「文々。異聞録」 第36話




 「デジカメほしいなー」

 烏天狗の少女、射命丸文はそれだけを繰り返すオウムだった。
  無言で街道を歩く俺の周囲をグルグルと回って同じ事を言っている。

  肺の空気を残さず吐き出すような重い溜息をつく。
 やはり、家電量販店に寄ったのがまずかったと今更ながらに思った。

  初めのうちは洗濯機や冷蔵庫などの家電コーナーで少々大げさに驚いていた彼女だったが、
 ふと目を離した隙にデジカメコーナーへと足を運んでいた。
  そこでデジカメの接客を受けていたのだ。
  その時の瞳はまさにショーウィンドウで隔てられたトランペットを眺める子供如く輝いていた。
 カメラを常に携帯している文だ。興味がないはずはない。
  しかもよりにもよって接客を受けているのは最新のデジタル一眼レフ。
  レンズなどのオプションが込みだとウン十万はする代物だ。

  ブン屋というインタビュアーも兼ねた職業柄か聞き上手らしく、店員の接客も熱が入っている。
  自分のアナログカメラと比較を入れた説明までもされている。
  ……正直なところ彼女の居候先の家主としてはあまり気が気でない光景だ。

  そして案の定接客が終わった後、文が目を輝かせてこちらに走ってきたのは特筆するまでもない。
  手持ちがないという理由で、なんとか文を引きずるようにして店の外に出ることに成功。
 あのまま店にいたらショッピングクレジットを組まれかねない。学生なので審査は通らないだろうけど。

  そうして、今に至るわけだ。

 「あんなの買っても幻想郷じゃ機材もないし印刷もできないだろ」

 俺たちは今、海浜公園方面に向かっている。
  冬木を深山と新都に二分する未遠川からほど近い場所であり、
  周囲には何かと遊戯施設があるので遊ぶにはもってこいの場所だ。

 「そこは山に住む技術者である河童たちになんとかしてもらいます。いえ、むしろさせます。
   あのデジタルカメラなるものはそれだけの衝撃でした」

 河童たちが哀れでならない。彼らは文に何か弱みでも握られているのだろうか。

 「駄目だ。俺としても買ってやりたいけど、
  流石にあの値段はちょっと学生の身分である俺にはかなりキツい」

 切嗣が遺した遺産を切り崩せば何とかなるだろうが、あの金にはなるべく手をつけたくない。
  できるならば自分がバイトで貯めた金でなんとかしてやりたいが、
  オプションなどを含めるとなんとかなるような値段ではなかった。少し歯痒い。

 文はまだまだ食い下がる。

 「私は今日この世界に来た目的をようやく見つけました。それはデジカメを手に入れる事です。
  その為なら清く正しく使うと決めたこの手を汚しても構わない所存。
  それにほら、どうせ異世界ですしね。ここは立つ鳥跡を濁す精神で行きましょうか!」

 ………………あー、どうしよう。
  ついにはこの世界に来た目的がデジカメの為だと言い切りました。
  しかも犯罪行為まで仄めかす発言までも。

  というか、聖杯戦争は?新聞のネタは?
  アサシンの前で「この世界の妖怪の生きた証を残す」と格好良く宣言していた気がしたけど、
  あれはどこまで本気だったんだろうか。
  聖杯戦争のサーヴァントを全て倒すと豪語していた畏れ尊ばれる天狗の姿はここにはない。
  考えてみれば、その発言の直後にアサシン、ランサー、キャスターが文以外の手によって倒されれたし、
  そこについてはどうなんだろう。もう何が何だか判らなくなってきた。

 そんな俺の気持ちも露知らず、ケタケタと笑う文。その目はどこまでも本気だった。
  この場は深く考えない方が精神衛生上良いかもしれない。何か別の事を考えよう。

 ……そう言えば文がここを度々「異世界」と呼んでいるのに前から気になっていた。
 いつだったか、この世界が幻想郷の外の世界ではなく、全く別の世界であると言及していた。
  だとするとどうやって彼女はその事実を知り得たのだろうか。

