「文々。異聞録」 第46話




 眼下にまで迫る遠坂のガンド。
  俺の胸を穿ち、意識を喪失させるのにコンマ数秒も掛からないだろう。

  身を守る術もなく、避けることもままならない。
 今になって令呪を使えばよかったのだと気付くも、それも間に合わない。

  途轍もない悔恨。
  もう手詰まりなのだと、悟った。

  こうして文を庇いに出た行為も、結局は自己満足に過ぎなかった。
  結局ほんの僅かの間、文の命を長らえさせただけ。


 ひょっとしたら、遠坂たちは文の命までは奪わないのではないか、と。
  そんな考えが過ぎるも、それは極めて惰弱な思考だった。

  彼女たちの聖杯戦争に賭ける意思は紛れもなく本物だ。
  セイバーは口には出さないが、彼女の聖杯に対する渇望は見て取れる。

  聖杯戦争はサーヴァントが残りの一体になるまで終わることはない。 
  ならば、聖杯を手に入れる為には文を倒す必要がどうしてもある。そこに躊躇はないだろう。

 ……それに。
  これまで俺たちはライダーとバーサーカー、二体のサーヴァントの命を奪った。
  殺すということは殺されても構わないということ。それに相違はない。
  「もしかしたら、自分たちだけは」といった、そんな甘えは許されるわけがない。

