「文々。異聞録」 第55話








 夜の寂莫が広がる新都のオフィス街に硬質な乾いた音が響く。
 ギルガメッシュが避けた矢がビルの壁面に衝突した音だ。

 俺の放った必中と思った矢は、文の予言通り失敗に終わる。

 ……俺は弓を手にしてから、「中る」と思い描いて射った矢をただの一度も外したことがない。
  それだけではなく、今射った矢は文が魔術付与したものであり、音速に近い速度で放たれた。

  それさえもサーヴァントであるギルガメッシュには、何の意味もなかった。

  ただの人間では生涯掛けても成し得ない反応速度。
  サーヴァントという存在は人間とは根本的に違う高みにいるのだ。
  同じ土俵には立つことはできないのだと痛感してしまう。

  そしてギルガメッシュが緩慢とも言える動作で振り返り、気怠そうに揺れる深紅の半眼が俺を捉えた。

 「……貴様か、雑種」

 ギルガメッシュとの距離は十分に離れている。
 だというのに、黄金の王が漏らした声は俺の耳にはっきりと届いた。

 「文字通り、我に一矢報いようとでもしたのか? 笑わせるなよ。
  この身はアーチャーのサーヴァントであるぞ。
  いくら不意を突こうとも、雑種如きの矢が中るはずもないわ」

 さもつまらなそうに言い放つも、腰に手を置いて反撃に転じる様子もない。

 ……予想していた通り、ギルガメッシュは俺を敵と見ていない。
  しかし、悔しいと感じることもなく、当然に思えてしまう。俺はそれだけの相手の前にいる。

 文とは別種のプレッシャー。
  文が人間の根源となる恐怖だとすれば、ギルガメッシュは王気とも呼べる存在感で万物を圧倒する。
  聖杯戦争の本来の覇者であったセイバーを倒した8人目のサーヴァント。  
 古代メソポタミアの王。半神半人の暴君。
  他者と比べるのもおこがましい人類最古の英雄王。――ギルガメッシュ。

 「我は今宵この上なく機嫌が悪い。今なら疾く自害すれば許してやらんでもない。
   ……だが、もしこれ以上、我に刃向かうようであれば、――わかるよな?」

 怜悧な赤い瞳に射抜かれる。
  たったそれだけのことで体の自由を奪われてしまいそうだ。

 だとしても、今になって怖じ気づくわけにはいかない。
 圧倒的な重圧に飲み込まれないよう、肺に溜まった熱く重苦しい空気を残らず吐き出した。
  悴む手に血を通わせようと強く握る。
  体は意志通りに動いている。なら大丈夫。俺は成すべきことを成すまでだ。

  大きく息を吸い、間髪入れずに二本目の矢を弓につがえた。
  これで残された文の矢は一本。もう決して無駄に使うことはできない。

  そして弓構えの作法も出鱈目に、最速でギルガメッシュに向かって矢を放った。

 「は、どこまでも愚かな雑種よ」

  ギルガメッシュは気怠い表情のまま、眉一つも崩さない。
  だが、風向きが変わるように、これまでとは違う明確な殺意が俺に向けられる。
  ギルガメッシュが見せた敵愾心。そこに自らの死を想起してしまう。
 言うまでもなく、これでギルガメッシュも俺を殺そうとしてくるのは確実だ。

  ……これがただの矢ならギルガメッシュに届く前に殺されるだろう。
 だが、この矢は射命丸文の特製の矢。音の速度で対象を貫かんとしている魔射。


  矢がギルガメッシュに届くのを確認したりはしない。
  矢を放った直後に俺は後ろを振り返り、全力で走り出した。

  結果はわかっている。
  あの矢は決して、ギルガメッシュに中ることはない。それは先の不意打ちで判り切ったこと。
  それでも重傷を負っているのだ。
  英雄王とはいえど、回避行動なしに反撃には移れないだろう。