 話題を転換させるために訊いてみよう。
  それにこのことは、前々から気になっていたことでもある。

 「話が変わるけど、どうしてここが幻想郷の外ではなくて異世界と気付いたんだ?」

 「ん? 随分といきなりですね。あ、でも説明していませんでしたね。
  その事は自分の中で完結していたので、すっかり忘れてました。
  ちょっと理解しがたい部分もあるかもしれませんが、それでよければ話しますけど」

 「ああ、頼む」

 「ええ、わかりました。それでは……」

 そう言ってわざとらしくコホンと咳払いをする。

 「まず、この世界から来たときから既に違和感がありました。
  肌に感じる空気というか気配というか、そういったものの類ですね。
  話す言葉も空に浮かぶ星や月の並びも同じだというのに、感じる空気はどこか違う。
  外と言っても元々私の住んでいた世界です。たかだか百年程度でここまでかわるものなのかと。
  ……まぁこれは感覚的なものなので分かり難いと思います」

 確かにその説明だといまいちピンと来ない。
  そう言った感覚を言葉にするのは難しいだろうし、理論的な説明は不可能だ。

 ……軽く聞き流してしまいそうになったが、今この少女は百年をたかだかと言ってなかったか?
  達観した物腰から見た目通りの年齢ではないと思ったが、まさかそれは百年単位の話なんだろうか。
  それならばこのあどけなさを残す少女は一体何歳なんだ……?
  今は話の腰を折るので聞けないし、それ以前に聞いてはいけない気もする。

  そんな思考のよそに文の話は続いていた。

 「それは幻想の無くなった世界だからと無理矢理に納得しようとしましたが、
   それでも違和感をぬぐい去ることが出来ませんでした。
  そして、これから話すことが決定的な証拠です。
  この世界に住むカラスからの情報なので私自身は裏を取ってませんが、ほぼ間違いないでしょう」

 その勿体つける口調を考えるに、これから話すことが本番だと示唆している。
  ついでに文はカラスと意思疎通が取れることにも驚いた。烏天狗だからなのだろか。

 一拍ためて言葉を吐き出した。

 「それはこの世界に諏訪大社があることです」

 ……諏訪大社がある? 

  その予想外の言に暫し唖然とする。  
  諏訪大社というと信濃国一之宮として信仰されている長野県の有名な神社だろうか。
  確か全国に一万にも及ぶ分社があるとされていたと思う。
  十メートルを超す御柱を急な斜面から落とす御柱祭があまりにも有名だ。

 「その諏訪大社に祀られている二柱の神と一人の風祝が、
  外の世界で失った信仰を求めて諏訪湖ごと幻想入りをされました。
  神は人々の信仰を集めなければその御身を維持できないのです。
  ならば外の世界には諏訪大社は無い筈。だというのにこの世界には未だ実在している。
   幻想入りは曖昧なところもあるので、神を失った神社が形骸的に残っているだけかもしれません。
  ……蛇足ですが、幻想郷では諏訪大社ではなく、守矢神社と呼ばれてますけどね」

 文の口調がいつも以上に饒舌だ。
  やはりジャーナリストだけあって情報を伝えることに人並みならぬ関心があるのが窺い知れる。

 「ですが、ここで神と共に移り住んだ風祝が重要になります。
  その彼女こそがここが異世界であることの証明となる鍵となりました。
  私っもよく知るその風祝の少女の名は『東風谷早苗』と言います。
  そして、この世界にも驚いた事に『守矢早苗』なる人物が、守矢家の現頭首として実在している。
   幾らなんでもこうも関連した人物が二人いることは考えにくい。これが決定的でしたね。
  ……以上の事から、私はここは幻想郷の外ではなく、
  似て非なる世界に迷い込んでしまったと考えるのが正しいでしょう」

