「文々。異聞録」 第31話



  キャスターの魔術は考えられないレベルだった。

  現代の魔術師では到達不可能な攻勢魔術。
 自己を高める事に道徳や倫理を置き去りにした魔術師でさえも夢想の領域。

  文に降り注ぐ光弾雨はそんな魔術師の常識の枠からはみ出た大魔術だった。
  一つの光弾に俺自身が保有できる魔力量の三倍強という馬鹿げた出力を秘めている。
  それをこともあろうにキャスターは同時に十発放つ――。
  これこそ魔術師の名を冠するサーヴァントであるキャスターの魔術なのだ。

  しかし文はそれを躱す。信じがたいことに意図も容易く、だ。


 正直に告白しよう――。
  聖杯戦争が始まってから、一週間が経とうとしている。
  その一週間において、眼前の光景が衛宮士郎の最も理解を逸脱したものだった。

 そう思えるほど、彼女の動きはただ事じゃない。
  それは烏天狗の身体能力による常識外れのスピードだけではなく。
  とにかく上手いのだ。寒気がするほど。肌が粟立つほど。
  他と比類しない能力に胡座を掻くことなく、研鑽に研鑽を重ねた究極。

  緩急は勿論、目に捉えられないほどのスピードから、一瞬で停止する。
  万物全ての物体には速度を維持するために慣性という性質が働く。
  ならば、あんな高速飛行からゼロにするなんて事はあってはならないこと。
 仮にあの速度からゼロになる力が働いたら、何であろうとバラバラになりかねない。
  だが、文はそんな常識を置き去りにして何でもないようにやってのけていた。

 再びキャスターの周囲の魔方陣から光弾雨が降り注ぐ。
 文は殺意を持って迫る光弾を針の穴に糸を通すような精密さでかいくぐった。

 初めは紙一重の危うさで躱せているのだと思ったが、実際はそうはない。
  あれはワザとすれ違うようなぎりぎりの距離で回避している。
  最小限の動きで躱すのとは何か違う意図が感じられた。
 あの当たりかねない距離自体に何かしらの意味があるのだろうか。

  しかしそれは端から見ると光弾が文をすり抜けているようにさえ見える。
 もちろんそんなことはなく、躱された光弾は容赦なく砂利引きの地面を吹き飛ばす。
  多数の流れ弾により、境内一帯は爆撃があったように荒れ果てる。
 厳かな風格を漂わしていた柳洞寺の境内は今や爆撃されたかのように様変わりしていた。

  キャスターが攻撃を止めた。これまでが嘘のようにしんと静まり返る。
  度重なる大魔術の行使による魔力切れか、
  それともこれ以上の攻撃は何の戦果も得られない事を悟ったのか。

 文もキャスターと同じ高さにその身を維持し、空中で対峙する。
  彼女たちのおおよその高度は十メートルといったところ。
 地上より遠く離れた上空、人の形をしたものが浮かんで向き合う。
  普通に考えれば酷く滑稽な光景。だがこうして眼前に広がると異常極まりない。

  キャスターはローブを蝙蝠のように広げ、周囲には未だ複数の魔方陣を浮かばせていた。
  その魔方陣の用途は魔術で攻撃するという、それだけのもの。
  簡単に言うとそれは魔術の砲台であり、その発射口は対峙する少女に向けられている。

  文はまるで地上に立つかのように上空で静止している。その態度は余裕そのもの。
  結局、キャスターの魔術はただの一発さえ擦ることもなかった。防御も俺を抱えていた時の一回だけ。

 ……戦闘の直中に身を置く者が決して考えてはいけない事が脳裏を過ぎる。
  それは文の力を過信しているわけでもないし、当然キャスターを過小評価しているわけでもない。
  だけれどもこう確信してしまう。――キャスターの魔術は決して文に当たることはない、と。

 「火力は大したもの。だけど、それも当たらなければものの数ではないわね。
   とにかく弾幕が直線的過ぎる。あれなら命中する直前にちょっとだけ避ければ当たらないわ。
  愚直なまでに真っ直ぐ狙うだなんて本当に愚かしい。なんでも弾幕はブレインらしいわよ?」