 そして俺がのうのうと気絶している間、彼女は間違いなく死ぬ。
 遠坂がいくら記憶操作を施そうとも、文を死なせた感情は生涯刻まれることになる。

 正義の味方として衛宮士郎は、その瞬間に折れてしまうだろう。

  沸き立つ激しい悔恨と激情の底。
  激流に任せることもなく、ほの暗い深淵にたゆたう、たった一つの恐怖。

 ――文を死なしてしまう。その得も言われぬ恐怖に震えそうになった。

  ああ、本当に最後まで不甲斐ないマスターだった。ごめんな、文。

 魔力の弾丸が衛宮士郎を貫く。
  だとしても、俺は決して目を逸らさない。これは自分が招いた結果だ。


 ――だが。

 俺の意識を刈り取る前にガンドは消滅した。
  込められた魔力が大気中に四散し、闇に溶け出す。

 その誰もが予想だにしなった事態に、セイバーでさえも逡巡してしまう。

 「一体、何が起こったの……?」

 ガンドを放った張本人の遠坂でさえも事態の把握ができずにいた。
  ならば、これは遠坂の意思は介在していないことになる。

  見えない壁に遮られるように突如ガンドが消滅――。
  今も眼前では雨の雫が何かしらの力の作用によって、不自然に軌道を変えている。

 それを見て理解に至る。

  これは風の力によって張られたシールドだ。
  文がこれと同じものをキャスター戦で使っていたじゃないか。

 一点に翕然した風により、遠坂の魔弾を消したのだ。

 「アーチャー!!」

 恫喝するようなセイバーの語気。
  彼女の視線は俺を貫いて、背後にいる文に浴びせられる。

 「――もう充分ですよ、士郎さん」

 もう二度と聞くことのないと思っていた彼女の声。
  その言葉の直後、体が浮き上がるほどの浮遊感を受ける。

  疾風が俺の脇を抜け、セイバーを狙い撃った。

  しかしこの程度の風ではセイバーの対魔力によって、ものともしないのではないだろうか?
  彼女もまた、その事実を再び体現するかのように避けようともしない。

 「慢心」

 背後からそんな呟き。

 文の風は吸い込まれるようにセイバーを――無視して、アゾット剣を粉々に砕いた。
  狙いはセイバーではなく、彼女の構えた遠坂のアゾット剣。

 砕けた刀身は無惨にも大地に散らばり、残るのはセイバーの握る柄の部分だけ。
  あの状態ではどうやっても、武器として使えはしないだろう。

 「……貴様」

 「受けるじゃなくて、避ければ良かったわね、セイバー。
  クスクス。奇しくも、私と逆の状況じゃない」

 文らしい、いつもの軽口だったが、その程度のことでも胸が熱くなってしまう。
  首だけを後ろに向けると、そこにはニヤニヤと、笑みを浮かべた少女の顔。

 その彼女らしい表情に感極まってしまうも、今はそれどころじゃない。

 「……文、傷は大丈夫なのか?」

 「ほら、この通りなんともありません」

 ブラウスを捲り、夥しい血糊を雨で濡れた手で拭ってみせる。
 彼女の言うとおり、そこには臍の窪みがあるだけで傷の跡形はなかった。

 ……まさか本当に完治したのか?
  幾ら驚異的な再生力を誇る彼女でも、背中まで届く傷がこうも簡単に治るなんて。

 「嘘、みたい。バーサーカーじゃあるまいし、なんてふざけた再生力なの……」

 遠坂も塞がった傷跡を見て、目を見開いて驚く。

 「失礼な、この清く正しい射命丸をあんな筋肉ダルマと一緒にしないでください。
   ……それとも、セイバーの頑丈さをバーサーカーに例えたお返しかしらね、遠坂凛」

 『遠坂凛』と文は初めてフルネームで彼女の名前を呼んだ。
 これまで文は『凛さん』と呼称していたのだ。
  彼女に足を掬われたことで、セイバーと同様に脅威と改めたのだろうか。

 「……やってくれたな、アーチャー。
   貴様のような化け物にはあの程度の一太刀では致命傷にもなり得ぬか」

 「いえいえ。いくら私でも腹にトンネルが開通したら、――まあ、それなりには痛いわね」

 セイバーに貫かれた部分をさすりながら、ふふん、と得意げに鼻を鳴らす。

 「まぁ英霊様の攻撃ですからね。私でも動き回れるようになるには、少し時間が掛かるわ。
   それにしても、大した神秘が内包されていない短剣で助かったわ。
  もしこれが、アーサー王の象徴と言えるエクスカリバーなら、絶命していたかもしれない」

 「ほう、それはいいことを聞かせてもらった。
   ならば次は我が剣で腹とは言わず、貴様の首を斬り落としてくれよう」

 「あやや、ちょっと軽率な発言でしたかね。これで益々拾わせるわけにはいかなくなったわ」

 エクスカリバーは王の帰還を待つように、今も雨に打たれている。

 いくらセイバーでも文を無視して、拾いに行けるような距離ではない。
  遠坂に至ってはもっての他だ。恐らくエクスカリバーに近づいた途端に風で切り刻まれるだろう。

 「士郎さん、ありがとうございます。今回は本当に助かりました。
  ですが、こんな無茶な真似はもう止めて、後ろに下がっていてください」

 今は遠坂とセイバーは俺が文の前にいる為か、今はまだ攻撃に移ろうとしない。

 俺がここを退いたら、再び文とセイバーは戦うことになる。そんな確信めいた予感があった。
  それにあんなことがあった後だ。なんと言われても、俺は文がこれ以上、傷つくのは見たくない。

 「……どうしても、決着を付けなければ駄目なのか」

 決戦の最中、この発言はどうかしているかもしれないが、俺は間違っているとは思わない。
  もしかしたら誰も死なないで、聖杯戦争を終わらせる方法があるのかもしれないのだ。

  ……ライダーの宝具によって学園の生徒が巻き込まれて死んでしまった。
 聖杯戦争とは何の関係のない一般の生徒だった。不条理に11人もの尊い命が奪われた。

  ああ、そうだとも。
  こんな殺し合いは絶対に間違っている。

  だからどうしても、今ここで言っておきたかった。

 「いい加減、空気を読みなさい。衛宮君」

 「…………」

 遠坂にしてみたら、これほど場を読めてない発言はないだろう。
 俺を除いた全員が、当然のこととして聖杯戦争の決着を望んでいる。
  仮に常識というものが多数決で決まるとしたら、一人異を唱える俺が非常識であり、間違っているのだから。

 「はい、どうしても決着を付けます。
   士郎さんは何もしないで、見てくれるだけで結構です。
  ……一応言っておきますけど、何も別に貴方が足手纏いだとかそんな瑣末な理由ではありません。
  これはどうしても、私一人でやらなければならないのです」

 「理由を訊いてもいいか?」

 俺にはどうして彼女がここまで聖杯戦争に入れ込んでいるのが、解せないでいた。
  知り合って10日程度しか経っていないが、文は自分から揉め事に突っ込むような性格ではない。

 だと言うのに、今は自ら望んでセイバーと闘っている。

 「……士郎さん。
   いつだか私は柳洞寺の山門で言ったことは覚えていますか。
   この世界に生きた妖怪の証を立てる。
  その為に全てのサーヴァントを倒すと、私はそう言ったと思います」

