「文々。異聞録」 第30話



 「静か、ですね」
 「……静か、だな」

 柳洞寺の境内に入ると静寂が支配していた。
  あまりにも閑散としており、俺たちの声だけが木霊する。
  まるで隣にいる少女の心音も聞こえるんじゃないかと錯覚する粛々とした世界――。

 「ふむ。なんでしょうか」

 正門付近で立ち止まっていた文が境内の中央まで歩む。
 不用意な行動に驚かされるが、敵のホームで文と離れるのはかなりまずい。
  酷く情けないが、俺は慌てて先を進む少女の背中を追いかけた。

 文はガランとした中心部に立ち尽くすと腕を組み思慮に没頭し始める。

 「正門ではバーサーカーとアサシンが闘っているはずのに、
  それすらも境内に入った途端、ピタリと止んだ。
  ……いえ、正確には止んだのではなく聞こえなくなった?」

 誰に言うわけでもなく、自分自身に問うように呟いた。
  戦闘に備えて何をするわけでもなく、無防備に身を晒す文を見ると沸々と不安がわく。

 「文、こんな目立つ場所にいて大丈夫なのか?」

 素人考えだが、敵陣地ど真ん中で棒立ちなのは良くないんじゃなかろうか。
 しかし文は想像に反して何か含みのある笑みを俺に見せつけた。

 「こんな閑散とした場所ではどこにいても同じですよ。
  ここのサーヴァントもとっくに私たちの存在に気付いているでしょうから、
  むしろ堂々と目立ってやりましょう。……ビビっていると舐められますよ?」

 じゃあなんだろうか。俺の考えが浅はかなのだろうか?
  あまり納得がいかずに黙していると、文は握り拳を作って俺の胸板をぽんと軽く叩いた。

 「士郎さん、貴方は男の子でしょう?
  それに私のマスターなら情けない顔しないでどっしり構えて見せてください」

 そう言ってニヘラと笑う文は失礼かもしれないが、どこか男前に見えた。
  だったらここは文の言う通り、不安がらずにどっしりと構えてやろう。

 「じゃあ今境内には何らかの魔術的な作用でも働いているのか?」

 文にそう尋ねると、その返答は意外なところから返ってきた。

 「――防音の結界を貼らせてもらったわ」
 「!?」

 背後から妙齢と思える女性の声――。
  慌てて振り返ると、今までいた辺りにいつの間にか闇に溶ける黒いローブを纏った女が一人。
  顔はフードで隠れて見えないが、紫のルージュをさした唇だけ薄く笑みを浮かべている。

 「武器を振り回すしか脳のない野蛮人の闘いなんて聞き苦しいだけだもの。
  この場に少々似つかわしくないわね」

 「……貴方がキャスターのサーヴァントですか?」

  そう、未だ邂逅を果たしていないサーヴァントはキャスターのみ。
  そもそも消去法で考えなくとも目の前の女性の風体は魔術師そのものだった。

 「ええ、その通りよ。可愛いアーチャーさん。
   ――ようこそ私の根城へ。ふふ、歓迎させていただくわ」

 キャスターと向き合う形で対峙する。キャスターのマスターは近くにはいないようだ。

 僅かな睨み合いの後、何を思ったのかキャスターが突然俺たちに歩み寄る。
  突飛な行動に俺は身構えたが、文は腕を組んだままキャスターを見澄ましていた。
 そして、キャスターも文だけを見ていた。隣にいる俺は全く意に介さない。

 キャスターは文まで後一歩というところで歩みを止める。
  この零に近い距離は魔術師の名を冠するキャスターの間合いではない。
  それにこれはどう見ても無防備を晒しているようにしか見えなかった。
  だとするらば、これは何かの罠と考えるのが妥当なのだろう。

 キャスターはローブからスッと右手を出すと文の顎を挟むように手を置く。
  文もどうしてかされるがままにキャスターに身を委ねた。

 「へぇ、本当に可愛いわね。
   近くで見ると寒気を覚えるぐらい整った顔立ちをしているわ。
   アサシンに名乗り上げてたけど、確か烏天狗とかいう日本の妖怪だったかしら。
  ……ふふ、貴方たち妖怪は人を誑かし攫い食べてしまうのでしょう?
  なるほど、その為に人間の目を惹き付けるような姿形をしているのね。理に適っているわ」

 フードの奥から品定めするような碧眼が覗く。キャスターの手が文の細い顎をくいと持ち上げた。

 「おい!」
  「坊やはそこで黙っていなさい」

 …………ッ!!