 俺はただ、目的の場所に向かってひたすら走る。

  今は文の計画通りに進めるだけだ。ギルガメッシュとの距離はおおよそで200メートル。
  サーヴァント相手にはあまりにも頼りがいのない距離だろう。
  ましては中距離戦を得意とするギルガメッシュには絶好の間合いと言える。

 だから、闇雲に路地を走るのではない。
  オフィス街のビルの間を通るようにして、決してギルガメッシュに背中を見せない。
 いくらギルガメッシュでも、オフィスビルごと俺を狙うのは骨が折れるはず。

  それにだ。あいつも深手を負っている。
  あの傷じゃサーヴァントであっても、そうすぐには追いつけないはず。
  だからといって、完全に撒かないようつかず離れずなんて甘いことは言ってはられない。

  俺を殺さんと追ってきているのは間違いない。
  その証拠に背中から感じる殺気と呼んで差し支えのない気配が徐々に濃くなっていく。
 否応でもギルガメッシュが俺に接近しているのがわかるが、後顧する余裕もない。
  そんなコンマ数秒のタイムロスが、俺の生死を決めるかもしれないのだから。

 全力に近い疾走。
  目的地までの距離は大したことはないし、視界には最初からずっと入っている。
  だが、俺の疲労はすでにピークに達していた。
  連日連夜の疲れもあるだろうが、それよりも背後に伝わる緊張の影響が大きい。

  最強と呼ばれるサーヴァントが殺意を持って背後から迫ってくるのだ。
  これに勝る緊張はこの世には存在しないだろう。

 だけど、あと少し。あと少しだ。


 …………。


 目的地に続く開けた路地に顔を出した時だった。
  どん、という強い衝撃が背中に走った。
 突然誰かに背中を押されたとでも言えばいいのだろうか。

  反射的に背中を確認しようとしても、身体が思うように動かない。
  だが、豪奢な装飾が施された刀身が俺の脇腹から覗いているのを見る。

 「――は」

  触れて確認するより先に、身体がつんのめるように転倒した。

 これは、まずい。

 「……うぐあああ!!」

 転倒から数秒間遅れて、これまで感じたことのないほどの激痛が襲ってきた。
  剣のあまりの鋭さに刺された直後は痛みを感じずに、衝撃だけが伝わったのだろう。
 俺自身、人より我慢強いと自負していたが、そんな甘い考えが一瞬で吹き飛ぶ苦痛。

  覚悟も曖昧なままに焼けるような激痛が背中と腹の両方から襲ってくる。
  苦痛に呻こうとすると、内蔵を口に無理矢理押し上げられる気持ち悪さがこみ上げてくる。
  口中に苦々しい血の味が広がっていく。

  地面の上で無様にのたうち回りたい衝動に駆られるが、あまりの痛みにそれすらも叶わない。

  ……今は、そんな場合じゃないんだ。
  なんとか立ち上がろうとしても、痛覚と熱が増すばかりで思うように動けない。


 背後からコツコツと硬質な足音が近づいてくるのがわかる。
  紛れもなくギルガメッシュだ。

  くそ、ふざけるな……。
  だったら、こんなところで寝転がっている場合じゃない。

 尚も痛みを増していく刃傷を無視して、ただ前へ前へと進もうとする。
 両腕を使って這うように移動することはできても、こんな速度じゃ何の意味もない。

 そうしているうちに足音が俺のすぐ後ろで止まった。

 「下らぬ座興はここまでだ。何を企もうともこの英雄王に通じるとでも思ったのか?」

 振り向いて確認するまでもない。
  ギルガメッシュはもう手の届くほど近くにいる。

  余裕すら感じる語調で、俺の醜態をカラカラと嗤う。
  ……サーヴァントを思い通りに出し抜こうなんて、とんだ甘い考えだった。
  ギルガメッシュにしてみたら、俺なんていつでも殺すことはできたのだ。

