「文々。異聞録」 第51話





 あれからどれぐらいが経っただろうか。

 風雨によって、湿地であるはずの冬木中央公園は、戦火に燃え立っていた。
 雨水の染みいった土壌すらも容赦なく蒸発させてしまうほどの火力。
  常人がまともに呼吸をすれば、肺が黒こげに焼き付くような灼熱だろう。

  そしてそこは、セイバーとギルガメッシュの決戦の舞台だった。

 セイバーのマスターである遠坂凛は、舞台の壇上に上がることすらもできない。
 才能に胡座を掻かずに研鑽を重ねた魔術師であろうと、この神域の戦いには介入できはしない。
  あと数歩でも踏み込もうものなら、何も為せずに彼女は戦いに巻き込まれて死んでしまうだろう。

 ただ遠巻きから壇上を傍観するだけの観客。
 身の丈を誤ってはいけない。過信をして手を出せば、セイバーの枷になる。
  自らのサーヴァントの足を引っ張らないでいることが今の遠坂凛の精一杯であった。
  矜恃に触れる不甲斐なさはある。
  それでも、セイバーの枷になることだけは、何があっても絶対に避けなければならない。

 全幅の信頼を預けるセイバーの勝利を信じることが、今の遠坂凛にできること。

 (だけど、いざとなったら残された令呪を使うこともできる。
   バックアップだけは最大限させてもらうわよ、セイバー)

 決戦に相応しい極限の緊張のなか。
  何があろうとも、この二人の戦いから目を離してはならない――。

 …………。

 「どうした? お前の言う全力はその程度なのか?
   身の程を弁えずに我に勝つなどと嘯いたのだ。我をこの場から動かしてみせろ」

 ギルガメッシュは戦いが始まってから今に至るまで、一歩たりとも動かずにいた。
  視線でセイバーを追うばかりで、自身は目立った行動を取らない。
  ただ、背後に展開された『王の財宝』から宝具を出鱈目に射出しているだけだ。

 「…………」

 セイバーはギルガメッシュの挑発に無言で返す。
  上から目線の頭に来る物言いだが、ここで冷静さを欠いてしまえば確実に負ける。

  純然な剣のサーヴァントであるセイバーは、白兵戦に頼らなければいけない。
  その為、ギルガメッシュの『王の財宝』との相性はかなり悪いと言えるであろう。
  尤も、ギルガメッシュと相性良く戦えるサーヴァントなど、それこそ片手で数えるほどであろうが。

  ギルガメッシュの攻撃はこれまでとさほど変化はない。
  ただ、セイバーに向けて放たれる宝具の数。それが以前と比肩できないほどに増えていた。
  目視では数え切れないほどの絢爛な宝具を、惜しみなく放ち続けている。

  大抵のサーヴァントであれば、それだけで殺し尽くすことができよう。
  一歩も動くことなく、ほとんどのサーヴァントを蹂躙し尽くす実力をギルガメッシュは持っている。
 理不尽なまでの圧倒的火力。
 そして、ギルガメッシュの宝具の連射は、慣れや対策でどうにかなるものではない。
  小細工を弄したところで、有無を言わさず飲み込まれてしまい、痕跡すらも残さない。

  そんな矢継ぎ早に放たれる『王の財宝』は一呼吸どころか、瞬き一つの隙もセイバーに与えてはくれない。
  如何にギルガメッシュが手加減をしていたのか、否応にも理解できてしまう。

  先よりも、彼女の身のこなしは速度を増すだけではなく、その精度さえも上がっている。
  なのに、セイバーの剣は、ギルガメッシュの薄皮にすら触れることも許されない。
 ここまで、自分の持つ間合いに踏み込んだことは何度かあった。
 だが、如何に斬り掛かろうとも、ギルガメッシュは宝具を使いセイバーの剣撃をことごとく防ぐ。

 唯一ギルガメッシュに剣が触れたのは、ダメージも度外視にした斬り込みによる一撃だけ。
  それもあまりの堅牢さを持つ甲冑にエクスカリバーは弾かれてしまった。

  (……もし、男の頭に振り下ろしていれば勝負は決していただろうか)