 自分の頭を人差し指で二回ノックした。キャスターという人類の叡智を持つ魔術師を挑発するように。
 その横柄な振る舞いに魔女が奥歯を鳴らす。無理もない、この場で異端なのは文だ。

 「ま、大昔に死んでしまった貴方に今の流行を語っても仕方が無いか。
   日進月歩。技術は常に進歩するもの。時代遅れの魔女が弾幕ごっこで勝てるわけもない」

 「戯言を……ッ」

 声は微かに震えており、俺でもキャスターが冷静を装っているのがわかる。

 「で、もう来ないの? ま、いくら来ても無駄も無駄だけど。
   ――――では、ここらで攻守交代といきましょうか!」

 文が大股を開いて葉団扇を横一文字に一振りする。

 風が圧縮されてることで三日月状の刃を作り、対象を両断する空気のカッターを形成。
  ただ真っ直ぐに放たれたれるのではなく、波のような弧を描きキャスターを狙う。

 キャスターは縦横無尽に空を駆けた文と違い、その場所から微動だにしない。
  結果、瞬きする間もなくキャスターへと命中。破裂するような音が境内に木霊する。

  魔術師のサーヴァントたるキャスターだ。何もせずに棒立ちなはずがない。
  そしてやはりと言うべきか、文の風の刃はキャスターの魔術障壁に容易く砕かれた。
 ……いつの間にそんな障壁を展開したのだろうか。
  遠距離戦を得意とするアーチャーと戦闘だ。周到に初めからと考えるのが妥当か。

 「アハハハハ! 何それ?私を馬鹿にでもしてるの?」

 キャスターが攻撃の呆気なさに高々に哄笑する。
  だが、文の風の刃は聖杯戦争初日にバーサーカーを不意打ちとはいえ、蹌踉めかせたもの。
 風の力に魔力も加わり、相当な破壊力が込められているはず。

 「んー。また駄目か。流石にこう何度も続くと自信を無くしますね」

 文ががっくりと項垂れるようなポーズを取る。顔は相変わらず薄い笑みを絶やさないが。

 「この程度の攻撃なんか、一発や二発増えようがなんでもないわ。
   アーチャーのサーヴァントだというのにこの程度だなんて実にお粗末なものね」

 キャスターが先程と打って変わって饒舌になる。

 「どう?今ならまだ許してあげるわ。
  さっきの言葉を撤回して、私の仲間になりなさい。
  もちろん、無理矢理というのも結構嫌いじゃないのよ。
  貴方みたいなはねっかえりを強制的に服従させるのも悪くないわ。
  今ならそんな事をしなくても許してあげると言ってるの。
  素直に従うのが身のためじゃないかしら?」

  キャスターが怪しく唇を舐めた。フードに隠れた双眸が瑞々しい肢体をなぞる。
  その視線に反応するように失意に俯いていた少女が顔を上げニッコリと笑った。

 「願い下げです。この年増」

 ……うわあ。
  回答は何となく予想が出来ていたが、まさかこうもきっぱりと拒否するとは思わなかった。
 ついでに禁句っぽいことも言っちゃっている。
  しかし、文はなんて気持ちのいい笑顔で言ってのけるんだろう。
  ここまでのスカッとした表情の彼女は初めて見たかもしれない。

  「…………な、なんですって!!」

 僅かな間を置き事態を飲み込んだキャスターが激昂した。
  やはりというかその発言は禁句だったのだろうか。
 方や文はがらりと態度を変えて冷静さを取り戻す。その瞳はキャスターだけを直視する。