  ギルガメッシュは俺の背中に刺さった剣を無造作に引き抜く。

 「……あああああ!!」

 遠慮などない行為に皮膚と筋肉が余計に裂かれて、痛みに追い打ちをかける。
  更に腹を塞いでいた栓が抜け、アスファルトの地面を余計に汚していった。

 「フン。雑種の血で我の宝が汚れてしまったわ」

 剣が抜けた分、身動きだけは今までより取りやすくなる。
 なんとか仰臥の態勢を取って、上体だけを起こす。

 「王に弓を引く愚者をただ殺すのも些かつまらぬな。
   あの化物はどうした? まさか雑種だけで王に歯向かおうとしたわけではあるまい?」

 ギルガメッシュはまだ文を感知できてはいないようだ。

 「……まあいい。あのような出来損ないなど、我自ら探すのも面倒だ。
   貴様を殺して聖杯戦争に終止符を打つとしよう」

 血で濡れた剣の切っ先を俺の胸に向けた。
  その刃先をあと少し前に突き立てれば、言うまでもなく衛宮士郎の命は終わる。

 ……俺は、本当にこんなところで死ぬのか?
  文から頼まれたことを果たせず、かつて託された理想を成し遂げることもできずに?

  駄目だ。そんなのは絶対に駄目だ――。
 この体は。この体は本当に動かないのか。

  腹の傷を無視して、全身にありったけの力を込める。
  その結果、体がどうなろうとも知ったことではない。今死んでしまえば何もかも同じだ。

 「う、く……! ああああ……!!」

  手は動いた。そして足も動く。
  ああ、なんだ。だったら何も問題ないじゃないか。

  両脚がこうして無事である以上、立てない道理はないのだ。

  目の前にはもう新都センタービルがそびえ立っている。
  だったら立ち上がらなければ――。立ち上がらなければならない。
  そうでないと、文の計画が全て水泡に帰してしまう。
  失敗しても文は恨まないと言ってくれた。だけど、本当はそんなことはどうでもよかった。

  本当は。本当はたった一度だけでもよかった。
  俺は文に認められたかったのだ。

 これまでずっと、文は俺をつまらない、取るに足らない人間として見ていた。
  出会った日から今にいたるまでその認識はさほどかわってないだろう。
  それは痛いほどわかっている。
  文はあけすけにそれを言葉に出したこともあったし、時折見せる態度でもわかっていた。

 だから、俺は飾りのない言葉で射命丸文をあっと言わせたかった。
  そんな子供のようなみっともない感情。だが、その気持ちが今は何より大きい。

  対等なパートナーとして彼女の隣に立ちたい。
  認められなければ、俺の目指す正義の味方になんて決してなれない。

  たったそれだけだ。
  文が本意から驚く顔を一度でいいから見てみたいのだ。
  だけど、たったそれだけが俺を動かす原動力になり得る。

 膝に力を入れてアスファルトに足をつける。

  失血による影響か、足がガクガクと震える。硬い地面なはずなのにまるで安定しない。
  今にも崩れ落ちそうだ。今すぐに倒れて楽になれと、高ぶる精神に反して身体が警告する。

 そんな警告には抗い、膝へ更なる力を込める。
  腹に開いた穴から粘質性のある血がこぽりと溢れた。

 「ぐうううう……」

 だが、立てた。
  呼吸も肩でするほど不規則に定まらず、
  両腕も弛緩したようにだらりと垂れているが、立っていることには間違いない。

 なら、文のところに行かなければ……。

 「ほう。その傷で立ち上がるとはな。だが、それでどうする?
   我は貴様を殺すことに何ら躊躇も感慨も持ち得てはおらぬぞ?」

 初めて目の前と呼べるほどの距離で対峙する形になるが、ギルガメッシュは表情を崩さない。
  言葉で言うほどの感情の揺らぎも表情からは感じ取れなかった。

 ギルガメッシュが持つ剣の一振りで、俺は何の抵抗もとれずに死ぬだろう。
  だとしても、そんなことは今更重要ではない。
 剣を構えるギルガメッシュに背中を向ける。それは逃げるためではない。
  俺がこうして立って動ける以上、文の計画はまだ破綻してはいない。

