「文々。異聞録」 第29話
バーサーカーとアサシンの死闘――。 剣戟と巨人の咆吼だけが冷え切った深更に木霊する。 アサシンの長刀ではバーサーカーの斧剣を受け止められない。 バーサーカーの筋力は全サーヴァントでもっとも優れている。 武器を抜きにしてもアサシンの痩躯では受けきれるはずもない。 アサシンは階段による高低差を上手く利用し、上手く立ち回っていた。 そして、その高低差こそがアサシンの命を繋ぐ。 ただの平地であればアサシンはバーサーカーとは勝負にならない。 技術を除いて全ての面で劣るアサシンが、地の利を生かしようやくバーサーカーと闘いになる。 それでもバーサーカーの攻撃は完全に避けるか、受け流すしかない苛烈なもの。 更にバーサーカーの振るう全ての攻撃が一撃でアサシンの命を刈り取り兼ねない。 方やアサシンの長刀はバーサーカーの十二の試練により全て弾かれていた。 目、口といった急所を狙ったえげつない攻撃ですらものともしないバーサーカーにアサシンの剣技は通じない。 「今回はこの前みたいにはいかないわ。跡形もなく殺し尽くしてあげる」 どうやらイリヤはアサシンと戦うのは初めてではないようだ。 ならばアサシンはあのバーサーカーを凌いだということ。 それがどれだけのことなのか一度でもバーサーカーの闘いを見たことがあるのならわかるだろう。 あの巨人を撃退するなんてことはただの人間ではどう足掻いても不可能だ。 それはつまりあの侍もまたバーサーカーと同じくサーヴァントに名を連ねることの証明。 人でありながら人類という枠組みから外れた規格外の存在。 だが、一分足らずで侍の陣羽織を切り裂き血が滲み出す。 アサシンはただの一度もバーサーカーの斧剣を受けてはいない。 完璧に躱してもその攻撃は羽織を斬り肉を裂く。それだけ信じがたい膂力なのだ。 しかしアサシンは笑う。 刹那で死に至る死地の中、沸き上がる何かに堪えきれないようにアサシンは笑う。 まるで死地に己の生を見いだしたかのようにクツクツと――。それは狂気に彩られた愉悦だった。 ああ、つまりサーヴァントを冠するということはそういうことなのだろう。 剣に生き剣で死んだ侍は、死して尚も剣を振るう。アサシンは今生きている。 ―――――――――― その死闘に魅入られていると誰かが俺の脇腹を突いた。 言うまでもなく文だ。 「士郎さん、士郎さん」 「ん? 文、どうしたんだ?」 俺の耳元で小声で囁く。ちょっと上目遣いな文に少しドギマギさせられる。 それにさっきまでの妖怪然とした彼女と違う雰囲気で僅かながらホッとする。 「先、行っちゃいましょう」 「先……、だって?」 「彼らにはここでつぶし合ってもらって、私たちはあの門の向こうへ行っちゃいましょう」 アサシンという門番が死闘を繰り広げており、今はがら空きとなった門を文は指差して言う。 ……うん、その発想はなかった。 ここに来てアサシンとバーサーカーの無視して先に進むなんて想像の外だった。 あまり気が進まないが、ここは彼女の言っていることが最善なのかもしれない。 ……だけど、まてよ?それはさっき文が言っていたことと矛盾してはいないだろうか。 「だけど、文はサーヴァントを全員倒すんじゃなかったのか? このままだとどちらかが欠けることになるぞ」 ここで俺はとんでもないことを彼女の口から聞くことになる。 「ああ、あんなのその場で格好つけたくて言った出任せです。 そもそもあのバーサーカーに勝てるわけないじゃないですか。 ふふふ、おかしな士郎さんですね」 …………。 多分おかしいのは文の方だろう、多分。 それとも天狗の思考は俺みたいな凡人には理解が及ばないとでも言うのだろうか。 あの時、彼女に対して畏敬の念を抱いてしまった俺に謝ってほしい。 というか、嘘つきは閻魔様に舌を抜かれてしまえ。居るかどうかは知らないが。 「じゃあ行きますか」 まるでコンビニにでも行くようなケロリとした口調。本当に未練はないようだった。 