 「――じゃあ、貴方のリクエスト通りにその一発や二発を増やしてあげる」

 文が意味深な言葉を吐く。

 突如、文を中心に魔方陣が現れた。大きな五芒星の描かれた簡易な陣。
  赤い不思議な光を灯しており、威圧感はさほど感じられない。

 状況の変化にキャスターも冷静さを取り戻し、分析を始める。

  単純な魔方陣だ。だからこそその用途は無限にある。
  だが、文の言葉と符合させるとおそらくこの魔方陣の正体は――。

  少女が、魔方陣の上で踊るように、ふわりと身を翻した。
  文の黒い翼が闇へと溶け、幻想的なまでに壮麗な見目姿を晒す。

  ――そして、夜が爆ぜた。


 ――――――――――


 視界を埋め尽くすのは魔力を迸らせ光る赤と青の弾、弾、弾、弾。
  圧倒的にそして理不尽なまでに一分の隙間も遺さずに二色の光弾が闇夜を染める。

 数えることも馬鹿らしい。それどころか今も魔方陣から次々に生み出される。
  今はまだ空中にピタリと静止しているが、それも文の匙加減だろう。

  彼女が「弾幕」という言葉を度々口にしていたのを思い出す。
  そう、まさにこれは「弾幕」だ。それ以外にどう表現しようとしっくりと来ない。
  そんな完膚無きまでの弾幕による世界――。

  これにはキャスターもぐうの音も出ないのか、押し黙っている。

  文が口の端を嫌らしく吊り上げた。
  それと同時に空中に静止していた弾幕がキャスターを睨む。
  そして、その時を待ったかのように、弾幕が意志を持ちキャスターに襲いかかった。

 スピードは目で追える程度のもの。それでも数が尋常じゃない。
  弾幕の動きは不規則ではなく、まるで軍隊の行進のように規律を守っている。
  夜空に奇妙で美しい幾何学模様を描く。
 弾幕はキャスターだけを狙ってはいない。360度ありとあらゆる方角に飛んでいた。
 その半分は事もあろうが、何もない文の後方にも飛散していた。

 第一陣がキャスターの魔術障壁に着弾。ドンドンと弾けるような音を繰り返す。
  だが、魔術障壁はびくともしなかった。一発一発にそう大した威力は込められていないようだ。

 「ふふ。弾幕をそうやって防ぐのは幻想郷では無法なんですけど、ねッ!」

  言葉と共に葉団扇を力一杯に振う。
  扇より放たれるのはリング状の弾幕。複数の光弾が数珠つなぎになっている。
  たった一振りで5つ。更に回転を加えてキャスターを襲う。速度も今までよりも速い。

 リングの弾幕がキャスターの障壁と衝突した。
  その弾幕は今までよりも重く、なによりも今までよりもしつこい。
  接触しても先程のように砕け散ることなく、まるで電動丸鋸のように障壁を切り裂かんとする。
  同時に別の弾幕も着弾し、障壁にダメージを蓄積させているようだ。
  最高峰の魔術師の張った魔術障壁とはいえ、徐々にだが悲鳴を上げているのがわかる。
  このままだと崩壊も時間の問題だろう。
  そんな壁一枚に守られるキャスターのストレスは相当なものに違いない。
  キャスターの魔術障壁に比べ、文の弾幕は理不尽なまでに圧倒的だ。

  キャスターが咄嗟に障壁に魔力を込めて、より強靱なものとする。
  途端、リング状の弾幕がキャスターに届くことなく悉く砕かれた。だからといって安心は出来ない。
  弾幕は未だ止まずにいるし、前面の魔術障壁を強化した所為か、それ以外の守りが手薄になる。

 「くっ、アーチャーはどこ!?」

 気付くとキャスターの前方にいたはずの文の姿が消えていた。
  視界全てを弾幕に奪われていた為、見失ってしまったのだろう。

 キャスターが周囲をきょろきょろと散漫とした様子で見渡す。だが、文の姿はどこにもない。

 「貴方の上ですよ」

 文の凛とした声にキャスターが反射的に上を見上げた。
  キャスターが文の姿を視界に入れた瞬間、妖艶な容顔に振り下ろされた踵が刺さる。
  何かを砕くような鈍い音。