 そう思うと、セイバーは歯噛みをしてしまう。
  黄金に飾った鼻につく鎧を砕こうという気まぐれが、こうも戦いを長引かせている。
  百歩譲ってその選択が、ただ戦闘を長引かせるだけならいい。
  今の状況は冷静に顧みなくとも、セイバーはギルガメッシュに押されている。

  一瞬よぎった思考とは言え、切歯扼腕に至るのは仕方がないことだろうか。

  (それだけではない。私の選んだ選択は、何度となく誤りがあった。
   ……そう、私が常に最善の選択ができていたのであれば、国は今も盛栄にあっただろうか。
  いえ、もし最善を選べたのなら、あの選定の時に剣を執ることもなかったでしょうね)

 聖剣を強く握る。
  そんな自嘲するような思考をしたところで、剣の雨は止むはずもない。

 手垢にまみれた言葉だが、歴史に『もしも』はない。
  一度過ぎたことは覆せないのが、世界の理として存在している。

  けれども、この世界に一つだけ。
  歴史の『もしも』を可能とする奇跡があるとするのなら。
  覆水を盆に返し、こぼしたミルクを元の瓶に戻すことができるのなら。

  (私は聖杯を手に入れて、剣の選定を再びやり直す。
   ならば今は、どう防ぎ、どう躱し、どう剣を振るのか、それだけを考えればいい)

  英雄王をどう打倒するか――。
  その一つだけを残して、セイバーは思考を閉ざした。


 ――――――――――


 「……ふん、なんとも埒があかないな」

 ギルガメッシュが眉をよじらせ、不快そうに独言を漏らす。

  進展のない膠着した状況もそうである。
  それ以上に、全力で『王の財宝』を展開できないことに苛立ちがあった。
  ギルガメッシュは全力ではない。
  英雄王が全力を出せばセイバーが今も立っていることはあり得ない。
  目当てであるセイバーは殺してしまっては元も子もなく、苛立ちも理解の範囲であろうか。

  英雄王が片手を僅かに挙げる。
  自らの臣下に控えさせるようなその動きに反応し、ぴたりと宝具が進軍を止める。

 そして、ギルガメッシュが二の句を継ごうと口を開く。
  だが、セイバーは律儀に言葉を待ってやらなければならない謂われはない。
  ならば、これまでにない絶好とも呼べるチャンス。

  ギルガメッシュまでの六間ほどの距離。
  それを一足の元に詰め寄り、そして斬り掛かる――。

 「…………!」

  不意に奇妙な感覚に捕らわれた。
  その悪寒に間合いを詰めるはずの健脚を反射的に止める。

  彼女に備わった未来予知にも及ぶ直感力。
  それが、背筋に走るおぞましい戦慄をセイバーに覚えさせた。

 言葉では説明しがたい能力ではあるが、セイバーはこの力に何度となく命を拾っている。
  決して、ないがしろにできるものではない。

  「このようなつまらぬ児戯はもう止めだ」

 児戯とはつまり今のこの戦いのことだろう。
  それがセイバーには自分の思い通りに事が運ばないのに愚図る子供のように映った。
  だが、そんなものが、この絶好の機会を捨てる悪寒を生むはずがない。

 「手詰まりですか、英雄王」

 探りを入れる為、セイバーは挑発を試みる。
  同時にエクスカリバーを解放するチャンスでもあったが、今はギルガメッシュの出方を見るべきだ。
  セイバーの宝具は数秒もあれば解放できる。後手に回ったとしても十分に余裕があろう。

 「は、下らぬ妄言は控えることだな、セイバー。
   そのような誇大妄想に二度と陥らぬよう、今より英雄王にしか持ち得ぬ剣を見せてやる。
  ……精々耐えてみせろよ、セイバー。これで死ぬようならば、お前もそれまでの女だということだ」

