「文々。異聞録」 第24話



 ――聖杯戦争が始まって5日目だったと思う。
  俺たちは寝静まった住宅街を歩いていた。

 ぞろぞろと歩く集団は先頭から俺、文、イリヤ、バーサーカーの4人。
  さながら一列になって歩くその編成は有名な国民的RPGのようだ。
  ならば先頭は狂戦士であるバーサーカーが歩くのセオリーだろうな。
  まぁバーサーカーが先頭いたら、その巨体に遮られて前が一切見えなさそうだけど。

 しかし、そんなどうでもいいことを考えて現実逃避したくなる。
  こんな異様な集団は見たことがない。
  しかも、その異様な集団の一員として俺がいるのだ。目も当てられないだろう。

  異国情緒溢れるイリヤはまだ目をつぶるとしても、文は裸足でパジャマ姿、
  バーサーカーに至っては……、もはや何も言うまい。

  そして、先頭で引き連れている俺が余計にシュールさを醸している。
  これは一体どこの仮装行列なんだろうか。子供が見たら泣きかねない代物だった。

 
  ……そう俺の家に来ないかという提案はすんなり通ったのだ。

 イリヤは俺の提案に驚きはしたものの、遠慮がちにだが頷いてくれた。
  そしてバーサーカーはマスターの意向に異論を唱えることはない。

  イリヤは多少緊張した面持ちだったが、笑顔で俺たちの後を着いてくる。楽しそうで何よりだ。

 方や文はさっきからずっとぶすっとしている。
  俺が忠告を無視して不用意に外出したこと怒っていると考えるべきだろうか。

 「もしかして文、怒ってるか?」

  「……ええ、まぁそうですね。怒ってます」

 俺が死ぬと彼女もこの世界に現界ができなくなってしまう。怒って当然だ。
  何でも考えなしに行動してしまう自分は本当にどうしようもない。

 「怒ってもいますが、実のところホッとしたと思える割合のが大きいです。
   シロウさんに危険があったら損得抜きで駆けつける程度には情が移っています。
  なので、あんまり無茶なことはしないでください」

 ……その答えは俺の想像とは大分違っていた。
  彼女は自身の見返りではなく、ただ感情に任せて俺を助けたと言ってくれた。
  だとしたら俺は何重にも彼女に謝らなくてはならない。

 「すまない」

 本当にごめん。俺はどこかで射命丸文という少女を見くびっていた。

 「そうですよ。心配かけさせないでくださいね」

 少女がニッと笑う。その含みのない笑顔に胸が熱くなった。

 そして誰ともすれ違うことなく、目的地である衛宮邸まで着くことができた。
  近所の住人に見つかったら言い訳のしようのないので、運が良かったと言えよう。

 しかしここに来て一つの問題がある。
  バーサーカーだ。バーサーカーの2メートルを超える巨体は俺の家に入れるのだろうか。
 そもそもお茶の間でくつろぐバーサーカーの姿が想像外。あまりにもシュールだ。

 振り返るとそこにはバーサーカーの姿はなかった。イリヤが一人でぽつんとしている。

 「……イリヤ、バーサーカーはどこにいったんだ?」
  「何言ってるの、シロウ? 霊体化させただけじゃない。ちゃんとここにいるわ」

 霊体化? 聞き覚えのない言葉だ。
  何となく文と顔を見合わすが、お互い苦笑いをするだけだった。

 その様子を見てイリヤが溜息をつく。なんだか呆れられているみたいだ。

 「……はぁ、お兄ちゃんのサーヴァントは肉体を持っているみたいだから知らないのね。
   サーヴァントは魔力の供給をカットすることで、本来の霊体に戻すことができるわ。
  それが霊体化というの。どうわかった?」

 忘れがちだが、サーヴァントも英霊と呼ばれている霊体の一種だ。
  霊体と言っても人よりも存在感があるため、そのことをすっかり失念していた。

  確かに霊体ならば物理的に触れることが出来ないので、家に入ることも問題はないだろう。
  ……それだったらここまでの道中も人目に触れないように霊体化させてもらいたかった。

 「なるほど。肉眼では確認できませんが、確かにバーサーカーさんの濃密な気配がありますね」

 文がイリヤの後ろ辺りを目を細めて凝視していた。
  霊体というのは目を細めれば見えるものだろうか。視力検査じゃあるまいし。


 「へー、ここがシロウの家なのね。
   日本家屋に入るのは初めてだわ。えっと確か靴を脱ぐんだよね?」

 玄関でイリヤが少し興奮気味で靴を脱いでいる。
 イリヤに敵意は全くないようで、仕掛けられた警報が鳴る様子はない。その事に安堵する。

 「じゃあ居間に案内するから、ついてきてくれ」

 イリヤは物珍しそうにきょろきょろと家の中を見ていた。好奇心に溢れた目だ。
  ……あ、この感じ。
  初めて文が召喚された時と似ているな。あれから一週間も経ってないのに酷く懐かしく思えた。

