「文々。異聞録」 第22話



 ライダーは下を向き己の胸を貫く腕を見下ろす。
  心臓を貫くそれはいくらサーヴァントといえど致命傷――。

 「――逃走を謀るのなら見逃すつもりでしたが、士郎さんを殺そうとするなら別です」

 腕の持ち主は天狗の少女だった。
  その細腕からは想像のできない膂力によってライダーの胸を貫いたのだ。
  ライダーをスペルカードで狙撃した後、俺たちを観察していたのだろう。

 死を悟ったライダーは正面にいる俺を見ていない。
  前を向きながらも後ろにいる少女に対して笑みを浮かべていた。

 「ふふ、冗談を」

 「いえいえ、本当ですよ。
  聖杯戦争に大して興味はありませんし、可能な限り傍観者に徹するつもりでした。
  ましてはサーヴァントを倒すなんてとんだ計算外です。
  これでは新聞の見出しが『聖杯戦争体験レポート』になってします。
  それに私は自分の力を見せびらかすのは好きではありません」

 文が躊躇無くライダーを貫く腕を引き抜く。
  血管の千切れるブチブチという嫌な音が俺の鼓膜を震わせた。

 「かはッ!」

 ライダーは勢いよく血を吐き出し俺の顔を濡らした。
  張り詰めた糸が切れたように膝を地面につく。
 一見するとそれは正坐のような姿勢だったが、ライダーの残された左腕も力なく垂れていた。

 俺と慎二は何か形容しがたい重圧に動けずにいた。

 「……まさかあんな無茶苦茶な手で来るとは思いませんでした」

 ライダーがポツリと漏らす。
  肺も潰されているだろう。コポコポと不快な音がする。
  だが、口調は思った以上にハッキリとしていた。

 「ええ、確かにあれは酷い作戦でした。
  士郎さんも手ひどくやられてますし、真正面からぶつかった方がよかったかもしれません」

 「私に正面から勝つつもりですか?笑わせてくれます」

 文が珍しくムッとした顔を作る。

 「今更証明はできませんが、狭い廊下ではなく、広い空間でこそ私の本領が発揮できます。
  でも確かにこんな形で得た勝利はやはりというか気持ちの良いものではありませんね」

  闘いを終えた二人のサーヴァントがさも自然に語り合う。
  彼女たちには俺たち人間とは違う世界が見えているのだろうか――。

 「ふふ、貴方はアーチャーだったんですね。
  戦っていた相手のクラスを知らずにいたのは些か甘く見すぎていました」

 「アーチャー……?そうなんですか?
   そう言えば教会でもそんなことを言われた気がします」

 全身に付いた血と脂油をハンカチで拭いていた文がさも意外そうに感心する。
  あれだけの血糊だ。ハンカチなんかでは焼け石に水ではないだろうか。

 「……自分のクラスもわからないサーヴァントなんて聞いたことがありません。
  そもそもあんな攻撃が許されているクラスはアーチャーだけです」

 ライダーが大きく喀血をした。消滅が迫っているのだろか。

 「が、は。……私のマスターに申し訳ありませんでしたと伝えてくれますか?」

 「はい、それはかまいません。
   ……ですがライダーさん、貴方は足掻かないのですか?
  完全な消滅までにまだ時間があるみたいですけど」

 文が勝利を確信した上で、ライダーに尋ねる。

 「ふふ、反英霊らしく見苦しく足掻きましょうか。アーチャー」
 「いえ、結構です。――それでは一思にやらせていただきます。メドゥーサさん」

 取り巻く空気が変わった。

 そして、文は介錯人のようにライダーの首を躊躇無く葉団扇で跳ねた――。
  奇しくもそれは神話におけるメドゥーサの最期と同じ。


 ――――古代ギリシア時代の伝承。
 ――――アテナとヘルメスの助力を得た英雄ペルセウス。
  ――――彼は鏡の盾、曲がった刀にてメドゥーサの首掻き切った。
  ――――その首よりあふれ出た血から、天馬ペガサスが生まれ出た。


