「文々。異聞録」 第44話
文の葉団扇から放たれた風の刃が疾走するセイバーに襲いかかる。 その距離はおおよそ2間弱。幾らセイバーといえども、容易に回避のできる距離ではない。 だが、迫り来る疾風に、セイバーは受けることも避けることもしなかった。 それどころか、身を低くして尚も速度を上げてみせる。 一瞬の閃光と、弾けるような炸裂音が響く。セイバーと風が衝突した。 文は間合いを詰めようとはせず、弧を描くステップでセイバーと一定の距離を堅持する。 誰の目から見ても追撃のチャンスだったが、彼女は事の次第を見守るように静観していた。 ……文のその判断は正しかったのだろう。 セイバーは刀剣よりも重く、鋭利な風をまともに喰らいながらも傷を負ってなかった。 怯むこともなく、まるで物ともしない。 再び魔力を全身に滾らせると、文の元へ直線的に駆け出し、不可視の両手剣を肩へ担ぐ。 己の間合いに踏み込むやいなや、袈裟斬りによる一閃。 才能に胡座をかくことなく、限界まで磨き上げられた剣技が文を肩口から両断せんとする。 文はセイバーの剣に狼狽える様子もなく、体の軸を九十度捻ることで斬撃を回避。 その回転の勢いを利用して、大胆にもセイバーの頭部を狙った上段回し蹴りを放つ。 「シッ!」 セイバーは手早く剣を片手に持ち直すと、腕の装具で回し蹴りを受け止める。 だが、直後セイバーの体が僅かに浮いた。文の脚力に押されたのだ。 「な……ッ!?」 セイバーが驚くのも無理はない。 文の小柄な体でここまで強力な蹴りが放たれるとは想像だにしていなかっただろう。 そして、心地良い風切り音を立て、セイバーの体ごと文の回し蹴りが振り抜かれた。 常識外の俊敏性を持つ文の脚力。セイバーであっても片手で支えられるものではない。 セイバーの体は勢いよく蹴り飛ばされるも、直ぐさま片手を地面に付け、引きずることで勢いを殺す。 地面をメートル単位で削りながらも、勢いを止め、今度は右脇構えを取った。 その間、文は毛先にしたたる雫を鬱陶しそうに払うだけ。雨の止む気配は未だなかった。 「もしかして私の風、レジストされた?」 濡れた前髪を弄りながら、軽い口調でセイバーに疑問を投げる。 「…………」 「おやおや、だんまりですか」 セイバーは答えない。文の隙を狙おうと摺り足で少しずつだが、確実に前進する。 再度7メートル程度の間合いを取ると、脚部を僅かに屈めると矢の如く弾け飛んだ。 「だったら本当に効かないかどうか、これで見極めさせてもらうわ!」 そう言って、葉団扇の一振りで放たれる3つの風の刃。 その半月状の刃は初撃に比べると遅いように見えたが、この短距離では間違いなく脅威となる。 しかし、複数の刃に相対しても、セイバーは障害と認識していないかのように突き進む。 時間差をつけて、次々と衝突する風の刃。 それはセイバーに対して儚く霧散する結果となり、足止めにもならなかった。 悪い想像は現実になる。文の弾幕はセイバーの持つ対魔力によって、ことごとくキャンセルされていた。 「う、この程度の出力じゃまるで駄目ね。……まったく。これじゃバーサーカーと同じじゃない」 少女は自嘲を浮かべる。ただ、その歪んだ表情はどこか嬉しそうにも見えた。 次の瞬間には剣は文の首を刈ろうと薙ぎ払われ、たった今まで弄っていた髪がぱらぱらと舞う。 斬撃は尚も続く。剣舞は風を斬り、雨雫をも斬る。 その究極とも呼べる剣技を持ってしても、セイバーの剣は風を操る烏天狗には届かない。 一刀一足の間合いから繰り出される不可視の剣、文は紙一重で見切り、躱し続けている。 文はセイバーの剣を受ける術を持ち得ない為、躱すことしかできない。 伝説の英雄である騎士王の聖剣だ。たった一度でも喰らえば、それだけで致命傷となるだろう。 その不利な状況下でも、この攻防を見る限りは何の問題もないようにも見えた。 俺も遠坂も固唾を呑んで彼女たちを見守ることしかできなかった。 とても俺たちの介入できるレベルの闘いではない。 …………。 セイバーは突然、これまで以上に大きく踏み込むと体当たりを繰り出した。 文がセイバーに対して決め手に欠けていると踏んだのか、考えられないほど大胆な行動だ。 流石の文もこれは予測ができなかったようで、まともに受けてしまう。 無理な姿勢でのタックルだったのが幸いして文にダメージはないが、小柄な体型と奇形とも言える靴だ。 如何にボディバランスが優れようと、衝撃によって足を取られてしまうのは避けようもない。 文は後ずさるようにして転倒し、泥水が大袈裟に跳ねた。 体勢を立て直したセイバーは仰臥する文の左胸に目掛けて剣を突き立てる。 