 その天狗の少女は鼻歌交じりですたすたと誰よりも先に居間に行ってしまった。
  すっかりこの家に慣れ親しんでいるようだった。……まぁ気兼ねしていないようで嬉しいけどさ。


 ――――――――――


 静まり返った居間にカチカチと時計の音が鳴る。
  時刻は深夜二時半を指そうとしていた。

 その静寂のなか、三つのお茶を飲む音が響く。
  俺たちは今三人で緑茶を飲んでいた。
 初めは紅茶を出そうと思ったが、生憎この家にはティーパックしかなかった。
  舌が肥えてそうなイリヤに出すのは少し気後れする。
  だったら馴染みがなくても味に自信があるものを出した方がいいだろう。

 ちなみに俺の隣にイリヤ、文は俺たちの正面に座っている。
  文はパジャマ姿のままだったが、彼女は想定外の事態に楽しそうだった。
  この様子だと文は寝るつもりはないだろう。俺としてもいてくれた方が助かる。

 静寂に耐えられなくなってきたので、とりあえず何か話そう。

 「イリヤは聞きたいことでもあるのか? 文のことか?」
 「そんなお話つまらないわ。もっと面白いお話して」

 俺の質問はイリヤに両断された。

  ……あ、文がショックを受けている。
  口には出さないが、顔に動揺がありありと浮かんでいた。

 「じゃあイリヤはどんな話が好きなんだ?」

 「私、人とあんまりお話ししたことがないし、それはシロウが考えて。
   それにレディーをエスコートするのは男性の仕事でしょ?」

 と言われても何を話せばいいのか検討がつかないぞ。
  ……やはりここは無難に天気の話か? 天気の話をすればいいのか?

  そんな矢先、僅かな時間でショックから立ち直った文が机に身を乗り出した。

 「では、イリヤスフィールさん。貴方はどこから来たんですか?」

 ならば私がといった感じで文がイリヤへ質問をする。
  その手にはいつもの手帳と万年筆があった。仕事熱心と言えばいいのだろうか。

 「ドイツの山奥にあるアインツベルンのお城から来たわ。
   いっつも寒くて雪が降っているようなところよ。だから私は寒いのが苦手」

 サーヴァントの意外な行動にイリヤは呆気に取られたものの、律儀に答えてくれた。
 さっきまでは少し気まずい雰囲気だったが、これなら大丈夫だろう。

 …………。

 「はー、イリヤは城住まいなのか」
  「それに貴族なんですね。通りで物腰が上品だと思いました」
 「うん。本国の城はもっと大きいよ。魔術用だけど蒸留所もあるし」

 それから暫くの間、軽快に話が弾んだ。
  物怖じしない性格の文のお陰でスムーズに会話のキャッチボールが続いていく。
  時折、俺も会話に混ざることができて、心地よいと言える程度には自然な空気だ。

 そんな空気に安心したためか、腹の音が鳴った。
  そういえば、昼から何も食べていない。だとしたら文も食べていないかもしれない。

 「文、イリヤ。もうこんな時間だけど何か食べるものを作ろうか?」

 イリヤは未だ俺に遠慮しているようだが、
  文が待っていましたと言わんばかりにとんでもないことを口にする。

 「では、士郎さん。ちょっとお酒が飲みたいのでつまみを作ってくれませんか?」

 「へ?酒?」

  俺が間抜けな反応を示すと、少女はどこからか一升瓶を取り出して、ドンと食卓の上に置いた。
  ラベルには仰々しい書体で『神便鬼毒酒』と書かれている。
  名前以外は何も書かれていないし、とことん怪しい代物だ。しかも毒酒ってなんだ。

  明らかにその酒は市販されているものではないだろう。
  だとすると自家製かもしれない。
 酒の製造は法律で禁止されているが、幻想郷に日本の法律は通用しないだろう。

 「ふふふ。
   そろそろ士郎さんとの酒を酌み交わして、親睦を深めようかと思っていたんですよ。
   しかも今日はイリヤさんもいますし、これは丁度良い機会ですね」