 ライダーは程なくして消滅した。


 ――――――――――


 慎二はその光景を震えながら見ていた。
  全身をライダーの返り血で染めた一人の少女を恐れている。
  それは古来より刻まれし人の本能であった。即ち、人は妖怪を恐れるのだ。

  ――慎二は恐怖の虜だった。

 「ひぃぃぃ!!」

 慎二の持っていた魔導書が燃え上がった。
  今更間抜けな話だがあの魔導書がライダーを制御していたのだろう。
 魔導書の消失と同時に慎二が俺たちに背を向けて逃走する。

 四肢に怪我のないはずの慎二が転びそうになっている。
  それも当然、人であるならばこの少女に恐れを感じないはずがない。
 味方である俺も微かだが体が恐怖によってワナワナと震えているのだ。

 俺は慎二を追おうと起き上がろうとするが、身体がいうことを聞かない。
  肉体と精神の疲弊によるものだろう。

 「士郎さん、酷い怪我です。あの人間は私にまかせてください」
 「あいつとの決着は俺が着けなきゃならないんだ。――死んでしまった人たちの為にも」

 もちろんそれは俺の利己的な感情に過ぎない。
  だが、法によって裁くことのできないあいつを己の罪と向き合わせなきゃならない。

 「今は無理です。休んでください。救急車を電話で呼びますので」

 文の口から聞き慣れない単語が幾つか飛び出たが、今はそんなことに関心している場合じゃない。
 這ってでも慎二を追おうとしたが、文が俺の服を掴んでいて全く身動きが取れない。

 「文!離してくれ!」

 少女は当然のように無視する。

 「うーん、困りましたね。どう見てもこれは堅気の人間に見せていい傷でもないですし」

 尚ももがく俺を容易く拘束し、思慮を巡らせていた。

 「教会に連れて行こうかな。でもあの神父、あからさまに胡散くさいからなぁ。
   あーもう、仕方がありません。……士郎さん、ごめんなさい。――とう!」

 文から放たれた強烈なボディブローにより俺は意識を手放した――。


 ………………。


 目を開けると見慣れた天井がそこにあった。
  どうやら俺は自室で寝かされているようだった。

  服は脱がされており、傷の手当も適切に済まれていた。
  枕元には俺の身体を拭いたと思われる桶に入ったタオルがある。
  もしやと思い布団を捲って下半身を見る。
  トランクスが今朝履いたものと違っていた。……気づかなかったことにしよう。

  身じろぎすると全身に痛みが走る。だが、歩くことには問題ないだろう。
 休息を求める体を無視して居間へと降りる。
  頭がハッキリしてきて、ライダーを倒し、慎二を追おうとしていたのを思い出した。
 時計を見ると日付が変わろうとしていた。あれからかなりの時間が経過している。

 そう言えば、文の姿がどこにも見あたらない。
  かわりに食卓の上に書き置きが残されていたのを発見した。

 『寝ていてください ――射命丸文』

 意外と可愛い字だった。しかし書かれていたのはこの一行だけ。
  気絶した俺を家に運び、傷の手当てをしてくれたのも文がやってくれたようだ。

 その一行に込められた様々な気遣いに感謝する。
  だけど、俺は慎二に合わなきゃならない。
  あんなことがあってもあいつは俺の友達なんだ。
  だから俺があいつとの決着を着けなくてはならない。

 トレーナーに着替え、俺は家を飛び出した。


 ――――――――――


 空から散策していた文は新都の人気のない町外れで慎二を発見した。
 あれから時間も経過していたので、どこかに隠れられたらやっかいだと思ったが、
  慎二は目的もなく夢遊病患者のようにふらふらと歩いている。

 「ええと、慎二さんでしたか?こんばんは〜」

 頭上から話しかける。
  慎二が驚きのあまりに尻餅をついた。

 「うわわああああ!!」

 文は思った。
 『なんと素直な反応を返してくれるのだ』と。
  今日日、妖怪を驚いてくれる人間は幻想郷では皆無に近いので、
  こんな人久しく見ない反応をしてくれると悪戯心がむくむくとわき上がってくる。