  俺はその計画を遂行するだけ。

 「此度の聖杯戦争はこれで終わりだ。あまりにも下らぬ幕切れだったな、言峰よ」

 背後から聞こえた自嘲とも取れるギルガメッシュの言葉。
  そして俺を殺すべく、英雄王が剣を高く振り上げるのを感じた。


 ――――――――――


 
 今際の際になってふと疑問に思うことがある。  

  ギルガメッシュは文に気づいていなかった。
  だが、逆に文はギルガメッシュに気づいていないだろうか?

  ……いや、そんな筈がない。
  市街地が一望できる場所にいながら、ギルガメッシュの存在に気づかないはずがない。

 だったら、今のこの状況も――。

  疑問が氷解するのと同時にして、馴染みの深い風を全身に受ける――。
  俺のほんの僅か頭上に強い突風が通過した。

 背後から、金属の衝突音。
  ギルガメッシュの掲げた剣は勢いよくはじき飛ばされて、中空を舞う。

 「そこか――!」

 ギルガメッシュが新都センタービルの屋上へと視線を向けた。

 ここから数百メートル離れた冬木で最も高いビルの屋上。
  そこに文の姿があった。そう、そこまで俺が傷ついた文を運んだのだ。

  文は屋上の欄干に立ち、普段から見せる他人を見下す可愛げのない笑みを浮かべている。
  人差し指をくいくいと動かして、ギルガメッシュを挑発した。

 「ふ、我を笑うとはな。死に損ないの化物が」

 ギルガメッシュの表情が、初めて喜悦に歪む。
 今し方まで殺そうとしていた俺の脇を通り過ぎて、悠然とセンタービルに向かって歩き出す。

 「このような取るに足らぬ結末に興が冷めていたところだ。
   ならば、この英雄王が直々に決着をつけてやろうではないか」

  俺のことを一瞥することもなく、何の関心も示すこともない。
  徐々に小さくなっていくギルガメッシュの背中。

  首の皮一枚で俺の命は助かり、少しだけ緊張が解ける。
  だが、そこには安堵はない。

 「うあ……」

  腹の傷が痛む。
  口の中は血と胃液が混じったもので満たされており、吐きだしてしまいたい。

  一瞬気がゆるんだだけでも、気を失ってしまいそうだった。
 失神することで、この苦痛から一時でも解放されるのなら……。
  そんな甘美な要求に身をゆだねたくなるも、それは俺自身が許しはしない。

  今回、俺が計画の一端として文に頼まれたことは一つ。
  『ギルガメッシュを新都センタービルの屋上に連れて行く』というもの。

  それ以上の子細は聞かされてはいない。ただ後は何とかするとだけ言われた。
  こうして、英雄王が自発的に目的地に向かった以上、俺の仕事は既に終わっている。

 「文……」

 ギルガメッシュはセンタービルに侵入し、今は文の元に向かっているだろう。
  文はこの位置からは覗けない死角に移動したためか、姿を確認することができなかった。

 だったら、俺はこんな何もないところにいてもいいのだろうか……?

