
  昨日は衛宮のサーヴァントに傷一つ負わされてないじゃないか。
  それとも何か?お前は衛宮のサーヴァントに負けるとでも言うのかい?」

 「……わかりました」

 ライダーは釘剣を俺に向かって投擲する。
 到底躱せるはずもなく、右肩に突き刺さった。
 その痛みに目眩がする。だが、ライダーの攻撃は止まらない。
 その深く抉ったような苦痛に慣れる暇すら与えずに右腕部、左大腿部、右脇腹と次々に刺撃された。

 「ががあああ……ぐ!!」

 気が遠くなるような激痛に膝を折り掛けた。
 だが、ここで倒れるわけにはいかない!

 「ははははは! いいぞ! ライダー!
  衛宮ぁ! 僕はお前のその顔がずっと見たかったんだよ!!」

 慎二は喜悦を押さえられずにいた。

  脇腹の傷を押さえて、ライダーから逃げるように公園の中心部を目指して走る。
 振り返るとライダーは俺を追わずに訝しげな様子を見ていた。

 「ライダー、何やってんだ! 衛宮が逃げてるぞ! さっさと追え!」

 発破をかけられたライダーは僅かな躊躇を見せるが駆け出す。


 ――――――――――


  振り向かずとも後ろからライダーの気配がひしひしと近づいてくるのがわかった。
 ライダーに刺された傷が熱を持ち始めて、余計に体力を奪い始める。
 まだ100メートル程度しか走ってないのに俺の息は既に切れかかっていた。

 ……だけど、あと少し!あと少しだ!あと少しでライダーを誘い込める!!
  
  ――途端、背中に鈍い痛みが走った。
  追い着いたライダーが俺の背中を蹴ったのだ。
  そのまま蹴り飛ばされて公園の冷たい芝生に口吻をした。
 呼吸ができないほどの痛みに体が起き上がらない。
 脳の命令を無視して、体が休むことを要求している。

 俺はそれでも這うように前へと進むが、ライダーがそれを許さない。
 釘剣が俺の右手の甲を貫いた――。
  まさしく釘によって地面に縫いつけられてしまう。

 「があああ!」

  昆虫標本の虫のような状態の俺をライダーが見下ろす。

 「――なぜサーヴァントを呼ばないのですか?
  サーヴァントはお互いに気配を察知することができる。
  貴方の近くにあのサーヴァントはいないのはわかります」

 俺は何も答えずに残る左手で芝生を掴み、前へ前へと進もうとする。
 だが、俺に追いついた慎二が目の前に立ち道を塞いだ。
  中腰になり前髪を掴んで頭を無造作に持ち上げる。

 「くくく。おもしろいよ、衛宮は。
  ……まぁ知らない仲じゃないしな。もういい、殺せライダー」

 慎二がそう命令すると、ライダーがもう1本の釘剣を俺の心臓に狙いを定め振り上げる。

 まだこんなところでは死ねない――。
  誰一人として救えないまま自分勝手に死ぬわけにはいかないんだ。

 右手に刺さった釘剣を残った左手で引き上げて抜く。
  焼けるような痛みが右手だけではなく全身に走る。――だけど、これで自由になった。

 足に力を入れ、前にいる慎二を突き飛ばすように跳ねた。

 「うわ!! ……クソ! ライダー! 何トロトロしてんだよ!」

 転倒した慎二に覆い被さるような形になる。
  倒れる慎二を無視してがくがく震える足になけなしの力を入れて立ち上がる。
  ライダーが俺の背中に釘剣を投げようとしたが、うまく慎二が盾になって攻撃を躊躇した。
 その間に10メートルほど走ることができたが、無様にも足がもつれて転倒してしまう。

 だが、ここだ。この場所でいい。後は待つだけだ。

 仰臥して息を切らす俺にライダーがとどめを刺そうと近づいてきた。
 俺は上体だけ起こしてライダーの動向を凝視することに専念をする。

 「もういい! 宝具を使え! こんな屑は腕一本残すな!」

 起き上がった慎二が忌々しそうに服についた芝生の土を叩く。

 「ですが、こんなところで魔力を消費するのは得策とは言えません」
 「ライダー! 僕の言うことが聞けないのか! さっさとやれ!」

 「…………」

 ライダーが無言で己の首を切り裂き、昨日見た魔法陣を展開させた。
  そして、魔法陣から赤い光を放ち、そこに現れたのは白い両翼の生えた白馬だった。
  これこそがライダーが最後に使った宝具なのだろう。