そろりそろりと文が石段の端を歩き始めた。 いや、これはコソコソという擬音がもっとも似合いそうだった。 なんだか文の背中がいつも以上に小さく見える。 彼女の背負う黒く美しい羽根も今は頼り気なく揺れていた。 そんな背中を追いかける俺も相当滑稽なものだろう。 「門の上を飛んでいった方が早いんじゃないか?」 こんなコソ泥のような動きをするよりも、そっちの方が文に向いていると思う。 というか、格好いいところを見せて欲しい。 「気付きませんか?この柳洞寺の正門以外は強力な結界が貼ってあります。 通り抜けられないこともないですけど、大幅に魔力が削られるのであまりオススメはできません」 ……知らなかった。わざわざ正門を抜けることにそんな意味があったのか。 ならば文もイリヤも馬鹿正直に柳洞寺を正面から攻めたのもわかる気がする。 バーサーカーに絶対の自信を持っているイリヤはそんなの関係無しに正門から攻め入りかねないが。 「……一体誰がそんなものを」 「さあ?誰でしょうね。 もともとここはそういったものに適正のある土地みたいですし、 普通に考えるなら柳洞寺に住むサーヴァントではないでしょうか」 やはり柳洞寺にサーヴァントはいるのだろう。 そうだとするとアサシンが自分が門番だと言っていたことも合点がいく。 「あーー!!」 イリヤが俺たちを指差して叫んだ。 未だ苛烈を極めるアサシンとバーサーカーの闘いの脇をコソコソと通った直後、 イリヤに気付かれてしまった。 「ちょ、ちょっとお兄ちゃん達! どこに行こうとしてるの!?」 イリヤの慌てた様子に文は意地悪くニヤニヤとしている。 「あやや、気付かれてしまいましたか。 どこに行くのかと聞かれたら、そりゃもう門の向こうですよ。 そんなの決まってるじゃないですか。ね、士郎さん」 文が俺を共犯に仕立てようとしていた。……ここはちょっと待って欲しい。 ―――――――――― 「バーサーカー!!」 そんな俺たちの行動に腹を立てたのか、イリヤが怒気の混じった声を上げた。 巨人がその少女の声に呼応するように凄まじい咆吼を放つ。 そして、凶器の矛先を俺たちへと向ける。 バーサーカーのまとわりつくような殺意に脚がガクガクと笑い出す。 アサシンはこんな殺意を正面から受けて、嬉しそうに笑っていたのだろうか。 バーサーカーは眼前のアサシンを無視し、見た目からは考えられない脚力で俺たちへと駆けた。 文が俺の前へと庇うように出て、葉団扇を突き出すように構える。 だが、直後アサシンがバーサーカーよりも速く、長刀をバーサーカーへと振るった。 当然のようにその一撃も弾かれてしまう。バーサーカーはその剣撃をものともせずに前進する。 「貴様の相手はこの私だと言うことを忘れてはおらぬだろうな」 そう言うと、アサシンは再び剣を振るった。 その全てが人体の急所を狙うというえげつないものだったが、バーサーカーは止まらない。 それどころかアサシンを意に返してすらいない。 バーサーカーの金眼に映るのは主の命により、標的とされた俺達だけだった。 それでも尚、己を無視されて剣が届かないと知りながらも剣鬼は無心に振るい続けた。 とうとうアサシンの剣がバーサーカーの肉厚に耐えきれず、歪に曲がった。 アサシンはそれでも剣を振るうのを止めようとはしない。 文は無表情でわからなかったが、イリヤは嘲笑のするような目付きでアサシンを見ている。 決して届かないと知りながらも無心で剣を振るい続ける。端から見れば滑稽な光景でもあるのだろう。 だけどそれは俺の胸中に込み上げてくる熱い何かがあった。 そのアサシンの姿を愚かにも為し得がたい理想を叶えんとする自分自身に重ねてしまった。 叶わないと知って尚、理想に殉じようとする者を誰が笑えようか――。 バーサーカーがついにその動きを止めた。 何度となく挑み続けるアサシンを意に返さずにいたバーサーカーが意識下に置いた。 剣に込められたアサシンの気迫が理性を失った狂戦士にも届いたのだろうか。 