「文々。異聞録」 第28話



 アサシンが一歩を踏み込んだ。
  アサシンの振るう太刀は闇を切り裂き、文の首を刈り取らんと奔る。

  だが、凶器は彼女の前髪を数本散らすだけに終わる。
 アサシンが感心を示すかのようにほぉと嘆息を漏らした。

 ……アサシンの太刀は文を間合いとしていたはず。
 彼女はその場から動かずにいるのに、すり抜けたかのように届かなかった。

  アサシンが己の剣の間合いを見誤った?
  いや、剣鬼たる佐々木小次郎が己の獲物を測り間違えるなんて万が一にもあり得る話ではない。
  ならば手加減したとでもいうのだろうか。それも考えにくいことだ。

 その疑問に答えるようアサシンは口を開いた。

 「ほお、まるで軽業師だな。我が剣を半歩下がるだけで躱すとは」

 文の立つ石段を見ると僅かだが擦ったような痕跡があった。
  天狗の少女はアサシンへふふんと勝ち誇ったような冷笑を送る。

 「――ふ、ならば剣戟の極地を見せてくれよう!」

 アサシンが剣を振るおうと更に一歩踏み込む。
 それの太刀筋は俺の目では捉えられないほどの剣速。それを連続で斬り重ねる。
  そして、一太刀一太刀と重ねるごとに徐々にその速度を増く。

  ……アサシンの剣には構えがなく、それに力みもない。形のない剣だった。
  剣の英霊であるセイバーが剛の剣だとするならば、アサシンのそれは流動の剣。流れる剣だ。
  川の水が上から下へと流れるが如く、あくまで水流の如く自然な太刀筋。
 文は最小限の動きでそれを躱すが、それは彼女さえも瞬き一つで両断されかねないものだろう。

 何十と剣を重ねても尚、文は反撃することもなくアサシンの剣を躱し続けた。
  彼女の顔は余裕そのもの。まるで意に返していないようだった。
  この短時間で既にアサシンの剣を見切っているようにも思える。

  そして、暫くすると侍の周囲に結界が形作られていった。
  それは剣速が増し、太刀が重なることで作られる剣舞による結界。

  木の葉がその結界に触れると音も立てずに散り散りとなって消える。
 あの空間に触れるということはミキサーに手を突っ込むような行為に等しい。

 だが、それでもただの一太刀も少女の体に触れることはない。
  そこには何のカラクリもなく、神秘も隠されてはいないのだろう。
  ただ彼女自身の身体能力だけで剣鬼の剣が躱されている――。
  だとするならば、これはまごうことなく悪夢の光景だ。

  そして少女は悪夢にて平然と笑う。刃全てが意志を持ち自分を殺そうとしているのにだ。
  さらにはいつもと違い闘いを楽しんでいるようにさえ見える。


 ――途端、白刃が空中でピタリと静止した。
  文とアサシンも倣うように動きを止める。

  ……一体何が起こったのか。
  これまで涼しい顔をしてしたアサシンさえも剣を振り下ろした体勢のまま驚嘆していた。
 だとすると、この状況はアサシンの意図するところではないのだろう。

  アサシンの太刀の切っ先を目で追うと、そこには白い二本の指。
  ……それの意味するところ。信じがたいが考えるまでもない。
  文がアサシンの袈裟斬りを人差し指と中指だけで受け止めてしまったのだ。

 少女の指の力もさることながら、信じがたいのはその動体視力。
  どんな目を持っていれば、神速で切り裂かんとする刃を二本の指で挟み取れるのだろうか。

 文は万力のような力で太刀の切っ先を更に締め付ける。
 そして、少女は空いた手に持つ葉団扇から風の弾を放った。

  文とアサシンの間は2メートルにも満たない僅かな距離。
  風がアサシンの腹部を抉らんと走る。
  人間には不可能だろうが、サーヴァントたるアサシンに回避は不可能でない。

 だが、侍たるアサシンは刀を手放す事は出来ずにいた。
  不合理だと知りながらも、佐々木小次郎には敵前で刀を捨てるような真似は出来なかった。

  そう、刀とは投げ捨てた鞘とは違う。

  それを知りつつ、少女は狡猾にニヤリと笑う。
 天狗の怪力により掴まれた刃はギリギリと音を鳴らしており、奪い返すことができない。

 そして、少女の思惑通りか、アサシンは避けることも出来ずに風が命中する。
  ドクン、と鈍い音をたて、アサシンの体を僅かに宙に浮かべた。
  その突き抜けるような一撃は並の人間ならば腹に風穴を開けて絶命している。