 そう、文は啖呵を切るように、アサシンに向かってそう宣言した。
  今になって思えば、アサシンだけではなく、この世界に向けての言葉だったのだろう。

  眩しく感じてしまうほど、鮮烈な印象だった。
  彼女はその時から新聞記者ではなく、烏天狗の射命丸文として聖杯戦争に参加することになった。

 ……だとしても、解せない。
  それが自分自身の在り方を捨ててまで、闘うことなのだろうか?
  そもそも、かつて英雄と呼ばれた存在と、こうも真正面から闘うなんてどうかしているのだ。

 文は俺の返事を聞かずに言葉を繋げた。

 「この世界にもかつては妖怪がいた。ですが、幾ら調べても伝承としてしか残ってない。
  私も物書きの端くれです。
  書物として残っている限り、彼らの存在は消えやしないのはわかっています。
  だけど、書物は読まれない限り、人の心からは消えてしまう。風化して形骸化してしまう。
  彼らは今、本当の中身を失い、軽んじられています。それは由々しき事態でしょう」

 文は一呼吸を置いて、ここからが前に言わなかったことですと、そんな前置きをする。

 「そんな彼らにしてやれることは何もありません。
   この世界は幻想郷と違って、死んでしまったら、人間も妖怪もそれまでです」

 『だったら、文一人がそんなにぼろぼろになるまで傷つかなくても、いいじゃないか?』

  咄嗟に浮かんだ言葉は吐き出すことができなかった。

  10年前の丁度この場所。
  業火のなか、自分の身の可愛さに置き去りにしてしまった人たち。
  その人たちと、どうしてか、文の言う彼らが重なってしまった。

 「そうだとしても、私は我慢できない。
  妖怪という強く恐ろしく、気高いもの。それを忘れて、安穏と暮らす人間たちが許せない。
  これは紛うことなく、私の我が儘。
  死んでしまった彼らの為だと、かこつけても、結局のところ、私が許せないです。
  だから、私一人でやらなければならないし、そうでないと意味がない。
  私という烏天狗がセイバーを倒して、妖怪の強さと、恐ろしさを再びこの世界に知らしめる。
  ……それは自らを殺してでも、やる価値はあるのではないでしょうか」