  このまま上空から恐怖のどん底へと突き落としてやろうかと思ったが、
  スカートのなかを観られたらたまらないので、文は慌てて慎二と同じ地面に着陸した。

  慎二は尻餅をついているので見下ろす姿勢であるのは変わらない。

 「こんばんは。良い夜ですね」

 あくまでフレンドリーに文は話しかけた。

 「な……何しに来たんだ!?僕はもう脱落者なんだぞ!!」

  慎二は腰が抜けてしまい、起き上がるにも起き上がれない。

 「そんなのは関係ありませんよ」

  少しでも文から離れるように尻餅をついたまま後ずさる。

 「……ぼ、僕を殺しにきたのか?!」
 「はい、そうです」

 あっけらかんと文は答える。

  「私は妖怪なので殺して喰らいます。
  いえ、喰らって殺すのがいいかもしれませんね。
  ――慎二さん、どちらがいいですか?」

 慎二の目が恐怖に濁る。

 「…………あ、あああ……」

 「そんなに怖がることはないですよ。
   ほら、貴方のサーヴァントのライダーさんと同じです。
  彼女は人間を溶かして肉体ごと魂を喰らってたじゃないですか。
  ……ですが彼女と違ってあんなに上品ではないですけどね」

 かつかつと靴の歯を鳴らし、慎二に躙り寄る。

 「ひっ!……来るな来るな来るな来るなぁぁぁ――!!」

  その悲痛な叫びを無視し、文は慎二の目の前でゆっくりとしゃがんだ。
  片足だけで体を支え、残った足で胡座を掻くような奇妙な姿勢。

  文は膝に立て肘を付いて、同じ目線にいる慎二を顔を覗く。
  その濁った目を見て、文はさも愉快そうに目を細めた。
 猛禽類のように闇夜に光る赤の双眸――、間桐慎二の記憶はそこで途絶える。


 ――――――――――


 コンコン。

 あり得ない話だが、誰かが二階の私の部屋の窓をノックしていた。

  その不可解な出来事に逡巡するが、思い切って窓を開ける。
  そこには何かを背負った射命丸さんがいた。開いた窓から遠慮無く部屋に入る。

 「――兄さん!?」

 彼女の背負っていた人物は兄さんだった。
 射命丸さんは気絶している兄さんを下ろして、私のベッドに寝かした。
  昨日負った顔の傷意外には特に目立った外傷がないのを見て安堵する。

 「重さは苦じゃないですけど、体格が違うのでおんぶをするのは骨ですね」

 射命丸さんはやれやれとベッドの端に座り、物珍しそうに私の部屋を見渡した。

 「洋室というのはあまり縁はないんですが、こういうのも珍しくていいかもしれません。
  士郎さんに言って部屋を和室から洋室に変えて貰おうかしら」

 そんなことを言うが、なにも彼女は私の部屋を見に来たわけじゃない。
  もちろん兄さんを家まで送り届けに来たわけでもないだろう。

 ならば考えられるのは一つ。

 「――射命丸さん、私を殺しにきたんですか?」

 だが、私の発言に少女が可笑しそうにケラケラと笑う。
 何がそんなにおかしい。また私の、私という存在を笑っているのか。

 「何がそんなに可笑しいのですか?」

 頭に来た所為か、考えていたことをそのまま口に出してしまった。私らしくもない。

 「ごめんなさい。兄妹で同じ事を言っているのが少しおかしくて」

 意外な事に射命丸さんは謝罪した上で、理由を教えてくれた。
  兄さんも彼女を見て喚いたのが目に浮かぶ。

 ……射命丸さんは落ち着いたのか、少しだけ真剣な顔を作る。
  人を見下したような視線は相変わらずだったが。

 「違いますよ。そんなことは目的ではありません」

 『そんなこと』。
 つまり私を殺しに来たわけではないと少女は言う。

 「では何を?」
 「ええ。実は貴方に確認したいことが幾つかありまして――」

 そして、射命丸さんはどこからか赤い手帳と万年筆を取り出した。
  そう言えば、新聞記者であると自称していたのを思い出す。

 「わかりました。なんでもお答えします」

 少女の気迫に気圧されたわけではないが、なんでも答えるというのに嘘偽りはない。
  私は自暴自棄になりかけている。いや、もうなっているのだろう。何故なら私は――。

 「助かります。ではではまず初めに――。
  ライダーさんのマスターはてっきり桜さんだと思いましたが、
  マスターとして出てきたのはお兄さんである慎二さんでした。これはどんなカラクリですか?」