覆い被さるようにして体重を掛けた刺突。――ドン、と鈍い音。 「文!!」 俺の声は風雨に飲まれて掻き消えてしまう。 ……妖怪といえども英雄の聖剣によって心臓を貫かれてしまっては無事で済むはずがない。 だが、どこかセイバーの様子がおかしい。冷徹に徹していた表情に驚きを滲ませている。 「……一体、何が」 心臓を完全に捉えたと思われた剣の鋒は脇腹の肉を掠め、地面に深く突き刺さっていた。 あの時、文は何の回避行動も見せなかったはず。剣が不自然に文の心臓を逸れたとしか思えない。 「はい、残念でした」 文は意地の悪い軽口を叩くと、覆い被さるセイバーを靴底の一本歯で蹴り上げた。 上空に打ち上げられるセイバー。 文は跳ねるように起き上がり、胸元のポケットから一枚のスペルカードを取り出す。 スペルカード。彼女の得意とする技の書かれたカードだ。 「このスペルは今までの風とはひと味違うわよ。精々覚悟しなさい」 ――旋符「紅葉扇風」 そのカード宣言の直後、文は天高く葉団扇を振り上げた。 信じられないことに、乱層雲にまで伸びるほどの巨大な竜巻が一瞬で発生した。 そして、竜巻が意思を持つかのようにセイバーを飲み込もうと襲いかかる。 文のような特殊なサーヴァントではない限り、誰であろうと空中では無防備を晒してしまう。 セイバーは体を捻り避けようとするが、その健闘は虚しく終わり、瞬く間に飲み込まれてしまった。 「セイバー!」 セイバーに遠坂の呼ぶ声は届きようもない。 遠坂はセイバーから文に視線を向けると、狙い定めるように指を差す。 彼女の指先から凝縮された黒い魔力の塊が放たれた。 ……あれは確か、北欧のルーン魔術の一つである『ガンド撃ち』と呼ばれるものだ。 ガンドを喰らうと風邪を引くなどの体調不良を引き起こすとされているが、 遠坂のガンドは一般的に言われているものと魔力の密度が桁違いなまでに違う。 次々と指先から放たれるガンドはまるで機銃掃射さながらの威力を持っていた。 あんなのをまともに喰らえば風邪なんかでは、とてもじゃないが済まされないだろう。 ……だが、その程度のものが文の問題になるはずもなかった。 一瞥すら与えずに少女はガンドを躱す。 振り向き様に遠坂に向かって葉団扇を扇ぐと、公園の芝生が暴風によって引き抜かれた。 「きゃ……!」 あまりの風圧に遠坂は短い悲鳴を上げ、地面に臀部を強かに打ち付ける。 そんな遠坂に文はあたかもつまらないものを見る目付きで見下ろした。 「子供が出過ぎた火遊びをしていると、悪い妖怪に攫われちゃうわよ?」 発された声色はどこまでも冷たい。暗に『次はない』と仄めかしているようだった。 遠坂は恨めしそうに睨むが、文は蚊ほども意に介さずに再び竜巻を眺める。 …………。 暫くして、竜巻の勢力が突如弱まった。 中心部に飲まれたセイバーが渦を強引に断ち斬り、その姿を露わにする。 「舐めるなァァッ!!」 彼女の体には旋風による擦過傷は無数にあったが、どれも致命傷とは思えない。 流石に無傷ではないが、雨雲の天蓋にも大穴を開ける竜巻だ。 それがあの程度のダメージで済むなんて、にわかには信じがたかった。 これも最良と謳われるセイバーの実力なのだろうか。 セイバーは剣を持ち替えて真下に向けると、文に向けて落下する。 だが、セイバーが文へと到達するまでに寸刻は掛かるだろう。 常人ならともかく、文にしてみたら十分すぎるほどの猶予があるに間違いない。 だというのに文は棒立ちのままで、セイバーの剣から逃れようともしなかった。 余裕の表情で天を仰ぎ見るだけで、何の備えもなくセイバーを待ち構えている。 一体、文は何を考えてると言うのだろうか。 そして、文まであと少しというところで剣の軌道が不自然に逸れてしまった。 標的から大きく外れた剣は大地を大きく穿つ。 ……これは当然と言ってもいいものか、文はその場から一歩も動かないでいた。 これまでの様子からしても、セイバーが文に手心を加えているわけではないのはわかる。 ……残る可能性としては、文がセイバーに何かしているぐらいしか考えられない。 セイバーは咄嗟に剣を引き抜き、バックステップで文と距離を取る。 「貴様……! 私の剣に何をした……!?」 「さてさて、なんでしょうかね。種もあるし、仕掛けもあります。 ですが、それを敵の口から聞き出そうとするなんて。……貴方もしかして、馬鹿ですか?」 クスクスと声に上げて笑う。 セイバーは見下すような嘲笑に堪えるように剣の柄を強く握り、対峙する文を睥睨する。 ……そういう文もセイバーに『自分の風が効かないのか』と訊いていたと思うが。 