 その一撃を受けながらも、侍は太刀を握ったまま手放さない。
  腹部を深く打ち付けたアサシンは、端正な口先からつぅと血を零す。
  文は追撃をすることもなく、それどころか掴んた切っ先を興味を失ったかのように放した。

 「……早いだけの剣じゃ私に決して届かないわ。勝ちたければもっと工夫をしなさい」

 冷徹な言葉をぴしゃりと投げかける。

 「それは失礼をした。
   しかし、まさかこうも容易く我が剣が封じられるとは思いもしなかったぞ。
  私の剣筋は邪道故な、並の者ならただの一撃でその首を落とす。
  ――それをこうも躱されるとはな。ククク、なんとも恐ろしいことよ。だが嬉しいぞ」

 強烈なダメージによりアサシンの足下はふらつきを見せるが決して地に膝を付けない。
 血をぬぐうこともなく、眼前の好敵手に愉悦を堪えきれないように笑う。

 「なればこれ以上の戯れは止め、我が剣技を見せようぞ」

 アサシンがここに来て初めて構えを取った。
  それは長刀を前面へと担ぐような構えだった。

  途端、周囲の空気が冷たいものへと変貌する――。
  冷や水を浴びたように全身が強ばるも、喉はカラカラになり渇きを訴えた。

 その変化を文も肌で感じ取ったのか、八手の葉団扇を広げ口許を隠した。
  クスクスと笑みが零れる。――見下すような蔑視と嘲笑。

 「手加減してあげるから、貴方の技、ここで見せてみなさい」

 「ククク。その余裕、どこまで続くかな。我が秘剣、鴉にも通ずるぞ!」

 サーヴァント、アサシン。
  真名は伝説の剣豪、佐々木小次郎だという。
  だとすると、佐々木小次郎の持つ技は――。

「秘剣――、燕返し」

 俺の思考よりも速くアサシンの剣が奔った――。


  ――燕返し。
  生涯を剣を振うことで費やしたアサシンの剣。
  その集大成。アサシンの人生そのもの。

  疾走するのは三つの刃。一振りで三度切る刃。矛盾。
 剣を振うことで到達した魔法の領域。多重次元屈折現象。キシュア・ゼルレッチ。

  その刃は慢心する鴉天狗をも切り裂く。燕にも届くその剣技が鴉に届かぬ道理はない。

  射命丸文は物理的にあり得ぬアサシンの剣に驚歎した。
  一振りの太刀から三つの斬撃が襲いかかってくる。しかもそれぞれ別々の方向から。
  なのにそこから魔術的な気配は一切感じられない。

  しかしその不可解な攻撃を目の当たりにした少女の驚きも刹那の間。
 直後、状況を虚静に分析する。
  千年の経験、天狗の能力の全てを総動員そ以て、回避の一点のみに走らせる。
  幻想郷に住む多くの大妖の弾幕を避けきった彼女の目に捉えられぬものは、この世にない。

 ただの人間が剣を振り続けることで辿り着いた魔法の境地――。

  そのアサシンの燕返しは文が躱すこともなく不発に終わった。
  代わりに耳をつんざく爆音。
  何かの巨大な力が文とアサシンが戦っていた場所の石畳を粉砕する。

 「文!!」

 俺の声は届くことなく、爆音に掻き消されてしまう。

 直後、一瞬だけ世界が静まり返る。
 それも眼前の圧倒的な存在感により消え去った。
 あの巨躯、何があろうと見間違うはずもない。
  そこにいたのは斧剣を振り下ろしたバーサーカーの姿。

 「ざーんねーん。二人ともぺしゃんこに潰れちゃえば良かったのにどうやら無事のようね」

 俺の背後から聞き覚えのある幼い声が聞こえてきてギョッとする。
  ――声の持ち主はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。

 「今晩は、お兄ちゃん。今夜は綺麗な月だね」

 イリヤは何事も無かったかのように甘い声で挨拶をする。
  今朝のあの出来事が反芻されて心臓が跳ねるが、それも緊迫した雰囲気に飲まれる。
 何故こんな所にイリヤとバーサーカーが……と思うが、今はなによりも文の安否だ。

  バーサーカーの方を見ても、そこには岩のような巨躯があるだけ。
 まさかバーサーカーの攻撃にやられてしまったんじゃ……。

 「こんな空気の読めない不意打ちはレディのやることじゃないわね」

 と悪い考えが頭を過ぎった直後、いつの間にか何事も無かったかのように文が隣にいた。
  突然のことに吃驚すると文が俺を一瞥しクスと微笑んだ。……なんかやっぱり雰囲気が違うぞ。