 ギルガメッシュは背後の波打つ空間に手を差し入れた。
 そしてその手に握られたのは、これまで放った宝具とも違う異質の形状をした武具だった。

  異質なのはその刀身。刀身というも、刃らしきものは先端にしか存在しない。
  三つに分かれた円柱状のパーツによって構成されており、それぞれに朱色の術式が刻まれていた。
  そして、そのパーツが独自の回転をしている。
  ギルガメッシュが呼ぶように剣とはとても形容し難く、さながら削岩機とでも呼べる形状だった。

 「混沌の世界を切り裂き、世界を新たに創造した剣だ。銘は存在せぬが、我はエアと呼んでいる」

 異質の外見に反して、放たれる魔力はこれまでに掃き出してきたどの宝具よりも強大だった。
 英雄王の言うとおり、まさにとっておきと呼べる武器であろう。

 これにセイバーが対抗しうる手段は一つしかない。
  彼女自身の握る宝具の解放――。
 過信ではなく、セイバーは自身の持つ剣を最強であると信じている。
  遠坂凛という優秀なマスターが付いているため、
  射命丸文、ギルガメッシュと、二度の戦闘を重ねても、全力でエクスカリバーを解放する余力はある。
  英雄王を屠るのに、今がまさにエクスカリバーを使うのに相応しい状況。

 セイバーは遠坂凛から惜しみなく供給される魔力を剣に込めた。
  剣に注ぎ込まれた魔力が光に変換され、莫大な熱量の渦となって剣に纏っていく。

 「ほう、我の剣を見ても、尚も抵抗しようと言うのか。
   ク、ハハハハハ! 無知故の蛮勇もここまで来ると滑稽だな!」

 「……何を馬鹿なことを。破れるのは御身です、英雄王!」

 エクスカリバーはギルガメッシュを宝具ごと打ち倒すには、十分な火力を持っている。
 それを覆すことなど決してあり得ないと思っている。

「エアとは即ち、生命の記憶の原初であり、この星の最古の姿。
 つまりは地獄の再現だ――。セイバー、貴様の目に煉獄を焼き付けるがいい!!」

 ギルガメッシュにエアと呼ばれた剣。
  三つの刀身の回転が更に速度を増し、周囲の風を逆巻かせ、取り込むように巻き込む。
 それが肉眼で視認できるほどの魔力が紫電となり、空気を伝わって大気を揺らしていた。

  しかし、セイバーにギルガメッシュをこれ以上待ってやらなければならない理由はない。
  聖剣に魔力は十分なほどに充填されている。

  正眼に構えていた剣を振り上げ、剣に秘められし真名を解き放った。

 『エクス――、カリバーッッ!! <<約束された勝利の剣>>』

 放たれる光の奔流。
 ギルガメッシュの眼前まで、エクスカリバーの光は迫っていたが、笑みは崩さない。
  それに僅かに遅れて、ギルガメッシュも宝具を解放せんと、虚空にエアを突き刺した。

 『エヌマ――、エリシュ!! <<天地乖離す開闢の星>>』

 …………。

 結論から言ってしまうと、エクスカリバーでは、乖離剣エアに勝ち得ることは不可能である。
  それは決定された前提であり、何があろうともその前提が覆ることは決してあり得ない。

  それは別の世界での必然。衛宮士郎の体内に埋め込まれたエクスカリバーの鞘。
  『アヴァロン』という、究極無二の絶対防御を持たない騎士王に、乖離剣を打ち破ることはできない。

 そして、遅れて放たれた『エヌマ・エリシュ』は『エクスカリバー』と衝突する。
  ぶつかり合うことで生じる拮抗。

  …………。
  だが、それはほんの僅かなものでしかなかった。
  乖離剣によって圧縮された風は、擬似的な時空断層を発生させ、空間をも断裂させる力。
  世界を穿つ大嵐(タイラン)は、聖剣の奔流をあっさりと飲み込んだ。


 自身の最強の技が瞬く間に浸食されていることに、セイバーは驚愕を禁じ得なかった。
  現実味さえも曖昧に感じるほどの光景。
  もし、悪夢であればセイバーは救われるであろうが、これは紛れもない現実だった。