 「私が召喚したライダーを兄さんに令呪ごと譲渡しました」

 ぱらぱらと手帳を捲る。

 「譲渡といいますと?令呪は他人には譲れないと聞きましたが」

 「それは聖杯戦争の御三家で令呪を作った間桐の裏技みたいなものです」

 「ふむふむなるほど、わかりました」

  詳細を聞く必要なさそうね、そんなことを独りごちながら手帳に筆を走らせる。

 そして、射命丸さんのインタビューのような形式で質問を幾つか答えていった。
 記者として接してくる彼女は思いの外、真摯で真面目な態度だった。


 「では最後の質問です。
   ――桜さん、貴方が昨日遠坂凛さんを足止めしましたか」

 彼女は醜悪な私の正体に気づいていたのだ。
  だが、これは同時に彼女と私にしか知り得ない事実でもある。

 「はい。私がやりました」

 そこまでは推測できていたのだろうか。彼女は手帳に何も書き込まない。

 「私が遠坂先輩の家に昨日の朝に行って、学園を休ませました。
  間桐と遠坂は不干渉が鉄則だったんですが、あの時の私はどうかしていたかもしれません」

  ――私は昨日の顛末を語る。


 ――――――――――


 遠坂先輩と私は今のテーブルを挟んで向かい合っていた。
 私が遠坂の家を訪問するという本来あり得ない事態に遠坂先輩は心底驚いたことだろう。

 だけど向かい合うだけでお互いに無言だった。かなりの時間も経過している。
 遠坂先輩は紅茶に口を付けつつ、複雑な表情で私のことを見ている。
  そんな私はただ俯いて手つかずの紅茶を眺めているだけ。その上品な匂いは既に飛んでいる。

  セイバーさんは私を警戒し、まさに従者という出で立ちで己のマスターの傍らで控えていた。

 「で、桜は遠坂と間桐の盟約まで無視して何しに来たの?
  ま、この時期なんだから聖杯戦争の事でしょうけど」

 この無言の空気を焦れったく感じたのか、遠坂先輩が口火を切った。
  部屋にあったアンティークな時計を見ると昼を過ぎていた。

 (ああ、そろそろ頃合いですね)

 「……兄さんに口止めされています」

 これまで以上に沈んだ表情を"作り"、私は手をギュッと堅く握る。
 その態度に苛立ちを隠せずに遠坂先輩が突然立ち上がった。

 「じゃあ貴方はなんでここに来たの!そうやって俯いているためじゃないでしょ!?
  何か私に言いたいことがあったから私のところに来たんでしょう!桜!!」

 それでも私は下を見ながらぼそぼそと話す。

 「学園の――しています」
 「そんな声じゃ聞こえない!」

 その叱咤に私は遠坂先輩を見上げた。

  「学園の結界が発動しようとしています。兄さんを止めてください!」

 想定外の事に遠坂先輩が顔を押さえて驚くが、直ぐに落ち着きを取り戻した。

 「なんてこと……。慎二があのサーヴァントのマスターだったのね」

 「セイバー!!今すぐ学園に行くわよ!」
 「――はい!」

 遠坂先輩は赤いコートを着込むと駆けだした。
  セイバーがいるのだ。学園までものの数分で学園に着くことができるだろう。

 「桜、よく言ってくれたわ――。また一緒に紅茶を飲みましょう」

 最後に彼女は振り返らずに私にそう告げる。
  これで最良のサーヴァントであるセイバーがライダーと兄さんを止めてくれるだろう。
  だが、先輩のサーヴァントの射命丸文という少女は既に生きてはいないはずだ。

 口元に黒い笑みが浮かぶ。

  先輩はもとより、姉さんも私の事を疑わないはずだ。
  姉さんは頭がいい。
  だがその反面一度思い込んだら、その考えを変えることはそうはない。
 私の潔白は彼女の思いこみが証明してくれる。