 幻想種ペガサス――。
  ヘレネスの神話に出てくるゴルゴンの3姉妹の末。
 その末妹の切り落とされた首より産まれた白き魔獣――。

 石化の魔眼に続いて、ペガサスか。
  ならばライダーの真名は間違いなくメドゥーサだ。

  ライダーはその天馬にへと跨り、遙か上空へと飛行する。

 「はははは!見たかい!これが僕と衛宮の力の差だよ!……ライダー!そのまま衛宮を殺せ!」

 その幻想的な光景に暫し目を奪われ、茫然とする。

 「フッ、ようやく観念しましたか」

 ライダーが俺へと目掛け滑空を開始した。

 「――騎英の手綱 <<ベルレフォーン>>!!」

  宝具の展開とともに天馬が嘶きを上げた。
  天馬は鞭で打たれたように急速にその速度を増す。
  それは五百キロにも及ぶ一筋の閃光へと化す――。

 このまま何もしなければ跡形も残らずに衛宮士郎は死ぬだろう。
 もちろん死ぬつもりは毛頭もない。

  眼前の恐怖に目を背けずにライダーを動きを観察する。
  そして、左手の甲に魔力を集中させて発動のタイミングを計った。

  ――撃鉄を起こすイメージ。

 ライダーが高速で俺を殺さんと迫ってくる。

  だが、まだ早い、暴発は絶対の死を招く。
 そのタイミングはコンマ一秒遅くても早くてもいけない。

  ――――そして、俺はタイミングを見計らい脳内の引き金を引いた。

 「ライダーを撃つんだ! 文――!!」

 サーヴァントの絶対命令権である令呪。
  その左手に刻まれた三画のうち最初の一画が俺の手から消えた。


 ――――――――――


 射命丸文が天を仰ぐとそこには星空が広がっていた。
  中央に三つ星が並んでいるあの星座はオリオン座だったはず。

  外界でも幻想郷と同じ星座が確認できる。
  今も幻想郷の誰かが同じ星空を見ているかもしれない。
  幻想郷の面々は暇人ばかりだし情緒を大切にするので、可能性は十分にあるだろう。
  ……同じ星空かどうかはここが本当に幻想郷の外ならばだが。

 足下には海のように一面に広がる雲――。
  層積雲、またはくもり雲と言って、最高でも高度二千メートルという低い高さに浮かぶ雲だ。
 地上にいる士郎が空を見上げると、うね状のこの雲が全天を覆っていることだろう。

 「――だけど、この天気は私たちにとっては絶好」

 士郎の立てた作戦というのは作戦と呼ぶのには烏滸がましい無謀極まりないものだった。
  特にライダーのマスターの情緒不安定な性格を考慮するなんてあまりにも不確定要素が多い。

 その作戦の内容とはこうだ――。
  公園にいる士郎が囮となって慎二たちをおびき寄せ所定の場所までライダーを誘い込む。
  そして、探知できないほどの超高々度にいる文がライダーを狙撃するというもの――。

 なので文が目視されると困るのだ。
  途轍もない高度にいるとはいえ、サーヴァントの視力は人間のそれとは比べものにならないだろう。
  その為この全天を覆う雲はいい隠れ蓑になる。

 この作戦は士郎がライダーに有無を言わせず殺される可能性もあって、まともな考えとは言えない。
  本当に危なくなったら文を令呪で呼ぶと言っていたが、士郎のあの強情な性格である。それも怪しかった。

 ……文は士郎は面白い人間だと思う。
  夢で見た彼の掲げる理想は理解不能でつまらないものだった。
  だが、その影響からか妙に強情で情にもろいのだ。
  彼が幻想郷にいたら、遠慮無しの連中にいいように使われるのが目に浮かぶ。

  文は緑色のマフラーで綻ぶ口元を隠した。

  このマフラーも士郎に巻かされたものだった。
  空は地上よりもずっと寒いからと、無理矢理首へ巻かされたのだ。
 妖怪だから寒さはさほど問題はないと主張しても、  
 「そんなのは関係ない。女の子なんだから体を冷やしちゃ駄目だ」という始末。

 (人によってはコロッとやられちゃうんじゃないかしら。……ゆくゆくは天然ジゴロね)

  そんなことを文は痛烈に思った。


 考えを切り替え文は一枚のスペルカードを取り出す。
  そして宣言。

 ――風符「天狗道の開風」

 相手が目の前にいないのにスペルカードを宣言するとはおかしな話だが、
  このスペル宣言は文にとって習慣になっていた。

  カード自体には何の魔力も霊力も籠もっていないただの紙切れだ。
 単にスペルカードとはこれからこういう攻撃をしますという一種の意思表示でしかない。

 博麗霊夢の考案したスペルカードルールは幻想郷でのもめ事を解決する手段である。
  主に力のない人間が妖怪と対等に戦う為に用いられて、それが妖怪の間でも爆発的に普及した。
  『吸血鬼異変』というある吸血鬼と妖怪の間に起こった戦争が発端だが、それは余談であろう。


 厚い雲に覆われている為、鷹の目を持つ文でも地上の様子を窺い知ることができない。
  白狼天狗の能力があればそれも可能となるだろうが、それは無い物ねだりだ。

 文の今いる丁度真下が着弾地点として前もって士郎と打ち合わせをしてある。
 そこは公園の丁度中心部、思ったより閑散としており目撃される可能性も低く目立たない場所だ。