 こんな目に見えてわかるほど上機嫌な文を見るのは初めてだった。
  確かに天狗の酒好きなのは有名な話だ。それを考えると無下にはできない。

  でも――。

 「ちょっと待った。俺はともかく、イリヤはどう見てもまだ早いぞ」

 普段の俺は酒を飲むことはないけど、こうして誘われたら舐める程度にも付き合うべきだろう。
  だけど、見た目が小学生ぐらいのイリヤに酒は体に悪影響を及ぼしかねない。

  だがイリヤは思いの外、貴族らしく悠然と構えていた。

 「いいわ。淑女としてお酒のお誘いを断ったらみっともないもの。
   ……シロウはなんだか私のことを子供扱いしてるみたいだけど、私は車の運転もできるのよ。
  今日も冬木の商店街まで車に乗って来たもの。ちゃんとパーキングに止めたわ」

 うわー、この子やる気満々だ。
  そして何気に飛び出した車の運転をしているという衝撃発言。
  その小さな体でアクセルに足が届くのか。そもそも免許を持っているのか。
  どう想像しても、デパートの屋上にある上下に揺れるだけの遊具に乗る姿しか浮かばない。

 ……その後、少女の愛車が300SLクーペという
 ガルウィングの高級車だと聞いてあらゆる意味で涙が止まらなかった。

 こうなったら止められそうもないので、何とかしてイリヤには舐める程度にしてもらわなければ。


 ――――――――――


  文のリクエストによりつまみを作ると既に少女たちは一杯やっていた。

 「……美味しいけど、かなりきついね。日本酒ってみんなこうなの?」
 「いえ、日本酒は度数の高いお酒ですが、これはその中でも特別なだけです」

 イリヤは苦い顔をしていたが、文はけろりとストレートで酒を煽っている。
 中学生ぐらいの見た目とは裏腹に文は随分と飲み慣れているようだった。

  そんな気持ちの良いまでの文の飲みっぷりを見て、俺は致命的な一言を漏らしてしまう。

 「この家にも酒が結構置いてあるぞ。持ってこようか?」

 この家にはかなりの酒の貯蔵があるのだ。
  出所は主に藤村組からのお裾分けだが、生憎俺は未成年なので飲むことはない。
  日本酒は料理に使うことができるが、洋酒の類は余らしてしまうことが多い。

 僅かな間。文の目が怪しく輝き出す。

 「持ってきてください! 見せてください! そして飲ませてください!
  ああ……! 外のお酒はどんなのがあるのでしょうか……!」

 食いついてきた少女の顔に『わくわく』と書いてある。
  まさかそこまで期待されるとは思わなかった。

 俺は慌てて保管してあった日本酒、焼酎、ワイン、ブランデー、スコッチ、リキュール等々……
  それら未開封の各種酒を食卓を埋め尽くすように並べる。

 まさか全部飲むはずもないが、とりあえず貯蔵してあった酒の全てを持ってきた。

 「わー、知らない種類の酒もいくつかありますねー」

 少女は酒瓶を一つ一つ手に取って、一つ一つ嬉しそうに確認する。

 「あ、開けていいですか?!」

 興奮冷めやらぬ様子の少女が今手に取っているのはヘネシーX.O。
  葡萄を原料としたブランデーで、アルコール度数は40度を誇る高級酒だ。

  迫力に押されて俺は無意識のうちに首肯する。
 そして、少女は嬉しそうにキャップを開け、その匂いを嗅ぐ。
  香りを鼻腔に含んだ少女が恍惚とした表情を見せる。

 「ああ、いい匂いですね……」

  流石のイリヤも唖然としていた。当然、俺もだが。

 「飲ませていただいていいですか?」

 首肯。こんな期待に輝いた目を見て断れるはずもない。

 ……そこから先は何も語るべき言葉が見つからない。

  端的に言うと射命丸文という天狗の少女は酒豪なんていうレベルじゃなかった。
  明らかに胃の体積以上の酒をあおっても平然としていた。
 そんな彼女のペースに当然ついて行けるはずもなく、俺とイリヤは途中で力尽きてしまった。


 …………………………意識を取り戻す。

  起き上がると体中の傷だけではなく、ガンガンと頭痛が響く。
  明らかに飲みすぎだ。それでも歩けないほどじゃない。
  食卓の上には食い散らかしたつまみと無数の酒瓶が置かれており、その大多数が空だった。