 でも、兄さんもあそこまで扱いやすいとは思わなかったなあ。
 私が先輩のサーヴァントの情報を流すと嬉々として踊らされてくれた。馬鹿な人だ。

 ――これで先輩との日常が生活が戻る……はずだった。


 ――――――――――


 顛末を聞いた射命丸さんは筆を止めて驚愕した様子で私を見る。

 「はあ、では私を殺すために一芝居打って出たと?」
  「はい」
 「では昨日の被害者の方々は貴方が殺したようなものですね」
 「……はい」

 私の企みは容易く瓦解してしまった。

  射命丸さんが死ななかっただけではない。
  それどころか、学園では死者を出すほどの惨事となってしまった。

 『あんなことになるとは思わなかった!』と叫び出したい衝動に駆られる。

 だけど、今になって思えばサーヴァント同士の戦闘が起きて誰一人として
  死人がでないなんてどれだけ幸せな頭をしていたのだろうか。
  あの時、私の心は焦りと射命丸さんに対する憎悪でどうにかなっていたとしか思えない。

  そして今、私の心は折れてしまっている。

 「兄さんに結界を発動するように駆り立てたのも私です。責任は全て私にあります」

 己の罪を目の前の少女に全て告げた。
  もちろん話すことによって胸の内が軽くなることもなく、自分の罪を再確認しただけ。
 今は私の殺意の対象だった目の前の彼女に対しても何の感慨すら沸かずにいる。

 「わかりました。質問に答えていただきありがとうございます」

 彼女は手帳を閉じた。
  暫しの静寂。

 「で、つかぬ事をお聞きしますが、まさか桜さん、貴方は死ぬ気ですか?」

 確信とも言えるその言葉に、心臓が一度高鳴る。

 「……どうしてそう思いますか?」

 「聞いておきながらなんですが、こうしてぺらぺら話してくれるのも怪しい。
  そして、貴方のその目、絶望と後悔に満ちています。
   昨日と違って私に対する恐怖すらも麻痺していますね。
  恐怖の根源は死を恐れるという生物の本能です。
  それを感じてないというのは死んでも構わないということでしょう」

 思わぬ推察だった。
  先日もそうだったが、この少女はずかずかと他人の心に土足で上がり込む。

 「ふふ、人間ではない貴方に私の心がわかるんですね。
   先輩は最期まで私の気持ちに何も気づいてくれませんでしたけど」

 自嘲気味に呟いてしまう。
 これから死のうというのに自虐的な性格は最期まで変わらなかった。
  いや、その自虐が高じるあまりに最期は自分すら殺してしまうのか。

 「うーん、でも死のうと思う気持ちは全くわかりませんね」

 腕を組んで頭を悩ます。彼女には心底わからないようだった。
  そのあんまりな態度に苛立ちを覚える。

 「それは貴方が強いからでしょう!」

 肉体だけの話ではない。この少女の精神は人間のそれとは逸脱している。
 そして、一度切り崩れた私の感情はもう止まらない。

 「それに今更生きたって何がありますか?!
   兄さんを誑かし、姉さんを騙して、先輩に至ってはもう何年も騙し続けてきた!
  ライダーも貴方に殺されてしまった!この手は血まみれになってしまった!
  先輩も姉さんも私のことを決して許さないでしょう!
  だったら私にできることなんて死ぬしかないじゃないですか!」

 私の突然の豹変に射命丸さんは少し引いているようだった。

 「まぁ勝手に死んでください」

 そして矢のように放たれる容赦のない言葉。
  だがそれは同情もなければ微かな悪意さえも感じさせない。
  まるで壁に向かって話していたかのようだ。高揚した感情が途端に萎え始めた。

 「私は貴方が死ぬのを決して止めません。
  ですが、私は貴方が招いた事件も決して咎めません。
   今回は出しゃばりましたが、本来の私は傍観者です。
  干渉せずに観察する――それが千年にも及ぶ私の生き方です」

 彼女は私を咎めないという。
  ここまで散々引っかき回しておいて、よくもそんな事が言えたものだ。

 「では、私は帰りますけど何かありますか?」
 「特にないです」

 もうどうでもいい。さっさと帰ってほしかった。

 「あややや、即答ですか。そう言われると少し悲しいです」

 柳眉を悲しそうに歪ませる。
 ここに来て僅かだが初めて彼女に一矢報いることができた気がした。
  ほんの少しだけ達成感を覚える。
  ならばいいだろう。何か聞いてやろうじゃないか。

