「文々。異聞録」 第27話



 深夜と言っても差し支えのない時分、俺たちは慎二の情報を頼りに柳洞寺に向かっていた。
  こうやって文と二人で深夜の冬木を歩くのも何度目になるだろう。
  片手では数えられない気もするが、実際はそう多くはないかもしれない。

  ただそれは周囲に流されるばかりで自分の意志とは無関係のものが大半だった。
  だけど、今回は違う。
  聖杯戦争を終わらせるという明確な意志の元、俺は動いている。
 この一歩一歩が馬鹿げた争いの終焉に近づいているのだ。そう信じたい。

 そんな俺の心中は高ぶった義憤と微かな不安が混じり合った複雑なものだったが、
 肩を並べて歩く文はいつもと変わらず口許に笑みを作っている。
  それは彼女の精神が乱されていない証拠なのかもしれない。
  彼女は新聞記者と自称するが、幻想郷でもこんな争いごとには慣れているのだろうか。

  ――ふと彼女が常に持っている赤い手帳とカメラがないことに気付いた。
 それだけのことになのに奇妙な違和感を覚えてしまう。

  未だかつて文がカメラと手帳を手放したことがあっただろうか。
  いや、ただの一度すらなかったはずだ。
  彼女が聖杯戦争に参加する動機はこの事を記事にすることと言っていた。
  なのにも関わらず、彼女の記者としての証であるその仕事道具を今は持っていない。

 ……それはほんの些細な事なのかもしれない。
  だが、この得も言われぬ奇妙な胸騒ぎはなんだろうか?


  ……柳洞寺ではサーヴァントと戦闘になる可能性がある。
  あんな状態の慎二の言葉を信じるのはあまりにも心許ないが、今はそれに賭けるしかない。

  文は戦闘に対して消極的な部分があるが、先のライダー戦を考えるに俺の意向は叶えてくれる。
  そんな彼女の善意を利用するようで歯痒い。女の子に戦わすなんて外道にも及ぶ行為だ。
  だが、俺はサーヴァントに対してあまりにも無力なのを何度も痛感している。

  今はこうして何も言わずに柳洞寺へと向かってくれている。
  当然それが彼女を俺の都合に巻き込む正当な理由にはならないが、俺には文に頼るしか術がない。

  ――そして、柳洞寺はクラスメイトで友人でもある柳洞一成の住む自宅でもある。
  だとすると一成の身近にサーヴァントの関係者がいると考えるのが妥当だろう。
  いや、考えたくはないが一成自身がサーヴァントのマスターである可能性もあるのだ。

 ギリと奥歯を噛み締める。
  遠坂、慎二に続いて一成が聖杯戦争の関係者だとしたら、それはもう悲劇を通り越して喜劇だろう。
  だが、こうも知り合いばかりがこのふざけた争いに片足を突っ込んでいる。
 そう、偶然が二度も続いたのだ。ならば次も必然的に――。

  ……悪い想像ばかりに陥る頭を左右に振る。いや違う……。あの生真面目な一成は関係ないはず。
  聖杯戦争が始まってからのごたごたですれ違うことが多かったが、一成にそんな素振りはなかった。

 それでも俺には一成が関係のないという確証も持てずにもいる。だからこそこうして直接調べにいく。
  この出口の見つからない思考の迷路から抜け出すために。


 ――――――――――


 暫くして、柳洞寺の山門へと続く長い石階段が見えた。
  階段の周りは木々や雑草が生い茂っており、灯りなど一つを除き何もない。
  その確かな灯りは薄暗く光る月だけ。
  それを頼りに俺たちは誘蛾灯に誘われる蛾のようにゆらゆらと石段を登り始める。
  円蔵山の中腹に位置する為、階段はかなり長い。

 ――柳洞寺には度々訪れることはある。だが、今日は何か違う。
  自分が緊張していることもあるだろうが、普段と違った何か異様な気配を感じた。

  そして、三分の一ぐらい登り切った頃。
  一本歯の靴で危なげなく石段を登っていた文が急に足を止めた。

 「――どうやら、慎二さんの言ったことはあながち嘘ではないようですね」

 文が煌々と赤い目を光らせて、山門付近を嬉しそうに見上げていた。
  その怪しく光る目を見てビクッと体が震える。まただまたあの胸騒ぎだ。

 ……いや、正しく言おう。俺は今文に怯えている。

  彼女を恐ろしいと感じたのはこれが初めてではないが、今は何をしているわけでもない。
  それなのに本能が直接忌避するような恐れを感じている。

  「目を凝らして山門を見てください。驚いたことに門番がいますよ、門番が」

 これ以上それを態度に出すわけにもいかない。
  視力を魔術で水増しして、文に倣うように山門を見上げる。
 確かに彼女の言うとおり、そこには長身の男が立っており、こちらを俯瞰していた。

 「このままとろとろと階段を登るのは流石に拙いでしょう。
  一気にいきますので、私の肩に手を回してください――」

 そう言うと文は俺に背中を向けた。何をしようとするのかなんとなく想像付いた。
  俺は戸惑いながらも言われるがままに少女の肩を後ろから掴んだ。

  文がそれを確認すると足に力を込めて石段を駆け上がった――。
  華奢な体に力を入れることに躊躇いながらも振り落とされないよう必死で文にしがみつく。  
  身長差から俺の体が引きずられるんじゃないかと懸念したが、
  風に煽られるハチマキのように体は地面に付くことはなかった。
  薄々気付いていたがどうやら文は飛行だけではなく、脚力も並大抵のレベルじゃないようだ。