 「……くっ!」

 セイバーに驚いている暇はない。
  魔力を如何に奔らせようとも、これ以上ない状態で宝具は解放されている。
 これ以上の出力はどう足掻いても出すことはできない――。

 しかし。

 「令呪の契約によって、セイバーに命じるわ。『金ピカをぶっ飛ばしなさい!』」

 セイバーにとって、これ以上ない檄が飛んだ。

 遠坂凛の右手に刻まれた二画の令呪の紋様のうち一画が消失する。
 その結果、セイバーの魔力が爆発的にブーストされた。
  これ以上ないタイミングで、エクスカリバーの火力が最大値を振り切って増幅される。

 「ハアァァ――!!」

 セイバーの眼前まで迫っていた『エヌマ・エリシュ』の暴風がぴたりと浸食を止める。
 呼吸を止めてまで見入っていた遠坂凛がその光景に安堵の息を飲む。

  だが遠坂凛と違い、セイバーの表情は険しいままで前方から目を離さなかった。
  ギルガメッシュは一切動じることなく、この世の全てを嘲笑っていた――。

 つまりは、令呪による効果も英雄王にとってそれだけのものでしかなかった。

 「……ふん、味気ない。我を落胆させるな、セイバー」

 その謗り言と同時に、『エヌマ・エリシュ』は拮抗を打ち破る。
 そして、セイバーは大嵐に飲み込まれた。





 ――――――――――






 セイバーとの戦闘が始まってから初めて、ギルガメッシュが歩き出す。
  いや、戦いはもう終わっているのだろうか。
  ギルガメッシュが悠然と歩み寄る遠方、セイバーは無残に倒れ伏せていた。

  『エヌマ・エリシュ』に吹き飛ばされて、今はぬかるんだ泥に端整な顔を埋めている。
 大嵐を受けながらもセイバーは剣だけは手放さなかった。
  それでも意識は喪失している所為か、その指先はぴくりとも動かない。

 「まだ生きてはいるようだな。
   しかし、人類最強の剣がこの程度か! 笑わせてくれる!
  やはり女子供に手加減は必要のようだったな! ……フ、ハハハハハハハッ!!」

 夜の公園に英雄王の狂気に満ちた哄笑が響き渡る。

 「なんて、ことなの……」

 遠坂凛は、レイラインによる繋がりから、セイバーの生存を確認する。
  それは弱々しいもので、セイバーが受けたダメージを否応にも理解してしまう。
  このままの戦闘続行はとてもじゃないが無理だ。
 それどころか残った全ての魔力を回復に当てないと、セイバーの現界も危ぶまれる。

 ……セイバーの敗北の原因は何だったのか。

  セイバーの『エクスカリバー』は令呪の力も加わり、これ以上ないぐらいに完璧だったであろう。
  だが、負けた。宝具同士によるぶつかり合いは完膚無きまでの敗北だった。

  そしてその答えはあまりにも単純明快なもの。
 ただ単にエクスカリバーの火力をギルガメッシュの宝具が凌駕していただけ――。

 「…………!」

  もし遠坂凛がここでガント撃ちをしても、セイバーの剣を弾く鎧を貫けるとはとても思えない。
  幾つか残った宝石も同様の結果に終わるだろう。
  それに万が一に賭け、攻撃を仕掛けて矛先が向いてしまったら、ものの数秒で殺される。
  そのリスクは同時にセイバーすらも殺してしまう結果を生む。とても冒せるものじゃない。

 何か行動を起こすまでもなく、遠坂凛は既に手詰まりだった。
  尚も続く英雄王の哄笑。それが遠坂凛の耳に勝ち鬨の凱旋に聞こえた。



 …………。



 ここでありもしなかったことが起きてしまう。
 それはこれまでにない二つの要因によって生じた偶然の生んだ奇跡だった。

  まず一つは、セイバーのマスターが遠坂凛であること。
 それによって、セイバーの基本性能は衛宮士郎がマスターだった場合を遙かに超える。

  そして二つ目は、先の令呪による宝具のバックアップ。
 結果として、『エヌマ・エリシュ』を破るまでは至らなかった。
  だが、その火力はこれまで放った四度の『エクスカリバー』の中で群を抜いたものであり、
 相殺までは至らなかったが『エヌマ・エリシュ』の威力をかなり殺ぐことになった。