 「聖杯戦争はこれから苛烈を極めます。勝ち残る自信がありますか?」

 答えは聞くまでもなく想像できるが。

 自信を持ってこう言うだろう――。

 「これっぽっちも勝てる気がしませんね」

 彼女は指先でこれっぽっちをアピールする。1センチの隙間もない。

 それは私の予想していたのと全く違うものだった。
 傲岸不遜で自信家の少女の口からそんな言葉が飛び出すとは思うまい。

 「驚いていますが、そんなに意外ですか?」
 「……意外です」

 本当に意外だ。

 「残るサーヴァントとの闘いはとある制約がどうしても生じます。
  流石に負けるとは言い切りませんが、今まで以上に厳しくなるのは確実でしょうね」

 それでも彼女はその態度を崩すことはなく、いつも通りの笑みを浮かべている。

 「あ、忘れてました。ライダーさんのから遺言です。
  『申し訳ありませんでした』。それを貴方に伝えて欲しいと」

 「それだけですか?」
  「はい、それだけです」

  ライダーは私に何を謝りたかったか。
  射命丸さんに負けて聖杯戦争の半ばで脱落してしまったことだろうか、
  それとも無関係の人を巻き込んでしまったことだろうか。
  もしかしたら、その両方かもしれない。
  そんな想像はいくらでもできるが、答えは死んでしまったライダーにしかわからない。

 射命丸さんは黒い翼を大きく広げた。
  埃が立つのでやめてほしいなんてどうでもいいことを考えていたが、
  言ってみたところですんなりと聞き入れるような性格じゃないだろう。

 「最後に一つだけ。
  死んでしまった人間にできる贖罪なんてありませんよ。
  できることがあると思うならそれは自分自身のエゴと単なる思い違いです。
  死人は泣きも笑いもしません。ならば何ができるというのでしょうか。
  それをほんの少しでいいので、考えてみてください」

 その最後にぼそっと「ああ、らしくないわ」とだけ呟いた。
  真っ直ぐ目を見て話す少女が私に背を向けて話していた。
  彼女にしてみたらよほど珍しい言動なのだろうか。

 「――それではさようなら、桜さん。機会があったらまた会いましょう」

 気を取り直すように凛とした発音。
  そのまま少女は来たときと同じように窓から飛び去っていった。
  目で追えるスピードではなく、あっという間に闇に溶けてしまう。

 冬の寒風とは違う気持ちの良い風だけが残った。


 ベッドで眠る兄さんの息づかいだけが聞こえる。
 だが、その顔は恐怖に歪んでおり、時折悲鳴のような呻き声を上げる。
  何か悪夢をみているのかもしれない。

 ……射命丸さんは殺してしまった人にできる贖罪は無いと言った。

 それはその通りなんだろう。
  ごめんなさい、と謝ったところで満足するのは自分だけ。
 そうだとするなら、私が死んだところでそれが償いになるはずもない。ただの身勝手だ。
  死ぬのに理由を付けるなら、勝手に死ぬことにしましたとでもするべきなのだ。

 死ぬのは怖くないはずだった。もちろん今も生きる気力は萎えている。
  だけどそんな私でも結局は誰かの所為にしないと死ねなかったのだ。

 そう思うと涙が止まらなかった。
  生きることに絶望していた私がこんなにも死に臆病だったなんて。
 そして、この涙は先輩と出会った数年間で培った唯一の人間らしさだ。
  そんな胸の内の潜む私の少女が「生きたい」と叫んでいるのだ。

 「死にたくない。……死にたくないよう」

 私は膝を抱えて、嗚咽を堪えずに泣き続けた。


 後書き

 ライダー編を最後の最後まで書いてしまったら長くなってしまった。

  どうでもいいことですが、
  射命丸さんが慎二の前でしたのは緋想天のしゃがみポーズです。
  あれって、よくよく見れば怖い姿勢だと思うんだ。あややや。

 2008.2.10

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