 彼女の主張は理解できた。だが、共感できなかった。

  ただ、一点。
  『誰かの為とかこつけて、結局は自分の自己満足に過ぎない』
  その一点だけがどうしても自分の掲げた理想と重なってしまう。

 だとしたら、俺にはどうしようもできない。
 結局は俺も自分の我が儘で行動していることに、なんら変わりないのだから。

  それに紡がれた言葉はかつてないほど直情的で熱が籠もっていた。
  文はあまり自分を語ることがない。そんな彼女の本心に触れた気がして、嬉しかった。

 「わかった」

 俺はただそれだけ、文に告げた。
  そして。

 「――文、頑張れ。セイバーに負けるな」

 その言葉に令呪の効果を付加させる。

  左手の甲に刻まれた紋様が一画に減る。
  令呪は文と世界を結ぶ依り代しても機能している。つまり、これで令呪はもう使えない。

  それに令呪はこういった漠然とした願いだと、稀釈されて効果は弱まるという。
 本来ならマスターの切り札である令呪をこんな馬鹿げた使い方はしてはいけないだろう。

  だが、今の俺にはこのぐらいしか文にしてやれない。

  そして、俺は文の側から離れた。これで文とセイバーを遮る遮蔽物は何もない。

 「ええ、頑張りますとも」

 文はくるりと回り、遠坂たちと向き合った。

 「さてさて、こんな雨と風の中、ご静聴いただきまして、誠にありがとうございます。
  ……なんにせよ、付き合ってもらって悪かったわね」

 軽くだが、ぺこりと頭を垂れた。

 「ま、いいわよ。どうせこれで最後だもの。貴方にも少しぐらい花を持たせてあげるわ」

 「ふふ。意外と言うと失礼かもしれませんが、凛も優しいわね」

 「ああ、遠坂はいい奴だぞ」

 今更気付いたのか、と思う。
  新聞記者だけあって文の観察眼や洞察力はずば抜けているが、興味のある対象にしか機能しないようだ。

 「待て。マスターはそれだけではない。
   リンは優秀なメイガスであり、作る食事はきめ細かくとても美味だ」

 「あ、アンタたち! 何を言っているのよ!?
   ……しかもセイバーまで! 気を抜けたことをいうのも大概にしなさい!」

 遠坂が狼狽えている。意外と照れ屋なのかもしれない。

 …………。

 「ではでは、正々堂々と、がちんこで決着を付けましょうか」

 弛緩した空気に文が熱を入れる。
  ただ、心情を吐露した所為なのか、当初の妖怪然とした雰囲気は抜けていた。

 セイバーは何を考えてか、文の足下を見て、呆れるように息を漏らした。

 「その馬鹿げた靴を脱げ」

 「はい?」

 「その靴で貴様はまともに戦えるのか? 私への侮辱とも取れるぞ」

 「はあ、まぁそうですね。
   しかし馬鹿げたとは酷い。これでも天狗の象徴と言える靴なのに。
   ……ですが、折角の忠告です。ここは素直に聞いておきましょう」

  高下駄を模した靴は当たり前と言えば当たり前だが、有効に機能するものではないようだ。
 バーサーカーとの闘いで、満身創痍だった文がその靴の所為で転びそうになったのを思い出す。

 「うっ。ソックスでこの濡れた芝生は少し嫌な感じね」

 文は脱ぎ去った靴を綺麗に揃えると、足場を確認するように、二度三度と強く踏み締める。

  そして、セイバーに向かってゆっくりと歩き出した。
 文はセイバーと触れ合いそうなほどの距離で、その足取りをぴたりと止めた。


  ……こうして並ぶと、文とセイバーの二人に共通点があるのがわかった。
 セイバーはこれまで会った誰よりも文との外見的な特徴が合致しているのだ。

  高下駄を脱いだ文とセイバーの背丈は、寸分違わずと言って良いほど同じだった。
  両者の背丈は、目算で150センチ半ばと言ったところだろう。

  セイバーの体は甲冑に包まれて分かり難いが、
  体型のしなやかなさも似ており、体重も同じぐらいだと考えられる。

  それに見た目の年齢も同じぐらいじゃないだろうか。

 仮にスポーツなら同じ階級、年代として、何のハンデなく戦える状況だ。
 しかし、これは聖杯を奪い合うための、紛れもない殺し合いであるのには間違いない。

 その思案のなか、ある事実に気付く。

 アゾット剣を文によって破壊されたことで、セイバーは現在無手であり、
  文もまた葉団扇による風はセイバーの対魔力によって、その殆どがレジストされてしまう。

  ……だとすると、これからの闘いは聖杯戦争の原則から逸脱したものになる。
 己の最強を証明する最後の死闘が、まさかこんな形になるとは誰も予想し得なかっただろう。

  セイバーは表情を崩さないが、文は口許に微かな笑みを浮かべていた。
  互いの息が掛かりそうな距離。お互いに外すことのない間合い。

  視線が交わる――朱から翠へ、翠から朱へ。
  そして、彼女たちの拳が、お互いの腹へ叩き込まれた。


 ――――――――――


 拳打と、拳打の応酬。

 大気を振るわせる衝撃が走る。
  腹、胸、頭――と、人体の急所だけを狙った、えげつない攻撃の数々。

  文は敏捷性を生かした手数で勝負し、セイバーは逆に重い一撃を重ねていく。
  闘い方を見るに、総合的な膂力はセイバーの方が上だろう。
  それにセイバーは文と違い、その身をエーテルで編まれた甲冑で纏っている。
 市販されたブラウスを着る文に比べると、耐久力もまた雲泥の差だ。

  それでも徒手空拳に於いては、文の方がセイバーよりも上であると考えていた。

 彼女には他のサーヴァントのように宝具がない。
  唯一武器と呼べるのは風を起こすのに使う葉団扇だけ。
  それもセイバーのエクスカリバーに比べると、かなり見劣りしてしまう。

 ただ、それは逆にこうも考えられる。
  文は宝具を持ったサーヴァントと身一つで戦える自力があるのだと。
  だったら、無手の状態のセイバー相手には負けはしないのだと。

 ――だが、その予想とは裏腹に文はセイバーに押されていた。

 文は遠近を問わずに敵の攻撃を躱すことに重きを置いている。
  しかし、文は威力を殺せてはいるもの、セイバーの攻撃の殆どを回避し切れていない。
  それどころか、息を切らして、苦悶の表情さえも浮かべている。

 「どうしたアーチャー。動きが鈍いぞ」

 「ハァ……ハ。
   私の職業はブン屋ですからね。デスクワークが本分です。
  戦争屋の貴方みたいに底なしの体力はないわ」

 「まだ憎まれ口を叩く余裕はあるようだな。
   ……だがな、アーチャー。私には貴様の腹の穴が開いているように見えるぞ」

 腹の傷が開いているだって――?