  そんな要因が重なり、本来はあり得ないことが起こる。

 「う、くっ……」

 セイバーに意識が辛うじて残されていた。

 全身を貫いた大嵐のダメージに喘ぎが漏れる。
  その声は、笑い続けるギルガメッシュの耳には届いていない。

  口の中一杯に広がる不快な鉄の味、呼吸がまともにできないほどの激痛。
 セイバーは、自分の手足がバラバラになってしまったのではないかと錯覚していた。

 (……ああ。ですが、まだ私の四肢はあるようですね)

 目では確認していないが、セイバーの手に信頼する愛剣の感触が伝わってきた。
  剣を握る力もまだあった。

 失われた力が、徐々に戻ってくるのがわかる。
  レイラインから魔力が急激に供給されているからだ。
 並の魔術師であれば、燃費の悪いエクスカリバーの解放後に、ここまでの魔力を送ることはできない。
  遠坂凛という稀代の才能が、こうしてセイバーを生かしている。

 それは冷徹な魔術師には成り切れない遠坂凛の優しさと、絶対の信頼だった。

 (ならばその優しさに甘えるだけではなく、私はリンの信頼に応えなければならない!)

 セイバーの耳に地面を伝わって、金属質の足音が聞こえていた。
  足音は徐々に大きさを増し、耳元の近くに差し当たった辺りで止まった。

 顔を上げれば直ぐそこにギルガメッシュの姿があるだろう。

 そう考えるや否や、ギルガメッシュの手によってセイバーは髪を無造作に掴まれた。
  体を目線が届く高さまで持ち上げられると、征服感と嗜虐に満ちた紅く染まる双眸が眼前にあった。

 「我の手に下る気にはなったか?
   ……だがな、貴様も手に入れるのにこうもあっさりだと面白味に欠けるのだ」

 「…………」

 セイバーは答えない。
  その答えと言わんばかりに、翠色の眼差しがギルガメッシュを射抜いた。

 「ほう、まだ意識はあるようだな。しかし、その反抗的な目は変わらずよの」

 ギルガメッシュは目を細め、顔に愉悦を浮かべる。
  未だ手に落ちないセイバーに憤りを感じるどころか、その逆とも取れる態度を見せていた。
  もしセイバーがここでギルガメッシュに屈したのなら、その時点で興味を失っていただろうか。

 「……気づいていないのか。私の手には未だ剣が握られているぞ」

 体を宙に持ち上げらても尚、セイバーは決して剣を離さない。

 「ク、フハハ!
   この有様で何ができるというのだ! お前は既に立ち上がるのもままならぬであろう?」

 王には性と呼べるほどの慢心があった。
  自身の宝具を真正面から受けて、セイバーはまともに攻撃ができないであろうと。
 そう決めつけ、思い込んでいた。
  もし英雄王の慧眼が、慢心に曇っていなければ誰よりも先に気づけていただろう。

  だが、それももう遅い。
 セイバーは、ダメージを回復させるために供給されていた魔力の全てを剣に込めていた。
  さらには自身のエーテルによって編まれた甲冑も解いて、それすらも剣に送る。