  そう考えるよりも先に、体はセンタービルに向かって歩き出していた。
 ここで何もせずにじっとしているなんてできそうもない。
  走ることは到底できないだろう。
  腹の傷を庇うように牛歩ではあるが、ゆっくりと確実にセンタービルに向かっていく。
 呼吸が浅い、傷が焼け付くように熱い。だけど、歩みは止められない。

 無茶をして、文の元にたどり着いたところで、俺のやれることなんてないだろう。
  仮にあったとしても、立って歩いているのもやっとな状態だ。それで何ができるというのか。

 だけど、俺は歩くのをやめようとは思えない。
  全てが終わるのをただ待っているだけなんて、俺には絶対にできない。


 …………。


  足を引きずるようにして、一つずつセンタービルの階段を上っていく。
  冬木市のビルのなかでは群を抜いて高い建造物であるが、屋上までエレベーターは続いていない。

 「はぁ、はぁ」

  こんな状態で階段を使って屋上に行こうとするなんて自殺行為だろう。
  脇腹から滴る血は空いた腕で押さえているが、こんなことをしたって焼け石に水だ。

 聖杯戦争の最後を見届けたい。
  遠坂に託されたセイバーを召喚する媒介となった短剣であるカルンウェンハン。
  携帯しやすいように腰に差していたが、今は右手に残された矢とともに握られている。

 召喚の媒介を携えたところでセイバーに聖杯戦争の終結を伝えることはできないだろう。
  これはつまらない感傷かもしれないが、俺にとっても遠坂にとってもきっと無駄ではないはずだ。

  これからなにが起こっても、そのすべてをこの目に焼き付けたい。
  それは聖杯戦争のマスターとしての義務感だけがそうさせているのではない。

 この聖杯戦争で俺は最後まで蚊帳の外だった。
 正義の味方になると誓ったあの日から、爺さんに言われた通りに鍛錬を重ねてきた。
 それが確実に正義の味方へと通じる道を信じて疑うことはなかった。その想いは今も変わらない。

 その積み重ねてきたものは、結果として聖杯戦争の役に立つことはなかった。

  だったら、これはひょっとしなくても子供っぽい意地なのだろう。
  でも俺は俺の目指す物のために、自らの意志で最後まで突き進みたい。
 何かを得ることも報われることもなくてもいい。
  守ろうと思った理想を生涯掲げ、一度足りとも振り返らないと誓ったのだ。


 ……階段を登りきる。屋上の扉は開いていた。

  冷たく吹き込む風が重厚な鉄扉をギシギシと慌ただしく揺らしている。
  その扉の先、ギルガメッシュと文が向かい合う形で対峙していた。


 ――――――――――


 重たい体を引きずり、なんとか屋上まで踏み入れる。

 センタービルの屋上はそれなりの面積を有しているが、サーヴァントにとっては決して広いものではない。
  身を隠せるような遮蔽物は出入り口にもなっている貯水槽ぐらいだ。
 それに対峙している二人はアーチャーのクラスを冠するサーヴァント。
  ここは文にとってもギルガメッシュにとっても、屋上の端から端までが自らの間合いと言える。

  恐怖は麻痺していた。
  頭の中はかつてないほど平静を保っている。

  ここにいるだけで俺は文の邪魔になるのはわかっている。
  だが、今後どうなってもギルガメッシュが俺を構うとは思えなかった。

  その証拠に屋上に踏み込んだ俺の存在に二人は気づいているだろうが、
  ただの一度も視界に入れられることはない。二人にとって俺はその程度の認識でしかないのだ。


 「王様。遠路はるばるこんなところまで足を運んで頂き、ありがとうございます」

 文はへらへらと軽薄な笑みでギルガメッシュを迎え入れる。
 本当は俺以上に立っているのもやっとなのに、顔色を変えることもない。

 「なに、お前のような矮小な化物に見下ろされるのは少々癪なのでな」

 文の挑発めいた軽口にギルガメッシュも軽口で返す。

 思えば、お互いセイバーに重篤なダメージを負わされた同士なのだ。
  セイバーが聖杯戦争を最後まで勝ち抜いたとしても、何ら不思議ではなかった。

 しかしこうして最後まで立っていたのは、射命丸文とギルガメッシュの二人。
  数値で計れるような単純な強さだけでは、聖杯戦争は勝ち残ることはできない。

 「あら、見下していたのがばれていましたか。
  ですが、惨めに地を這う人間を上空から見下すのはそれなりに面白いものですよ。
  それが貴方のような高慢な男だと尚のこと愉快です」