 「クッ」

  文は離脱を謀るように、セイバーからバックスステップで距離を取った。
  流石に息を切らしていても、スピードに関してはセイバーの追随を許さない。

  セイバーは深追いをせずに、一定の間合いを堅持する。

 文が肺に酸素を取り込み、呼吸を整えた拍子。
  ブラウスの裾から、黒ずんだ血がどろりと溢れ出す。

 「……これ以上は流石に誤魔化しきれませんかね」

 「文、傷は治ったんじゃないのか?!」

 あの時は確かに塞がっていた。それはこの目で俺も見ている。
  だとしたら何故――?

 「……傷の表面を塞いだだけです。
  どうもセイバー固有の能力で、武器に魔力を帯びさせられるみたいですね。
  それが正規の英霊ということが相成って、妖怪の私を蝕む攻撃になったみたい。
   いろいろと強がっては見せたんですが、どうにも洒落にならないダメージでした」

 文はばつが悪そうに笑みを浮かべ、本当に苦しそうに傷を押さえる。
  今にも足下から崩れ落ちそうなほど、彼女は消耗していた。

 背中の翼もバーサーカーにもぎ取られ、その機能は完全に失われた。
  残った片翼は雨に濡れて重くなり、力なく垂れているだけ。
  腹の傷は、それと同じ性質だという。

 「それにただの拳で殴られてここまで痛いなんて、ね。
   私は英雄と呼ばれる者の恐ろしさをあまり理解していなかったかもしれません」

 「……どうしたアーチャー、この程度で終わりとは言うまい?」

 セイバーが文を挑発する。
  普段の文だったら、敵の挑発は飄々とした態度で受け流すだけだろう。

 しかし、今の彼女は一種の危うさと呼べるものがある。

 「まさか! まだまだ足掻かせてもらうわ!」

  言葉を吐き出し、大きく息を吸った瞬間――、文の姿が音もなく掻き消えた。


 「――嘘。どこに消えたの……?」

 遠坂がそう呟くも、それに関しては俺も同意見だ。
  たが、知覚できないだけで、本当にこの場から消えたわけでもないことはわかる。

  単純に俺たちの動体視力では、彼女の動きを捉えなれないだけ。

 これは既に人間の目に映る領域ではない。
  ここから先は、人智を超す、サーヴァントのみが踏み込むことの許された世界。

 その証拠にセイバーの瞳は何かを捉えようと忙しなく動いている。

  文の全力のスピードは、バーサーカークラスのサーヴァントでも届かないものだ。
  最良のサーヴァントであるセイバーだとしても不確にしか映らないだろう。

 音を突き破る衝撃音。

  セイバーの頭上に文が姿を現した。
  俺の目には空間に文の姿を貼り付けたとしか思えない。
  安い言葉で飾るなら、瞬間移動と言えるレベルのスピードだ。

  セイバーの頭部に目掛けて、足を鎌のように振り下ろす――。

 「……ッ!!」

 腕を交差させ、手甲で受けるも、セイバーの踏み締めた地面が地割れのようにひび割れる。
  その威力たるや想像するにも恐ろしい。
 そしてその一撃を皮切りに、あらゆる方向からセイバーを縦横無尽に蹂躙する。

 攻撃する瞬間にだけ文は姿を現し、セイバーに着実なダメージを与えていく。

 その戦法は言ってしまえば、ヒットアンドアウェーと呼ばれるものだろう。
  強烈な一撃を与えて、直ぐさま距離を取る、その繰り返し。
  それも一般的に想像されるものからあまりにも逸脱したレベルであるのは間違いない。

 だが、セイバーは翻弄されることなく、文の動きを読んで、致命傷を受けるのを免れていた。
 セイバーでも文の動きは完全に捉えてはいない。
  彼女の持つ未来予知にも近い直感が、最適な展開を感じ取っているのだ。