もちろんそんなことは誰にもわからない。だけども一つだけわかったことがある。 バーサーカーは主の命を無視してでも排除しなければならない敵だとアサシンを認めたのだ。 敵意を俺たちからアサシンへと再び向ける。 ――そして、アサシンにこれまでにない渾身の一撃を振るった。 その振り下ろされた斧剣をアサシンは折れ曲がった剣で受け流そうとする。 ……が、叶わない。 バーサーカーの尋常ではない膂力と剣が曲がっていた所為だろうか。 アサシンのような達人でも力を外に逃がせずに受け止めてしまう。 必殺とも呼べる一撃を受け止めてしまい、アサシンの足下に亀裂が走る。 暫くの拮抗。アサシンがバーサーカーの斧剣を支える鍔迫り合いの状態。 それは本来ならばあり得ない光景だった。 アサシンの長身痩躯ではバーサーカーの攻撃を支えるなんて事は不可能に近い。 そもそもバーサーカーの膂力は精神論でどうこうなる問題ではない。 だが、信じがたいことにこうして眼前で起きている。それの意味することは――。 「もう! そんな雑魚にいつまで時間掛けてるのよ!! バーサーカー!! さっさと始末しなさい!!」 しびれを切らしたイリヤが己のサーヴァントに苛立ちを見せた。 今聖杯戦争において最高のマスターであり、最強のサーヴァントを従えているはずの イリヤスフィールにとってこれはあってはいけない光景なのだ。 「もういいわ。狂いなさいバーサーカー!!」 イリヤの体が赤く光を灯す。身体中に刻まれた令呪がバーサーカーに向けて発動した。 『■■■■■■ッッッ!!!』 バーサーカーが咆吼を上げ大気を振るわせた。 巨人の筋力が狂化によって更に跳ね上がり、アサシンの足場が陥没する。 アサシンを支える左膝があらぬ方向へと曲がった。 全身の至る所から血が流れ出て、青い陣羽織を赤く紅く染め上げる。 だが、アサシンの長刀は未だ折れずにいる。ならばアサシンもまた折れないのだろう。 そして、バーサーカーが一気に押しつぶそうと更に力を込めた刹那――。 巨人の持つ斧剣が――ずぅるり、と。真っ二つに、両断された――。 斧剣の刀身が半分の長さになる。残りの半分は大地へ落下、鈍い音を響かせた。 この場にいる誰もがその光景に唖然とする。当人であるアサシンを除いて。 「ようやくだな。ようやく一泡吹かすことができたようだ」 アサシンが静かに歓喜する。 全身を血で紅く染め、左脚は明後日の方向に曲がっていた。 それでも自らの痛手など瑣末事のようにしてやったりとほくそ笑む。 まさに剣鬼と呼ぶのに相応しい容貌だった。 「……なんなの、それ。 大英雄ヘラクレスを奉る神殿の支柱から作られた斧剣なのよ。 それをただの刀で切り落とすなんて……、信じられない……」 イリヤは眼前の出来事が飲み込めずうわごとのように呟くが、 瞬時に思考を切り替えてアサシンを標的を見るような目で睨み付けた。 「わかったわ。聖杯戦争の御三家アインツベルン。 そのマスターであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンが アサシン、――貴方を私たちの敵として認めてあげる。バーサーカー! アサシンをやりなさい!」 バーサーカーが三度吼えた。 イリヤの瞳にはもう俺たちは映っていなかった。 己のサーヴァントと眼前の強敵であるアサシンしか眼中に納めていない。 「じゃあ、私たちは先に行きましょうか」 文は気を取り直すようにそれだけを言うと、この全てに背を向けて歩き出す。 アサシンとバーサーカーの闘いはここで決着が付くだろう。――バーサーカーの勝利という形で。 最後まで見届けたい闘いだったが、叶うことはない。 「――いずれ決着を」 その直中、アサシンが背を向けたまま文に告げる。 「――ええ、いずれまた決着を」 文も振り返らずにその一言だけ返すと門をくぐり、境内へ足を踏み入れた。
後書き Fateでやれ。 2008.6.10