 「わたし子供だからいーんだもーん」

 文の指摘にイリヤが頬を膨らませて開き直った。
  巫山戯た態度を取るイリヤだが、文を見る目が徐々に硬化していく。

 「……え? 貴方、本当にアヤなの?」

 「ふふ、何のことでしょうか?私は間違いなく清く正しい射命丸ですよ」

 イリヤの懐疑におどけた素振りを見せるが、少女もまた文の変質に気付いたようだ。

 「……ふん、まぁいいわ」

 イリヤは納得がいかないようだったが、気を取り直すように俺へ顔を向けた。

 「お兄ちゃん、アヤ。――今夜で貴方たちを殺しちゃうね」

 イリヤが目を細めて俺を冷射貫く。
  その冷酷な瞳に背中に冷たいものが走り、ゾッとさせられる。
  昨夜の少女とはまるで別人のよう。だが、これもまたイリヤスフィールという少女なのだろう。

 ここでバーサーカーと戦闘となっても、打ち破ることは難しいかもしれない。
  なぜなら彼女のサーヴァントのバーサーカーは例え殺すことが
  できても何度も復活するという悪夢のような能力を持っているのだ。

 それでも遠坂とセイバーがあわせて三度殺している。
 だとすると『十二の試練』はあと九回――。

 「あ、ちなみに言っておくと、凛とセイバーに殺された分はもう回復したわ。
  それがバーサーカーの宝具、『十二の試練』の特性の一つ。
  だからまた十二回殺さないとバーサーカーは殺しきれないわよ。あはは」

 ……追い打ちを掛けるように絶望的な事をイリヤは言ってのける。
  決死の覚悟で遠坂とセイバーがバーサーカーを三度殺したというのに、
  ――それがこの数日でリセットされているなんて。なんてふざけた能力……。

 自分のサーヴァントの意見を聞こうと隣にいる少女の様子を見た。
  だが、文はイリヤの話に耳を傾けずに空の一点を見上げている。

 その視線の先を追うと巨人に目掛けて何かが物凄いスピードで落下している。
  金属のようなものが月光を反射して怪しく煌めく――。

  バーサーカーもそれに気付き動き出そうとする。
  だが、それよりも先に激しく衝突。金属同士がぶつかり合うような鈍い音が辺りに響いた。
 くぐもったようなバーサーカーの咆吼。

 そこにはアサシンがバーサーカーの口内へ太刀を突き立てる姿があった。
  落下による重力加速度によって、アサシンの攻撃は今までにない破壊力を持っているだろう。

 「――ふむ。もしやと思ったが、やはり駄目のようだな。
  ここまでもが鋼でできているとは些か驚かされるぞ」

 予想に反してアサシンの渾身の一撃はダメージを与えていないようだった。
 アサシンは太刀を口中より引き抜くと続いて巨人の眼窩へと突き立てる。火花が闇を照らす。
  しかし、眼球への一突きもまた鋼の肉厚によって弾かれてしまう。

 バーサーカーが顔にまとわりつく羽虫のようにアサシンを手で振り払う。
  アサシンはそれよりも速く飛び退き山門付近へと着地する。

 「ふ、刃が立たないとはまさにこのことよの」

 侍は己が剣が通じずとも、嬉しそうに口を歪ませる。

 「当たり前じゃない。わたしのバーサーカーは『十二の試練』の神秘によって守られているのよ。
  神秘を打倒するにはそれ以上の神秘が必要なの。
  そんな何の概念武装でもない鉄の棒でバーサーカーを攻撃したって意味ないわ」

 イリヤの説明はアサシンにとって絶望的な内容だっただろう。
 だが、それを聞いても尚、アサシンは表情を崩さずに笑っていた。

 「ククク、どうだろうな。
   私は剣を振るうことしか知らぬ故、そのようなことは一切解らぬわ。
  だが己が秘剣。未だ存分に振るってはいないぞ。さあ、果たし合おうでないか」

 イリヤが苛立つようにアサシンを睨み付ける。
  どうやらアサシンの言葉はバーサーカーに対する侮辱と受け止めたようだった。

 「……いいわ。口で言っても理解できないようね。
   だったらアサシン、貴方の体にわからせてあげる。
  バーサーカー!! こんな奴、さっさとやっちゃいなさい!!」

 イリヤの一言でバーサーカーが山門で佇むアサシンへと駆け上がった。
  自分へと襲いかかる死を具現化したような黒い巨人にアサシンは悠然と太刀を向けた。



 後書き

 もうすぐ更新せずに2ヶ月経つところでした。
  モンハンの責任です。責任転嫁です。

 方や本編は「Fateでやれ」的な展開に突入。
  そして文ちゃんはこのまま無視されるのでしょうか。

 以下次号!!

 2008.5.30


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