  聖剣から伝わってくるのは、先ほどと同様の魔力の迸り。

 「なに?」

 遠坂凛もレイラインからの魔力の流出が急激に速まるのを感じた。
  そしてセイバーがこれから行おうとしていることに気づいてしまった。

 「…………!!  駄目よ、セイバー!!
   そんなことしたら、貴方が無事で済む筈がないわ!!」

 セイバーは自身のマスターに答えられなかった。
  今のセイバーにギルガメッシュを倒す方法はこれだけしかないからだ。

 ギルガメッシュは掴んでいたセイバーの髪を離す。
  セイバーは再び泥に顔を埋めるようなことはなく、二本の足で地面を強く踏みしめた。

 「ここは私の領域です。自ら間合いを詰めるとは油断しましたね、英雄王!」

 「抜かせ!」

 ギルガメッシュもまた、手に持った乖離剣に魔力を込める。

 『エクス――!!』

   しかし間に合わない。勝利の剣はもう振り下ろされた。

 『カリバーァッッ!!』

 乖離剣が解放されるよりも速く、聖剣は黄金の鎧を砕いて、血を夜に舞わせた――。







 ――――――――――









 セイバーは、振り下ろした剣の重みを感じられずにいた。

  今自分が立っているかどうかも、どこかあやふやで判然としない。
  目の前が翳んで見えないし、頭も強く叩かれたように高音の耳鳴りが響いている。

 肉体の修復を無視してまで放ったエクスカリバー。
  それは本日二度目の解放であり、出力はかつてとは比較にならないほど落ちたであろう。

  だが、ギルガメッシュはエクスカリバーを剣先の届く距離で受けたのだ。
  技として完全と言えないが、剣を振り抜いた瞬間に馴染みのある人体を斬る感触が伝わっていた。

  しかし、代償は大きくセイバーの魔力は枯渇した。
  その急劇な魔力消費に目立つところで五感の幾つかが損害、または消失しているのがわかる。

 「カ――ハ」

 呼吸ができない。
  酸素を体に取り込もうとしても、肺そのものが動作を止めてしまっている。
  まるでスイッチをオフにしたように意識が急劇に奈落の底に転がり落ちていく。

  このまま意識を手放してしまったら、二度と目を覚まさないと確信できる感覚があった。
  そうだと知りながらも、意識が喪失していくのに抗えそうもない。

 だとしても、まだ倒れるわけにはいかない。
  なにがあろうとも、確認しなければならないことがある。

 セイバーは、舌の先端を門歯で躊躇なく噛み切った。
  曖昧だった痛みが鋭いものになり、靄のかかった視界が少しずつはっきりとしていく。

  そんな視界の先に男の顔が映った。

 (生きている――!?)

 眼前にギルガメッシュの姿があった。

 衝撃に逆立てた髪が下ろされたのか、俯かれた表情は前髪に隠されて見えない。
  だが、口許に見下したあの笑みがなく、口角からは血が伝っている。
 ダメージは確かに受けていた。
  あの馬鹿げた強度を誇る鎧も砕け散り、肉体のかなり深いところまで斬り裂いる。
  剥き出しとなった上半身に太刀傷。
  更にはエクスカリバーの熱量によって、その傷口が大きく焼け焦げていた。

  肉体に受けたダメージならば、セイバーよりもギルガメッシュの方が上――。
 だとすれば、これはセイバーにとって、唯一にして最後の好機。

  ただ、一度。
  剣を振り下ろせば英雄王を倒すことができる――。
  ならば。
  ならば、英雄王に終止符を――。

  先述したとおり、セイバーの魔力は枯れ果てている。
 通常の魔術師の何十倍ものキャパシティを持つ遠坂凛でさえも、補えきれるような状態ではない。

  いつ消失してもおかしくないほどの魔力消費。
  『エヌマ・エリシュ』による肉体的な損害。

 両手足の感覚は喪失している。
  それでも四肢は未だに健在であり、千切れてしまったわけではない。

  (だとしたら、動かせない道理はない!)

  セイバーは感覚の全くない両足で辛うじて体を支えて、剣を頭の上に大きく振り上げた。
 黒く広がる曇天の空を裂くような少女の聖剣。

  その刀身が一瞬、遠坂凛の顔を映した――。
  セイバーを偏に案じる不安めいた少女の顔だった。

 (ああ、リン。
   そんな顔をしないでほしい。貴方にはそのような顔は似合わない。
   それに心配はもう無用です。これで、聖杯は貴方のものになるのだから)