 確かにそれだけの物的証拠と状況証拠が重なれば、そう思うのが当然だろう。

 「それと私をこの世界に送り込んだ魔女も異世界に飛ぶかもしれないと言ってました。
  ……まさか本当にそうなるとは思っても見なかったです。あのモヤシめ」

 最後に特定の人物を軽く罵って話を閉めた。

 「へえ。でも俺はその魔女に感謝しているけどな」

 その魔女というのは夢で見たあの眠たそうな目をした少女の事だろう。

 「なんでです?」

 「だって、その魔女がいなきゃ文に会えなかったってことだろ。
   俺は文に会えて良かったと思ってる。
  だったら、そのきっかけを作ってくれた魔女にお礼を言いたい」

  文が一瞬だけ目を見張った。

 「…………貴方は本当に天然のすけこましですね」

  「? なんか言ったか?」

 文にしては珍しく歯切れの悪い言葉だったのでうまく聞き取れない。

  「べつに〜。なんでもないですよ〜」

 文が呆れ顔をしていた。
  何か変なことでも言ったのだろうか?……まぁいい。
  話もなんだかんだで二転三転としたし、これでデジカメの事を忘れてくれると助かる。

 「で、今はそんなことよりもデジカメなんですが……」

 覚えてました。


 ――――――――――


 程なくして海浜公園に到着した。

  冬木大橋が見える場所に位置しているので、ここからなら帰りは歩きでもいいだろう。
  当初の予定ではデパートに足を運ぶ予定だったが、文にこれ以上欲しい物が出来ると困るので中止。

 公園の最寄りにあるバッティングセンターに入る。平日だけあって客は殆どいない。
 穂群原学園の生徒でこうやって遊び歩いているのは俺たちだけではないだろうか。

 「文は野球を知ってるか? 集団でやるスポーツなんだけどさ」

 「ヤキュウ? うーん、聞いたことがあるようなないような。
   ……でも団体競技ならサッカーを知ってますよ。こう見えて私も大得意です」

 「へえ、サッカーなんか知っているのか」

 これはかなり意外だ。
  どうも野球は詳しく知らないようだが、サッカーは知っているとは。しかも経験者という談だ。
  俺もサッカーはあまり得意ではなかいが、共通の話題が出来たようで少し嬉しい。

  だけど、彼女のような身体能力の選手が集まって試合が成立するのだろうか。
  そもそもサッカーボールが彼女の非常識な脚力に耐えうるのか。
  ……まぁそれは野暮な考えだろうけど。スポーツは道具さえあれば誰もが平等に遊べるものだ。

 「観客席まで焼き尽くす強力な魔砲をボールにたたき込んで放つ強力なシュートや、
   フィールドを二つに割ったりされると相手が例え敵だとしても心が躍りますねー」

 …………どうやら俺の知るサッカーとは根本的に別物ものらしい。
  なら彼女の身体能力を駆使すればこの世のものとは思えない光景が見られるだろう。

 「そうそう、いつだったか永琳さんが人工衛……」

 嬉々として文の話すサッカー(?)談義を
  聞いていると常識が非常識に塗り潰されてしまう。その前にさっさと野球道具の準備をしよう。

  まずはお手本として俺が打席に立つ。

 「あの機械からこぶし大ぐらいの球が飛んでくるから、それをこの棒で打ち返すんだ」
  「ほうほう」

 そして、ピッチングマシンから投球されるストレートを打ち返す。速度は130キロ。
  球種が判ればなんてことのない球だ。それに人の投げる球に比べて癖の少ない分、かなり打ちやすい。
  そのまま続けて10球ほど打ち返した。
  10球のうち8本はヒット性の当たり。久しぶりにしてはそう悪くないだろう。

 「じゃあ文の番だ」
 「同じ事をやればいいんですね。任せてください」

 ネット裏に戻って文にバットとヘルメットを渡す。

 「ペンより重い物は持ったことがないので心配でしたが。
  ふむ、このバッドという棒は意外と軽いんですね。中身が空洞みたい」

 浪人回しの要領でくるくると金属バットを回す。流石だ。
  そのまま勢いよくヘルメットが被るが、大きすぎて顔が埋まってしまった。
  よたよたと千鳥足で打席へ歩く姿に愛くるしさを感じたが、慌てて女性サイズの赤いメットを渡した。