 「囀るなよ、化物風情が。
   王とは視界に入る全てを背負える者でしかなり得ぬのだ。
  故に王は高みに立つ責務がある。
   貴様のような空を舞うしか脳のない羽虫には到底理解できるものではない」

 「理解できませんね。まあ尤もそんなものは理解したくもありませんが。
  んでは、人間の王様。……とりあえず、貴方はここで死んでくださいな」

 何でもないことのように、文はギルガメッシュに死んでほしいと告げた。

 「……笑えぬ冗談だな。
   我の機嫌を損ねれば、貴様など須臾の合間にも肉塊へ変えることができるのだぞ?」

 「何を馬鹿なことを。初めからそのつもりできたのでしょう。
   今こうして話している方が私にとっては想定外です」

 「ふはははははは! そうだ! そうだったな!
   貴様などと下らぬ戯言に付き合うなど、我も些か感傷があるようだ!」

 感傷。
  ギルガメッシュが口に出すとは思えなかった言葉だ。
  それは自らの手で下したセイバーのことを言っているのだろうか。

 「その類のネタは陳腐で低俗ではあるんですが、ウケはまあまあいいんですよね。
   そんな大失恋の後に恐縮ではありますが、そろそろ覚悟を決めてください」

 「死ぬのは貴様であることは必定だ。
   なに、覚悟の必要はない。貴様は羽虫のように無様に死ぬのだからな」

 濃密な緊張が伝わってくる。
 ギルガメッシュが文に向ける殺意は、俺に対して向けていたものと桁が違う。

 人類最古の英雄王は射命丸文を己の敵として見ていた。

 「…………いざ尋常に勝負と言いたいところではありますが、
  私の残された体力で長々と戦ったら、その間にぽっくり逝ってしまいます」

 それは俺も懸念していたことだ。
  文は死が目の前に迫っているほどの容態であり、明らかに戦える状態ではない。
  只でさえ英雄に対しての相性が悪いというのに、
  こんな正面から最強と言われているサーヴァントと対峙している。
  ギルガメッシュも傷を負っているが、文のものと比べたら幾分か軽症だろう。

 「……我をこんなところまで呼び寄せたのだ。
   貴様に勝てる道理なぞないが、これ以上失望させるなよ」

 怒気を孕んだ声色で、ギルガメッシュは警告するも、文自身は何処吹く風だ。
 しかし、その文の表情に嘲弄めいたものはなく、真剣そのものだった。

 「なので、勝負は一瞬です。
   それこそ須臾に等しい早さで終わらせてみせましょう。
   だからといっちゃなんだけど、全速でいかせてもらうわ――」

  文の唯一の武器であるヤツデの扇を腰に差し、完全に無手になる。
 残った片翼を広げ、上体を低くして前屈みに構えを取った。

 ……文が言った、全力ではなく、全速。
  それが意味することは、これまで文の戦いを見てきた俺には否応でも理解できてしまう。

 「小細工は一切使わないわ。よーいどんの一直線。
   それまでに私を倒しきりなさい。それができなきゃ、貴方が羽虫のように死ぬわよ?」

 文は嘯くことも多々あるが、今回は本気で言っている。

 ギルガメッシュは絶対者の証拠である余裕を崩すことはない。
  だが、その背後にはギルガメッシュの宝具である『王の財宝』が展開されていた。
  無数の宝具がゆらゆらと空間に浮かび、切っ先全てが文に向けられている。

  その中の一つでも命中したら、文はそれまでだろう。
  今は強がっているが、本当は話すことも立つこともやっとなのだ。
  妖怪にとって毒でしかない英雄の宝具を受け切れるような余力がないのは、俺でもわかる。