  俺の隣ではイリヤが畳の上にごろ寝している。
  貴族である彼女にこんな姿を晒させるなんてなんとも酷い話だ。

  そっと毛布を掛けてやると少女が寝言を漏らした。
  『お父様……』と言ってたと思う。
  そして閉じた瞳から一筋の涙が流れ落ち、畳の染みとなった。

 ……この少女もまた複雑な事情の元、聖杯戦争に参加しているのだろうか。

  文の姿はどこにも見あたらなかった。
 いくら経っても戻ってこないので、彼女の部屋にも行ってみたが誰もいない。
  トイレに行ったわけでもなさそうだ。

 探そうと思ったが、思いの外すぐに見つかった。
 ――少女は縁側に柱に寄りかかり座している。

  そこは切嗣が好んで座っていた場所。
  そして、今の『衛宮士郎』を決定づけた誓いの場所でもあった。

 文は白み始めた空を静謐な雰囲気で見上げていた。
 彼女の周囲には風が意識を持ったようにぐるぐると渦巻いている。
 それは決して荒々しいものではなく、ゆっくりと靡く優しい風。

 そんな幻想的な光景に暫し見惚れる。
  朝の澄んだ空気が冷たく胸中に心地よい。二日酔いと寝不足の頭にいい気付けになる。
  文も似た理由でこの冷たい外気に晒されているのだろうか。

  彼女の手にはグラスが握られていた。
  傍らには例の一升瓶がある。どうやらグラスの中身はあの日本酒のようだ。

 「士郎さん、おはようございます」

 文はとっくに俺に気づいていたのだろう。赤色の視線を俺に向け、静かに会釈をする。

 「おはよう、文。また飲んでいるのか?」

  「ええ、少し飲み足りなくて。……士郎さんもどうですか?」

 そう言って自分の持つグラスを俺に差し出してきた。
  誘いを断るのは気が引けるが、この押さえたくなるような頭痛での飲酒は遠慮したい。

 「いや、やめておくよ」

  「そうですか。残念です」

 そのままグラスを自らの口へ運ぶと、三分の一ほど残っていた酒を一気に飲み干した。
  俺はその様子を見終わると彼女の側まで歩き、並ぶように縁側に座る。

 「ここの生活はどうだ?」

 何気なく彼女に尋ねる。

 「ええ、快適ですよ。
   寒さや餓えに苦しむことはなさそうですし、なにより情報が発展しています」

 「ああ、そう言って貰えると俺としても嬉しい」

 「ただ――」

 少女が再び視線を空へと移した。

 「この世界には私のような妖怪がいないのですね。
   幻想郷で妖怪は人間の奇妙な隣人です。相互依存の持ちつ持たれつの関係で成り立っています。
  ならば、この世界の伝承に伝わる妖怪たちはどこに行ってしまったのでしょう?」

 え――? それは文が自分で言ってたじゃないか。

 「幻想郷じゃないのか?」

 「――違います。残念なことにどうやらここは幻想郷の外ではありません。
   違和感は初めからありました。……確信を持てたのはついさっきですけどね。
  どうやら私は似ているようで、異なる別の世界にチャンネルしてしまったみたいです」

 一拍おいて手に持ったグラスを口へと運んだ。
  色素の薄い小さな唇が酒に濡れてどこか艶っぽく見える。

 「私は聖杯の力によってここにいられますが、世界に拒絶されているのがわかります。
  ――それこそ気を抜くと今でも味わえる。自分が稀薄してなくなってしまうような恐ろしい感覚」

 自嘲気味に笑う。
  少女は空になったグラスに手酌で注いだ。

「……どうやら幻想たる私はこの世界に相当嫌われているようですね」

  世界は秩序という名のルールに厳しく、矛盾を極端に嫌うのだという。
  『不自然』なものは『自然』なものへと修正が働く。
  つまり射命丸文という天狗の少女は存在そのものが世界にとって矛盾しているのだ。

 「だとするなら遠い昔、この世界にした私たちは何か……、
   そう、生きた証を残すことができたのでしょうか。それとも――」

 それ以上は何も語らなかった。
  東方より顔を出した朝日へとグラスを掲げ、味わうように酒を嚥下した。

  少女を取り巻いていた心地よい風が空へと上り、そして大気と混じり合うように霧散していった。

























 後書き

 文が持ち込んだ神便鬼毒酒という酒の補足。

 この神便鬼毒酒は酒呑童子を成敗するために天狗が人間に授けた酒です。

  名の指す通り毒酒なんですが「人間には薬で鬼には毒」といった特性があります。 
  人間達は共に酒を飲もうと酒呑童子に誘いを掛け、その酒によって苦しむ酒呑童子を討ち取りました。
 簡単に言ってしまえばだまし討ちです。

 萃香を初めとする鬼が人間を見放した理由の一つと言えるでしょう。

 まぁ作中で飲んでいるのは名前を借りただけの、ただの強い酒ですけど。

 2008.2.25

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