 キャスターの一言に体が急激に重くなった。
  何か話そうとしても言葉にならず、口だけがぱくぱく開くだけ。
  ……これがキャスターの魔術なのか!?
  今朝もイリヤに似たような真似をされたが、視線すら交わさずに、ただの一言でこの有様だなんて。

  キャスターはそれ以上俺に何もしようとはせず、
  息の掛かりそうな距離で文の顔をまじまじと見つめる。

 「それに綺麗な目をしてるわ。
   今まで一度も挫折なんてものを味わったことがないのでしょう?
  これまで弱者を寄せ付けず、勝ち進んできたのね。
  ――だからこそ、貴方のその目が汚れるのを想像するとゾクゾクするわ」

 ピキリと文が凍った。
  彼女の怒ったところはあまり見ないが、流石にそこまで言われては頭に来たようだ。

 「……言いたいことはそれだけ?」

 文の赤い目がキャスターを睨むように細くなる。
  普段見せる余裕のある微笑も閉じて、射貫くような鋭い眼差しを向ける。

 「あら?気に障ったの?ごめんなさい」

 誠意を全く感じさせない形ばかりの謝罪をし、文の顎から手を放した。
  それと同時に俺の体も嘘のように身軽になった。

 「もういいかしら。この距離は私が優位な間合いよ。
  待っててあげるから、さっさと戦闘の準備を整えなさい」

 文に得体の知れない不気味さが孕まれる。
  敵意が向けられないとはいえ隣にいるだけで酷く気持ち悪い。
  だがそれを一身に浴びるキャスターは少しも態度を崩さない。

 「そうかっかせずに待ちなさい。血の気ばかりが多いと底が知れるわよ」
 「余計なお世話。掛かってこないなら私から行かせてもらうわ」

 文が組んだ腕を解いて、境内に来て初めて臨戦態勢を取る。
  ゴオと耳をつんざくような暴風が文の周囲を纏った。

 だが、キャスターはそれでもその場から動かない。

  「ねえ貴方、私と手を組む気はないかしら?」
 「……はい?」

 予想外の言葉に文がマヌケな声を上げた。
  張り詰めた気が抜けたのか文の纏っていた風が雲散霧消し、雰囲気も険の取れたものになる。

 「え? 話が突然すぎて驚いてしまいましたが、
   貴方と組むことでどんなメリットがあるんですか?」

  「そうね。あのバーサーカーは私の手にも負えないわ。
  自己陶酔バカのアサシンも今回ばかりは駄目そうだしね。もう時間の問題。
  だけどアサシンではなく貴方と二人ならバーサーカーを倒しうる可能性がある。
  ……それだけで十分じゃないかしら?」

 「ええ、不十分ですね。
  私ならよく知りもしない相手をそこまで買いかぶれません」

 きっぱりと即答する。

 「確かに実力を知らない相手と組む気は私もさらさらないわね。
  貴方のこれまでの闘いを見せてもらったけど、面白いわ。
  ――風を意のままに傅かせる。
  魔術で強制的に従わせているわけでもなく、なるべくしてなってる。
  つまりは貴方自身がそういうモノなのでしょう?」

 「……へえ、よくわかりましたね」

 マスターである俺でも知らなかった情報だった。
  文もそれには素直に感心しているようだ。

 「ふふ、色よい返事を聞かせてくれるといいんだけど」

 キャスターは文だけを見て、マスターである俺の事など存在していないような扱いだ。
  確かに俺のような役立たずの半人前ならその扱いも仕方が無いと思う。
  だけど、もし手を組むとしても知っておかねばならないことが幾つかある。

 「ちょっと待て。今柳洞寺の人たちは大丈夫なのか聞いておきたい」

 話の腰を折られた所為か、キャスターが眉をひそめた。

 「……坊やには何も聞いてないけどね。まぁいいわ、教えてあげる。
  柳洞寺の人間は全員無事よ。私の魔術で今は深く眠っているだけ、死ぬことはないわ」

 もちろんそのまま鵜呑みに出来ないが、手を組もうと言っている相手の言葉だ。
  嘘をついている可能性は低いと考えていいだろう。ひとまずホッとする。
 だが、最大の懸念は未だ残っている。これは絶対に聞かなければならない。