 どちらが先に動くのかと、間の抜けたことを考えているうちに。

 少女が動いた。

 屋上のコンクリートが凄まじい脚力に踏み抜かれて、小規模なクレーターが作られる。
 少女の加速を後押しする猛烈な追い風が吹く。実際に文自身が操っている風だろう。

 それから僅かに遅れて『王の財宝』が放たれた。
  だが、もう遅い。遅すぎた。
  本気の文は誰よりも何よりも速い。

  音速を超える。
  そして、速く。尚も速く。

  ソニックブームが発生することで衝撃とけたたましい爆音が、屋上全体に拡散した。
  離れた場所にいる俺でさえも、その破裂するような轟音に反射的に目と耳を塞いでしまう。

  比喩なしに目玉が飛び出てしまいそうなほどの衝撃が全身に襲いかかる。


 …………。


 次に目を開いた時。

  文はギルガメッシュの両腕を掴んでいた。
  二人の体型は大人と子供と言っていいほどに違うが、文の細腕がギルガメッシュを拘束する。

 「な、に……!?」

 「ねぇねぇ見えた? 見えないわよね」

 爆音に頭ががんがん鳴り響くが、二人の声は辛うじて聞き取ることができた。
 文は悪戯に成功した童女のような上目遣いで、ギルガメッシュを楽し気に見やる。

  「でも、これで私の妖力は完全に枯渇したわ。もうそよ風すら起こすことはできないわね。
   つまり、私はもう貴方を倒しきる術を持ち得てない。
   ……だから付き合ってもらうわよ。なぁに当たり所が良ければ痛いのは一瞬です」

 あどけなささえも感じていた笑みが、口角をつり上げた狂気のものに変貌した。
  文が地面を強かに蹴ると、二人分の体が虚空に跳ね上がる。

 「よもや、貴様……!!」

 ギルガメッシュが、文のしようとしていることを理解した。
 ……そして、俺もこれから文が何をしようとしているのか気づいた。気づいてしまった。

 「まさか。そんな馬鹿なことをやろうというのか……!」

 くそ! なんて間抜けだ!
  今になるまで文のしようとすることにどうして気づかなかったんだ!

 「文ーーッ!! やめろーーッ!!」

 俺の言葉は二人には届いていない。

  腹の傷を庇うことを止めて文の元へと走る。
 たった数メートルの距離を走っただけで、体は自由を失い転倒する。
  なんとか起き上がろうとするが体が言う事を聞かず、顔をあげるだけで精一杯だった。

  文は体全体で抱きつき、顔と顔が触れるほどの距離でギルガメッシュを拘束する。

 ギルガメッシュの顔はこれまで一度も見せたことのない焦りを滲ませていた。
  少女は艶然と狂気を雑えた笑みで、力の限りに抱きつく。
 ここまで密着していれば、『王の財宝』を使おうが剣群は担い手共々貫くことになる。

 「痴れものが! 疾くその手を離せ!」

 拘束から脱出しようとギルガメッシュはもがくも、見た目からは想像できない文の怪力に抜け出せない。
 センタービルの屋上には転落を防止するためのフェンスがない。
  欄干はあるがそれは決して高くないもの。

 「今の私にできる精一杯です。人を呪わば穴二つ。まぁ精々付き合ってくださいな」

 二人の描く歪な放物線。
  それは何者にも邪魔されることなく、呆気ないほど簡単にビルの外へと放り出された。











 読まなくてもいい後書き

 佳境です。士郎君呻きすぎです。日本語でおk。

  プロットに変更がなければ、多く見積もっても5話以内で終わります。
 今年中に完結するかどうかは些か疑問ですが、どうかおつきあいくださいませ。

 今回の疑問点。

  Q.ギル様と士郎君はほぼ同時間帯に屋上へ到着しているけど、どうしてなの?
 A.ギル様はエレベーターの存在を忘れており、階段だけで屋上に行きました。萌えです。


 2010.10.19


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