 その衝撃にキャスターの浮遊の魔術が解け、力なく落下する。
  意識が飛んでいるのか受け身を取らずに荒れ果てた地面の上に呆気なく落ちた。

  文もそんなキャスターを追うようにふわりと着地する。

 「普通、敵の言葉に耳を傾けて上を向きますかね。阿呆なんですか?」

 足下に俯せに倒れているキャスターを少女が見下ろす。その顔は嗜虐に歪んでいた。
  ……文はキャスターを見下ろして見下しているのだ。
  こうして絶対的に有利な立場にいても追撃することもなく、淡々と話し掛け相手を精神を逆撫でする。

 「本当は弾幕中に肉弾戦を仕掛けるのは好きじゃないんですけどね。まぁ無法には無法ということで」

 キャスターはぴくりとも動かない。文の踵落としを喰らい意識を失っているのだろう。

 文が倒れ伏せ無反応なキャスターから目を離し俺のいる方角を向いた。
  俺と視線が合うとさっきまでの嗜虐的な顔とは全く逆のニコニコとした笑みを浮かべる。

 ……敵意を微塵も向けられていないのに、そこで俺は怖じ気づいてしまった。
 ――ああ、今になって初めて気付いた。

  射命丸文という烏天狗の少女は幾つもの顔を持つ。
  含んだものが何一つない見た目通りの少女の顔と、他者を見下したような冷酷で狡猾な妖怪の顔。
  後者の顔も彼女の隠された一面ではなく、それぞれの顔が常に隣り合っている。

  いつか学園の屋上で文につまらないものを見るような目で見られたのを思い出す。
  あれは何かの嘘だと思った。いや、そう思い込もうとしていた。
  だが、それこそが間違い。彼女はそんな単純で生やさしいものではない。

  彼女は自分の物差しで相手を測り、その相手によって接し方を露骨に変える。
  興味のあるもの興味のないもの、強いもの弱いもの。
 例外として新聞記者の顔を見せる時は誰にも真摯な態度を取るのだろう。

  あの時、屋上で俺に見せた顔は記者としてではなく、ふとした拍子に見せた彼女自身の本当の顔だった。
  今はどうかわからないが、あの時の俺にはあんな乾いた目で見られるだけの対象でしか無かったのだ。

 時折彼女に対して感じる恐怖の片鱗を僅かにだが理解できた。


 「地上には弾幕が飛ばないようにしましたけど、流れ弾とか飛んできませんでしたかー?」

 離れた場所にいる俺に対し、境内に響き渡るような声を出す。
 文に倣って大声で返事をする気になれなかったので、首肯をして無事を伝える。

 「それは良かったですー。
   自分で投げといてなんですけど、そろそろ池から上がったらどうですかー?
  こんな寒い季節なんですから、風邪を引きますよ−?」

 文が両手をぶんぶんと振る。
  目の前の出来事にすっかり目を奪われており、自分の状況を把握していなかった。
  冷水に浸かっていたことにより、手は悴み、足の感覚は既に無い。

 言われたとおり、池から上がろうとする……、
  文の足下で倒れているキャスターがもぞりと動いた。
  少女は今もこちらに向かって大きく手を振っており、気付いた様子はない。

 「文!!」

  キャスターの右手には歪な刀身をした短剣が握られている――。
  背中に寒さとは違うゾクリとした悪寒が走った。
 あんな形状の武器に殺傷能力があるとはとても思えないが、衛宮士郎の根っこの部分が警鐘を鳴らす。

 ――あれは、マズイものだと。

 だが、文はそれに気付かない。
  おごり高ぶる天狗の少女は人類の守護者たるサーヴァントをあまりにも軽んじていた。
  そして、キャスターが歪な短剣を振るう。




 後書き

 この射命丸文は文花帖のEXレベルをクリアしています。
  新難関「金閣寺の一枚天井」もクリアしました。多分。

 全然別の話ですが、後書きまでに空行があった方がいいですかね。
  頭の悪い後書きがシリアスな本文に続くように書かれていたら興が冷めかねないでしょうし。
  本文にも言えることだけど、イマイチ空行が使いこなせない……。

 2008.6.27



 今日のNGシーン

  とにかく上手いのだ。寒気がするほど。肌が粟立つほど。
  2月という真冬に池に投げ込まれてずぶ濡れだからではない。決してない。くちゅん。


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