  それでも文は確実にダメージを幾重にも重ねていく。
  セイバーも得意とする剣を持っているのならともかく、無手のままでは対処しようもない。

 この強雨があっても尚、洗い流されることなく、セイバーの身体は鮮血によって染まっている。
 足下の水溜まりには彼女の流した血が混じり、赤黒く濁らせていた。

 だけど、セイバーは倒れなかった。
  彼女の目に浮かぶ意思は初めて見たときから、何も変わっていない。
 このままではじり貧になるとしか思えないのに、その想像すらも凌駕する強さがあった。


 文は背後から強襲を仕掛けた。
  胸を貫かんと繰り出される隻手はこれまでよりも速く、そして正確に狙い澄まされている。

  セイバーは身を翻すも――、右腕がセイバーの胸を貫いた。

 しかしどうしてか、そんな状況下で驚愕を浮かべたのはセイバーではなく、文だった。

 「焦ったな、アーチャー。踏み込みすぎだ」

 心臓を捉えたかに見えた文の腕は、セイバーの左脇に抜けただけ。
  そして、文の腕はセイバーの脇に縫い付けられるように挟まれている。

  これでは膂力に劣る文は身動きが取れない。

 「あー、これはかなりまずいわね」

 そう軽い口調で言うも、焦りは克明に伝わってきた。
  セイバーは空いた右腕で文の腹の傷を容赦無く殴りつけた。

 「ィィィ……!」

 密着状態での拳打だったが、背中に繋がる刺し傷だ。
  想像するのも恐ろしい痛みが文を襲っているに間違いない。

 セイバーは腕を解放するも、文は耐え難い激痛によってろくに身動きが取れない。

 「ハァァ!!」

 セイバーは剣を構えているかのような所作を見せ、側面から文の頭部を薙ぎ払う。

  衝撃によって、文の頭から赤い頭襟が外れた。
  文の体もまた、これまでで尤も強力な一撃に大きく弾き飛ばされる。

 ……その方角は、……まずい。

 文は辛うじて受け身を取り、転倒は免れたが、頭部への一撃に意識を朦朧としている。

  セイバーは間髪入れずに追走する。

 ――その過程、雨に濡れた聖剣を拾い上げる。
  宝具を手にしてより一層、文へと疾駆する速度を上げた。

 文は逃げようとはせずに、胡乱とした様子でセイバーを待ち構える。

 「……その剣は私には通用しませんよ」

  全身が脱力しており、表情もまた怪しかったが、口調だけははっきりとしていた。

  セイバーは構わずに、一足飛びからの大上段で文に斬り掛かるも、
  予言通り、セイバーの剣は文を不自然に避けた。

 だが、セイバーは何の反応も示さない。
  二度三度と剣を文に向けて軽く振るい、正眼に構え直すと『風王結界』を解いた。

  透明化していた宝具の本当の姿を露わにさせる。

  余計な装飾が施されてない無骨さながらも、尚も最強の座に在る伝説の聖剣。
 エクスカリバー――、人々の願いの果てに誕生した神造兵装。

 「あ、ばれてしまいましたか」

 「リンのアゾット剣を振るった時に確信を得た。
   貴様は風を操るのだろう? まさか私の『風王結界』までもその範疇だとはな。
   にわかには信じがたい能力だ。だが、種が解ればそれまでだ」

 「あーあ。宝具の開放を防げば、勝てると思ったんですけどね」

 自尊心の高い文には似合わない諦念の感情が含まれた言葉。
  ……文はこの時、既に敗北を認めていたのだろう。

  セイバーはそれでも凛とした表情を崩さない。それが残酷に思えてしまうほど。

 「覚悟を決めろ、アーチャー」

 ただ一言、それだけを文に告げ、剣を振るう。

 「死ぬ覚悟ですか。冗談きついですね、セイバー」

 無情に振り下ろされた剣は、すんなりと左肩に入り、そして右脇へと抜けた。

 すべての終焉を告げるように――。
  あんなにも激しかった雨と風は、いつの間にか止んでいた――。







 後書き

 烏天狗は卵生らしいけど、臍はあるんですかね。
  しかし「臍を噛む」という言葉が溜まらなく好きだ。臍を噛むってなんだよ。


 2008.12.5


next back