 「……お前のマスターは誰だ?」

 「それは教えられないわね。でも手を組んでくれるのなら考えてあげてもいいわ。
   ……ふふ、案外坊やの身近な人かもしれないわね」

 もういいでしょう、とキャスターは俺との会話を打ちきる。


 「で、アーチャー。貴方の返事の程は?」

 キャスターは僅かだが期待に満ちた様相で少女の返答を待つ。
  文もやけにすっきりとした表情でキャスターを迎えた。

 「考えるまでも無いんですが、――答えはノーです。謹んでお断りします。
  さて、その理由ですが、三つほどあります。どうします?聞きますか?」

 「……参考までに聞かせて貰おうかしら」

 キャスターは一見冷静に見えたが、声に抑揚がない。それが逆に恐ろしい。
  そんなキャスターを挑発するかのように文は左手の人差し指をピンと立てた。

 「まず第一に魔術師にはろくな人物がいません。私の知り合いにも――、
   人の話を聞かないコソ泥、本の虫のヒキコモリ、他人に関心を持たない協調性無し。
  そんなろくでなしばかりです。
  内側に閉じこもるばかりで妖怪の私よりも社会性が欠けています。
  そんなわけで魔術師は性格面に信用がおけません。
  貴方も見るからに胡散臭いですし、仲間である筈のアサシンを簡単に見捨てました」

 二本目を立てる。キャスターは何も応えない。

 「第二にマスターである士郎さんの扱いを蔑ろにしたこと。
  士郎さんは未熟で無鉄砲で尊敬に足るような人物ではありませんが、
  仮にも私のマスターであり居候先の主です。
  我ら天狗は仲間を大切にします。決して蔑ろにしてはいけません」

 三本目を立てる。キャスターは何も応えない。

 「最後にキャスターさんがどう見ても反英霊だということ。
  ……私も運が良いんでしょうか。
  これまでまともに戦ったサーヴァントはライダー、アサシンの二人だけです。
  他のサーヴァントとの闘いは私が逃げ出したか有耶無耶のままに終わっています。
  ですが、貴方となら先の二人と同じ理由で思いっ切り戦えるんですよ」

 そして、一転して小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 「――それにせっかくやる気を出したのに、ただ言われるがままじゃ面白くないとは思わない?」

 そう言い放った。

  ――そこからが速かった。
  咄嗟に文が俺のトレーナーの襟首を無造作に掴む。
  猛スピードで境内の後方へとバックステップで飛び退いた。頸動脈が絞まり意識が飛びかける。

  眼前のキャスターから眩いまでの紫電が走り、
  肉眼で視認できるほどの高出力の大魔術が一工程の詠唱で放れてた。
  馬鹿でかい光線状の魔力の塊が焼き付くさんとこちら目掛け飛来する。

  文も俺を抱えた状態ではとてもじゃないが躱せるような魔術じゃない。
 ……これじゃ役立たずどころか文の足を引っ張ってるだけだ。

 文はブレーキを掛けて着地すると、即座に風の障壁を展開した。
  魔力を伴う風によって編まれた円形状の障壁だ。
  障壁との魔力の奔流が衝突すると弾くように拡散していった。
 だが、それもほんの数秒の間だけ。キャスターの魔力が瞬く間に浸食し、障壁を突き破ろうとした。

 「士郎さん、ごめんなさい!!」
  「え?!」

 首を絞められ咳き込む俺を文が片手で軽々と持ち上げた。再び襟首が食い込み頸動脈が絞まる。
  その状態から180度ターンをすると、力任せに俺をぶん投げた。

 浮遊感なんて生やさしいものじゃない。まるでレールガンの弾頭にでもなった気分だ。
  そんな取るに足らない事を考えているうちに、敷地内の池に頭から飛び込んだ。
 水面に激しく叩き付けられるが、砂利の引かれた地面よりはいくらかましだろう。

 そして、俺という重荷を捨てた文は光線を躱してのけていた。
 対するキャスターも次々と魔術を詠唱し、周囲に浮かぶ魔方陣から十本近くの光線が展開された。
  クソ、あんなのどう見ても一工程で使えるような魔術じゃないぞ。
  更に馬鹿げた事に光線の全てに先程と同じぐらいの威力が込められている。

 文は翼を広げ空へと舞う、そしてキャスターの光線も追随するように追う。
  上空に目掛けて迸る魔力の激しさによって、空が明るく染まる。

  そのふざけた魔術による弾幕も文の機動力の方が僅かに勝っている様に見えた。
  くるり、くるりと紙一重で次々と回避する。運動力学を無視した動きにしかみえない。

  キャスターもより狙いやすくするためか、その身を中空高くへと浮かべた。
  こうやって当たり前のように空を飛ぶ文とキャスターを見てると、現実感が稀薄になっていく気がした。
 俺のような魔術使いには決して立ち入れない世界が蒼月を背景に広がっているのだから。

 こうして、文とキャスターの闘いの幕が切り落とされた――。



 後書き

 キャスターさんは文と組んで思うがまま愛でたいと思ったんだ。
  文の服装と見た目はキャスターの好みでしょうしね。なんという変態!なんという同類!

 2008.6.17


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