「……おや、呼吸が少しばかり乱れてますよ? もしかして、この程度の挑発で感情を乱されたのかしら? だとしたら、かの騎士王の器もたかが知れますね」 「なん、だと……?」 「セイバー! そんな奴の言葉に耳を貸しちゃ駄目よ!」 そう遠坂は言うが、その言葉はセイバーの耳に届いているか怪しい。 感情の揺らぎで瞳は波打ち、積怒を抑えきれないように剣を持つ手が微かに震えている。 「ふふ。こんなのが王だというんだから、国も滅ぼされて当然かしらね。 ……ああ、貴方を信じた人間たちが可愛そうでならないわ」 そして、そんな禁句とも言える言葉を悪びれることなく告げた。 「貴様ーーァァ!!」 セイバーは憤激の形相を隠すことなく、一足飛びで文に斬り掛かった。 「あやや、怒ってしまいました」 おどける様子でセイバーの上段斬りを難なく躱す。 先の焼き直しのように剣を連続して振るうが、その剣筋にはどこか違和感があった。 大上段から続く逆袈裟、胴斬り、横薙ぎ、上段刺突……。 ……ああ、やっぱりだ。どの技にしてみても、今までのセイバーのものとは比較にならない。 明らかに彼女の剣技はそのキレを失っている。 冷静さを失ったことで精細さを欠いている部分もあるだろうが、これは単純にそれだけではない。 俺のような素人目から見ても、彼女の剣速が目に見えて遅い。 さっきの文の言葉から察するに彼女がセイバーに何かしたと考えてもいいだろう。 それが何なのかはわからないが、今文はあのセイバーを相手にして、これまでにない優位に立っている。 あの程度の攻撃は、文にしてみれば物の数ではない。 現に余裕の笑みすら浮かべて、セイバーの剣を腕を組んだ状態で右へ左へと回避している。 その態度にセイバーは余計怒りを募らせたのか、技がより粗暴なものになっていった。 それでもセイバーの見せる隙はごく僅かだが、文にとってそれは時間の停止にも等しい。 セイバーの剣の届く範囲にも関わらず、文は葉団扇を振り抜いて風を放った。 ただ、その零に近い至近距離での風さえも、セイバーにはただの目眩ましにしかならない。 「ハァァ!!」 その一喝だけで風が消し飛ぶ……、だが、その隙に文はセイバーから大きく離れてみせる。 文はその場所で能力を発動させ、自らを取り巻かせるように風を集める。 旋風がシェルターのように彼女を覆い尽くすと、雨滴すらも弾き、何人も寄せ付けない。 しかしセイバーはそれを見ても躊躇さえもなく、剣を構えて文に目掛け疾走する。 冷静な思考ができないのか、それとも余裕なのか、『取るに足らない』とでも言っているかのようだ。 そんなセイバーを見て満足そうに笑うと、彼女は二枚目となるスペルカードを取り出した。 ――突風「猿田彦の先導」 カード宣言の直後、風の勢いが狂わんばかりに増していく。 そうして、風の弾丸となった文がセイバーという標的に向けて放たれた。 ……速い。そのスピードはまさに弾丸の如く、だ。 風を纏ってなければ彼女の姿を捉えることも適わなかっただろう。 冷静さを欠いたセイバーでさえ、その速度に目を見開いて驚嘆とする。 セイバーは一目見て技の性質を理解したのか、疾走から急停止して防御態勢を取る。 本来は防御ではなく、宝具を使って迎撃したいだろうが、今から開放する余裕はない。 ……そうだった。 セイバーの宝具をバーサーカー戦で二度も目の当たりにした文にしてみたら、 ちょっとした隙でさえも見せるわけにはいかないのだろう。 あのバーサーカーを9回も殺せるエクスカリバーをセイバーは一秒も掛からないで放つことができる。 たった一瞬でも隙を見せたら、立ち所に文はエクスカリバーの餌食になってしまうのだ。 そう考えると、あの挑発も意味があったものだと理解できる。 全てはスペルカード発動の状況を作り出すための、布石だった。 そんな切迫した状況下でも律儀にカード宣言をするのは文なりのプライドなのだろうか。 ――セイバーと文が衝突する。 セイバーは歯を食いしばり、聖剣を胸元に掲げ身を守るも、じりじりと文の風に押されていく。 その僅かな拮抗も無駄に終わり、風の弾丸はセイバーを貫き、飲み込み、喰らい尽くした。 雨音を塗り潰す衝撃が公園一円に広がり、エクスカリバーが弾け飛んだ。
後書き バトルバトル。 バルバルバル! バルバルバルバル! 今回、会話と地の文の比率が1:9でした。 どうも戦闘になると無口になります。推敲前だと95%は地の文だった。 会話が少ないと何かと解りづらいですからね。塩梅的には3:7ぐらいが良いでしょうけど。 2008.11.7