 「もう。あと少しで心眼に目覚めそうでしたよ」
 「悪い。俺の奴じゃ少し大きかったか」
 「フフフ。では士郎さんはそこで見ててください」

 気を取り直して打席に立つ。そして2〜3回、見よう見まねで素振りをした。
  ……予想はしていたが、バッドどころか腕すら見えない。人気がなくて良かったと本当に思う。

 「じゃあいつでもどうぞ」

 バッドを頭上高くにブンブンと振りながら構えた。どこの大リーガーだ。
 メットの影に隠れて少し見えにくいが、文の赤い目が鈍く光ったような気がした。
  全身に言いようのない悪寒が走る。…………これはまずい予感がする。

 感情のないピッチングマシンはそんな空気を読み取れる筈もなく、無情にも一球目を放った。
  外角低めの直球。設定は俺のと一緒だ。
 キャスターの魔術を躱しきった彼女にとって130キロ程度の球だったら止まって見えるだろう。

 バシャアと今まで聞いたことのない炸裂音。

  ――突然だが、文は奇抜な発言が多い。
  だがその殆どがからかい混じりの冗談で、反社会的な行動を起こすことはただの一度もない。
  その優れた頭脳と情報収集能力で、現代社会に則ったルールのおおよそは理解している。
  ただ本人が極めて剛胆な性格をしているので、周囲を意に介さずに変な行動を取ることが少なくない。
  そんな大事なことをたった今まで忘れていた。

 ………………。

 あー。バッティングセンターは楽しかったなー。
  うん、楽しかった。もう最高だった。二度と行きたくないけど。

 「まさかあんなとこやあんなところから煙が出るとは思いませんでした」

 「……ああ、本当だな。俺もアレから煙が出るなんて初めて知った」

  …………潮を含んだ風が気持ちいい。
  海に近いだけあって塩気のある匂いだ。ああ、もう海に還りたい。

 「ドンマイです。士郎さん」

 そう言って、親指を立てる文の笑顔が目に染みるほど眩しかった。


 喫茶店で軽食を取った頃、夜の帳がゆっくりと下りていた。
  時刻はまだ五時に差し掛かったばかり。二月だけあって日没が早い。
 これから先は彼女たちサーヴァントの時間だ。そして、今夜イリヤとの決着が付く。
  遊びほうけていた所為であまり実感が沸かないが、その時は刻一刻と迫っているのは間違いない。

 「これからどうする? うちに戻ってイリヤが来るのを待つか?」

 イリヤは何があっても俺たちを殺しに来る。
  「殺しに来る」と言っていたのだ。歪んではいるが、その約束を違えることはないだろう。

 「それについてはちょっと考えていたことがあります。いいですか?」

 …………驚いた。俺は文に今後の方針を尋ねることは何度かあったが、
  これまで全てを任せるという形で俺の行き当たりばったりの案に乗ってくれた。

 つまり聖杯戦争に自分から意見を述べたのは今回が初めて。
 彼女のモチベーションがいつも以上に高いのか、
  それともバーサーカーはそれだけ油断のならない相手だと言うことか。
 口許を固く結んでおり、そこには薄く浮かべた笑みはない。おそらくは後者だ。

 「ああ、文の案を教えて欲しい」

 俺の言葉に文は首肯をする。

 「相手はあのバーサーカー、守りに入ったら確実に負けます。
   だったらここは相手の逆手を取るべきです。何も素直に待ってやることはありません。
  ――こちらからイリヤさんの拠点に攻め込み、虚を突いてやろうじゃないですか」






 後書き

 射命丸文にデジカメ。
 二次界隈で使い古されたネタですが、どうしてもやってみたかった。反省はしている。

  そして、幻想郷でサッカーが流行ったのは意外とオフィシャル。

 2008.8.26


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