 発射のタイミングは令呪。
 士郎がこの真下までライダーを誘い込み令呪を使うという。

 文はありったけの魔力を葉団扇にチャージし、その合図を待つ。
  あまり長く魔力を滾らせていると暴発しかねないが、それは文の勘と経験で調整する。


 ――瞬間、魔力が令呪によりブーストされるのを感じた。

  令呪による命令は範囲が広かったり内容が曖昧だったりすると効果が稀薄してしまう。
  だが、その逆の単純な命令ならば効果は相乗的に強化される。

  葉団扇に魔力を伴った巨大な暴風が渦巻く。
 並の精神では抗えない強制力が働き、
  文は抵抗することなくその荒ぶる風を着弾地点に目掛け解放した――。


 ――――――――――

 風が奔った――。
 幾層にも重なる雲にぽっかりと穴を開け、吹き荒れる暴風が天より堕ちる――。

 天馬に跨るライダーは遙か上空から迫り来る存在を直感で感じ取ったが、
  五百キロという高速で駆ける我らに命中させられるはずはないと踏んだ。

 だが、たかだが五百キロ程度で、天狗の疾風から逃げられるはずもなく。
 ライダーがその事実に気づいた時にはもう遅い。気づいた時というのは命中した時なのだ。

  ライダーはそのまま天馬ごと地面へと物凄い速度で押しつぶされた。

 暴風は地上に堕ちても勢いを弱まることもなく、ライダーと天馬だけではなく大地をも真空の刃で削る。
  泥と血を混じったものが周囲へ四散される。それは巨大なミキサーのようでもあった。

  そして、風の刃は時間が経つにつれ、次第に勢いを弱め大気へと拡散するように消失した。
  着弾地点にはクレーターのような巨大な窪地ができあがった。

  その中心にはライダーと天馬。
  天馬の首は見るも無惨な挽肉になり、残った胴体はビクビクと痙攣を繰り返す。
  そして二度とその美しい両翼を羽ばたかせることなく、僅かな時間で砂のように霧散した。

  ライダーは俯せに倒れており、全く動かずにいる。

 「……ライダー!おい!どうした!? 何があった!?
   まさか死んだんじゃないよな!?」

 慎二が倒れるライダーにわめき散らす。

 「クソ!本当に死んだのかよ! 何だって……クソ!ふざけるなよ! おい!!」

 感情を抑えられない慎二はライダーに罵詈雑言をぶつける。
 その罵声によってかはわからないが、ライダーがムクリと起き上がった。

 「――慎二、少し黙ってください」

 ライダーはダメージを感じさせずに平然とした態度を取るが、
  右腕の間接から先が千切れそうになっている。それがプラプラと頼りなく揺れる。
 それだけではない。
  全身鋭利な刃物で裂かれたような深い傷だらけで、立っているのが不思議なぐらいだ。

 「ライダー!生きているなら衛宮を今すぐ殺すんだ!」

 ライダーが左右に首を振る。

 「慎二、今は退却すべきです。この傷ではサーヴァントとの戦闘は不可能です。
   それにペガサスを失ったことは大きい――。ここは戻って体勢を立て直しましょう」

 ライダーの言う退却という言葉が気に入らないのか、慎二がワナワナと震える。
  そして、癇癪を起こしたように口の端から泡を吹く。

 「ふざけるな!! 衛宮を殺せばあいつのサーヴァントも消滅するんだよ!!
   やれといっているんだ! 僕の命令が聞けないのか!」

 「ですが……」

 慎二は魔導書を開く。
  そして今までの激情が嘘のような白けた表情を作る。

 「もういい――。『ライダー、衛宮を殺せ』」

 慎二の令呪が発動した。

  その強制力によりライダーが己の意志とは無関係に俺に目掛け疾走する。
  ライダーは満身創痍であり動きにキレがない。
  だが、それでも人間に躱せるようなスピードではなかった。
  それに俺は起き上がれないほど疲弊している。回避はもはや不可能だ。
 俺は恐怖を感じる間もなく殺されるだろう。

 最短距離で直進したライダーは俺に目掛け釘剣を振り下ろした――。


 ……先端が俺の首に刺さろうとする刹那だった。
  ライダーの動きが不自然に止まった。
  まるでその空間だけを切り抜いて絵画にしたような硬直。

 令呪により縛られたライダーの体が脱力する。口からコポッと血が零れた。
 あまりの出来事に俺もライダーも慎二も時が止まったように唖然としていた。

 だが、もっとも異質だったのは。
  ライダーの左胸から血に染まった腕が生えていたことだろう――。


 後書き

 これでライダー戦はほぼ終わり。
  後は嬉し恥ずかし後始末編だけです。

  慎二が笑いすぎなのは仕様です。
  ギル様の次によく笑うキャラだと思うんだ。

 2008.2.4

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