  そして、ものの数秒で男の5メートル手前まで到着。
  俺も文の無茶にも随分と体が慣れてしまったものだと思う。

  その様子を見下ろしていた男が俺たちを見て微笑を浮かべる。

 「待ちくたびれたぞ、我が敵」

 山門に立っていたのは一人の侍――。そうとしか形容できない風体だった。
  青い陣羽織を着こなす侍は涼しげな笑みを浮かべ、風雅が雰囲気を纏っている。

  その右手には並の腕力では扱えないなさそうな異様な尺の長刀。

 「面妖なサーヴァントよ。まさか化生の者だとはな」
 「……私の事をご存じで?」

 侍の態度に文は訝しげな様子で答える。

  「実際に相対するのは初めてだがな――。
  これまで対峙したサーヴァント共とは別の異質な気配を纏っている。
  英霊と呼ばれる者とは全くの別物。かといって私のような人の道を違えたわけでもなさそうだ。
  うまく人の皮を被っているようだが、その正体は物の怪の類であろう?」

 「む、失礼ですね。この顔は自前ですよ」

 文のむっとした少女らしい反応に侍はくつくつと笑う。

 「ククク。それは無粋だったな。
  私はアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎――。故あってこの門を守っている」

 佐々木小次郎だって――?
  佐々木小次郎と言えば宮本武蔵と並ぶ言わずと知れた剣豪。
  その二人の雌雄が決した巌流島の闘いなら日本人ならば誰でも知っているエピソードだ。
 ならばあの長刀は佐々木小次郎が持つという物干し竿なのだろうか。
  それならばあの呆れてしまいそうな長さの長刀も納得ができる。

  それよりも、真名の名乗ると言うことは同時に弱点をさらけ出す事に等しいと言われている。
  文のような特殊なサーヴァントはともかく、真名を名乗るなんてどういう腹づもりなのだろうか。

 文もそれを倣うように口を開いた。

 「ご丁寧にありがとうございます。
   私はアーチャーのサーヴァント。名は射命丸文。――妖怪、烏天狗です」

 その時、先程から感じていた恐怖の正体が露わになった。
 ……彼女が名乗ることは想像できた。これまで誰に対してもそうしてきたのだ。
  だが、今まで烏天狗であると俺以外には公言したことはなかった。

  どんなときでも自分は新聞記者と自称していた。
  それが今烏天狗であると名乗った。それが意味するのは――。

 そんな俺の疑問に答えてくれるかのように、文がアサシンを見据えたまま語り出す。

 「――士郎さん、今朝の話を覚えていますか?
  ここは私の住む世界ではなく、全くの異世界だと。
  ……そして、この世界で生きていた妖怪はその証を遺せたのだろうかと」

 「ああ、覚えている」

 俺は声が震えるのを抑えられただろうか?

 ……あの場所で見せた彼女の顔を今も忘れられそうもない。
  普段は10代半ばぐらいにしか見えない少女だが、
  あの時だけはこれまで長く生きた年月を感じさせる顔をしていた。

 「それから考えました。彼らのためにできることはないのだろうかと。
  人間たちが妖怪の存在すら忘れてしまっては本当に彼らはいなくなってしまう」

  今彼女はあの時とは違う顔をしている。
  飄々とした態度を取る彼女からは考えられない決意を秘めた目――。

  「ですので、私は決めました。
   彼らが遺したものがないのなら、この世界に私が一妖怪として彼らの存在の証を立てます。
  ――ここに宣言しましょう。

  私はこれ以降、ブン屋射命丸文ではなく、烏天狗射命丸文として聖杯戦争に参加します。
  そして、残るサーヴァント……アサシン、キャスター、ランサー、バーサーカー、セイバー。

  ――残らず私が屠って見せます」

  その啖呵に彼女を取り巻く空気――いや、風が変わった。それが木々をざわめかせる。
  風は彼女自身から発生しているのではなく、それはまるで彼女が風を操っているかのようだった。

 そして、彼女の人外たる証である黒い羽根を外気へとさらけ出す。

 「ほう、その翼。それに風をも操るのか。まさに天狗よの。
   ……それにしてもこうも見事に花鳥風月が揃うとは。ククク、もっとも雅さは些か欠けるがな」

 それに対して文が嘲うように口許を歪めた。

 「これから私たちは殺し合うのです。そんなものは必要ないでしょう」

 「ふはは、それもそうだな。良かろう――、ならばかかってくるがいいアーチャーよ。
  これ以上の問答は無用。この門を通りたくば貴様の力を持って通るがいい」

 アサシンは物干し竿を持ち直す。
  それは構えを作ることもなくあくまで自然体であったが、文を取り巻く烈風が白刃に裂かれた。

 その瞬間、気付いてしまった。

  アサシンまでの5メートルという距離。それはあまりにも無防備に自分の身を晒していることに。
  ――ここは既にアサシンの領域、五尺にも及ぶ剣の間合いだ。

  そう思うや否や月光で怪しく光るアサシンの長刀が文に向かって走った。



 後書き

 一ヶ月ぶり。なのに短いです。
  ですが、この荒唐無稽な物語が加速する契機となる話。
  後のストーリーは一部を除いて殆ど決まっているので、
  すらすらと書ければいいですけど、私の筆力でそれが書けるかどうか。

 2008.4.14


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