 声はもう出なかったが、セイバーはそれだけを彼女に伝えたかった。
  言葉にならない以上、セイバーは行動と結果でその想いを示す。

 そして残された力を燃やし尽くし、頭上高く掲げた剣を振るった。

 ――ぱきり。

  セイバーは内側から何かが砕ける音をはっきりと聞いた。
  痛みはなかった。
  だがセイバーの意志に反して体が崩れていくのがわかった。
  それは比喩ではなく、体の内側がぐずぐずになって崩れ始めていた。

 セイバーに残された時間はもうほとんどない。
  これは文字通りに、命を使った一刀。

 ――その剣はギルガメッシュに当たることはなかった。

  英雄王は乖離剣を掲げて、セイバーに残された最期の攻撃を軽く受け止めていた。

 「は、惜しかったな」

 ギルガメッシュが俯いていた顔を上げる。紅玉の瞳には何の曇りはなかった。
 爛々とした力強さは失われているが、そこに先までの慢心はない。
  最後の攻撃を防がれた直後に、セイバーの手から聖剣がこぼれ落ちてしまう。
  セイバーにはもう剣を握るような握力はない。これで二度と剣を振ることはないだろう。

 肉体に魔力を帯びさせられないセイバーは、同じ年の頃の少女と変わらない程度の力しかない。
  であれば如何に命を賭した一撃であっても、その威力もたかが知れていた。

 セイバーの上体がぐらりと揺れる。

 (――地面が近づいてくる。いえ、足が、体を……、支えられなくなっただけ……)

 「すみ、せん、リ――」

 絞り出した謝罪は言葉にならず、セイバーは前のめりに地面へ倒れてた。


 …………。


 「セイバー、我は膝を付くことを許した覚えはない。
   お前は我の認めた女であろう? そのような醜態、我の前で晒すことは決して許さぬ」

 地面に触れる直前に、セイバーの身体をギルガメッシュが支えた。
  彼女の小さな背中に手を置くと、乱暴に自分の胸元へ身体ごと抱き寄せる。

  抱かれる様は抱擁と呼べる状態だった。それでもセイバーからの抵抗はない。
  彼女はもう指一つ動かせない。混濁した意識は何もかもを曖昧にさせていた。

  ギルガメッシュは抱き寄せたまま、紅い双眸でセイバーの顔を無表情に見遣る。

  交差する視線。

 「お前は、もうどう足掻こうとも助からぬ。
   ここで放っておいても、暫時の合間に朽ち果てるだろう」

  ギルガメッシュが、そのか細い首にそっと指を掛ける。

 「であればな。セイバー、お前は我の腕の中で、死ね」

 ギルガメッシュの腕に力が込められた。
 それは窒息させるような優しいものではなく、重要器官を握り潰す、無遠慮に込められた力。

  その行為に英雄王は一切の躊躇などはなく。
  セイバーの首は鈍い音を立て、潰れた――。

 「……ァア、ガ、ハ」

 セイバーは潰された喉から泡混じりの血と、僅かに残った酸素を吐きだす。

  翠色の瞳が見開かれた。
  まるで驚愕をしているように、大きく開かれている。
  その明眸から徐々に色彩が失われていき、瞳孔が拡散してった。

  そして瞳から生命の色が失われた。

  セイバーの頬をギルガメッシュが触れる。

  それは今まさにセイバーの首を握り潰した腕。
  今度はその指先で割れ物を扱うように、少女の頬を一度だけ撫でた。

「……ふん、最期まで我に屈しなかったか。いや、それでこそのお前であったな。
 ではな、騎士王。この饗宴、なかなかに楽しかったぞ」

 セイバーの目蓋はもう閉じられていた。

  寸刻の後、セイバーを構成するエーテルが上空に拡散していく。
 そしてそれは煤けた空気の漂う虚空に飲まれると、いつの間にか霧散した。

 もうそこに、セイバーの姿はどこにもなく。
  騎士王の最期を看取り、天を仰ぐ英雄王の姿だけがあった。










 後書き

 散々待たせてしまいました。
  今回で過去に何度もあった「Fateでやれ」は終了します。
  最後の最後に徹頭徹尾のFate一色でした。思い残すことはない。

 2009.10.11


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